1967年松竹
103分

 上京し大学受験を終えたばかりの高校生たちの数日間を描く青春ドラマ。
 と言っても時代は学園紛争直前、ベトナム戦争や日米安保反対の声がかまびすしい政治の季節。
 そして、監督は『青春残酷物語』の大島渚である。
 元千葉県知事・森田健作主演の明るく爽やかな青春ドラマのようにはどうしたってなりようがない。
 実際、本作中にはベトナム戦争反対を訴える男女の学生たちが、キャンプファイヤーを囲んでギターを鳴らしながら森田健作もカヴァーしたザ・ブロードサイド・フォーの『若者たち』を合唱するシーンが出てくるが、主人公の少年たちはこの輪の中に入ることはなく、性に飢えた目つきと妄想でいっぱいの脳みそを抱えながら「ひとつ出たホイの良さホイのホイ」と春歌を口ずさみつつ街をうろついている。
 その意味では、左翼思想にかぶれ平和や友情や未来を語る当時の楽天的な青年群像に、日本古来の猥雑な文化(春歌)を対置させた大島流の風刺映画と言えるかもしれない。
 性の飢餓の前には政治がなんだ!というリアル・・・・。

 大島監督は空間の扱いが滅法うまい。
 奥行き表現や空間の中の人や物の配置の妙が日本人離れしている。立体的なのだ。
 また、『太陽の墓場』でも示したように、いかに残酷な話であろうと、いかにどぎついアブノーマルな場面であろうと、品格を失うことはない。洗練されている。
 後年、国際的な評価(とくにフランスで!)を得るようになったのは、この空間性と洗練によるところが大きかったのではなかろうか。

 主演の高校生を演じるのは荒木一郎
 撮影当時23歳、高校生にはまったく見えない(笑)
 1966年『空に星があるように』でレコード大賞新人賞をとった歌手でもある。
 とりたててハンサムというのではないが、印象に残るふてぶてしい面構えである。

 大島の妻である小山明子の若い頃ははじめて観た。
 非常にムードのある女優。

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 ほかに、伊丹一三(のち十三と改名)、串田和美、宮本信子、吉田日出子が出演している。伊丹と宮本はこの映画がきっかけで付き合いはじめ結婚に至ったという。

 こんな小難しく政治的な装いの映画が、制作を許され、全国上映され、それなりに評判を呼んだ時代があったというのが不思議な気がする。



おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損