2021年彩図社
本書の表紙カバーにでかでかと載った著者の顔写真を見て、どう感じるだろう?
中国人であることは分からないかもしれない。
13年間ムショにいた男というのも分からないかもしれない。
一見、人懐っこそうな顔立ち。
賢そうな額。
意志の強そうな顎の線。
人生の辛酸が刻まれた深い皺。
凄みのある風貌は、長く海風に吹かれた漁師か、数々の建築現場をかんな一つで渡り歩いてきた凄腕の大工のようにも見える。
凄みのある風貌は、長く海風に吹かれた漁師か、数々の建築現場をかんな一つで渡り歩いてきた凄腕の大工のようにも見える。
しかるに、カメラ(=読者)にひたと向けられた両の瞳をのぞき込むと、長年蓄えられた怒りと悲しみと絶望、簡単には人を信じない用心深さとある種の冷酷さ、瞬時に相手の正体を見抜く眼光の鋭さ、そしてどんな相手でも飄々と受け入れるであろう懐のふかさを読み取ることができよう。
「修羅場をなんども潜り抜けてきた人だな」と直感する。
怒羅権(ドラゴン)は、東京都江戸川区葛西に暮らす中国残留孤児の2世や3世の少年たちが1980年代後半から徒党を組むようになり、88年に命名し誕生した。
初期メンバーは12人、90年代前半の全盛期には府中や八王子にまで勢力が拡大し、800人の大所帯になったという。
日本人の作る上下関係の厳しいピラミッド型の組織とは違い、上下関係の希薄な、ゆるやかなつながりのチームで、中国人らしい“今の瞬間の絆を大切にする精神”が息づいていたという。
それが「反社」を取り締まる警察にしてみれば、親分やヘッドをあげれば組織が瓦解する既存の暴力団や暴走族とは異なる摘発の難しさにつながっていたのである。
汪楠(ワンナン)は初期メンバーの一人であり、おそらく最も勇猛果敢で、最も知能が高く、最もよく稼いだ男である。
1972年中国吉林省生まれ。日本好きな父親に強引に連れてこられ、14歳より日本に暮らすようになる。怒羅権と暴力団の両方に関わって悪事を働いていたが、28歳のときに逮捕され、岐阜のLB級刑務所に収監される。2014年出所後は犯罪の世界に戻らないことを決意し、全国の受刑者に本を差し入れる「ほんにかえるプロジェクト」に力を入れている。
ソルティは90年代を仙台で過ごした。
怒羅権についてはよく知らなかった。
怒羅権と名乗る在日中国人の若者たちが都心でひどく暴れ回っているというのは聞き知っていたが、「そんなこともあるだろう」くらいの感覚であった。
よもや、ソルティの古くからの馴染みである池袋の文芸坐(現・新文芸坐)が組織拡大の拠点になっていたとは!
よもや、ソルティの古くからの馴染みである池袋の文芸坐(現・新文芸坐)が組織拡大の拠点になっていたとは!
本書を読んで、90年代の東京の荒れ具合というのを実感した。
ソルティは80年代半ばから都内で一人暮らしをしていたが、91年に「東京はあまりに変だ。このまま東京にいたら自分がダメになる」と思って、仙台に越した。
バブル絶頂期の東京があまりに異様なものに思えたのである。
人々は「24時間闘えますか!」の覚醒剤常用者のような総躁状態、ゴールドラッシュ時の西部開拓者のような欲に目がくらんだ脱抑制状態にはまり込んで、人間としての(生物としての)あたりまえの感覚を失っていた。
「明るさ・軽さ・浪費」がひたすら推奨・追求され、その反対の「暗さ・重さ・倹約」が軽蔑・忌避された。ネアカ、ネクラなんて言葉が流行った。
ひとりの人間には陽の部分もあれば陰の部分もある。社会には陽の当たる層もあれば陰を背負わせられる層もある。
ひたすら陽の面だけを追求していれば、いつかはきっと陰の面が浮上して、社会に対して復讐を開始するだろう。
そんなことを思って、東京を離れた。
いや、自分の中の陰の部分が危険信号を出していたのかもしれない。
オウム真理教の一連の事件や怒羅権の出現は、まさにバブル時代の日本人(とくに都会人)が抑圧してきた陰の部分の報復だったのだろう。
90年代前半に怒羅権のニュースを聞いて「そんなこともあるだろう」と思ったのは、もちろん在日中国人(や在日朝鮮人)の境遇を知っていたからである。
怒羅権はもともと、「日本社会で孤立していた中国残留孤児の子孫たちが生き残るため、自然発生的に生まれた助け合いのための集まり」だったという。
同調圧力の強い日本社会でいじめや差別を受け、一袋500円の大量のパンの耳を仲間で分け合うような貧困(ときはバブルだ!)を舐め、教師をはじめ周囲の大人たちからの不等な扱いに苦しむ若者たちの鬱屈したエネルギーが、怒りとなって暴発するのは火を見るより明らかである。
少なくとも私も仲間たちも、非行少年にはなりたくなかったし、ましてや刑務所に入るような人間になるとは、あの頃は思っていませんでした。私の犯した犯罪は私が自発的に実行したもので、これを時代のせいや環境のせいにすることは許されません。しかし、あまりにも多くの望まない現実が私たちに振りかかり、その現実に抗うためにもがいた結果として、いつしか暴力がアイデンティティとなり、犯罪を通じてしか他者とのつながりを持てなくなっていったのもまた事実なのです。そのようにして自分の歴史を振り返ってみると、私たちは負の存在で、負の遺産しか生み出せなかったのかもしれないと分かっていても、これまでの歩みを全否定できない自分がいます。それは自分が自己中心的な人間だからでしょうか。もしかすると、もう生きるためには肯定するしかないと思っているからなのでしょうか。
本書では、著者のおこなってきた数々の喧嘩の模様や犯罪の手口が結構詳しく書かれている。捕まった後に求められて披露した錠前破りの手口などは、その場の警察官や刑務所関係者を蒼ざめさせたという。
また、内側から見た裏社会や刑務所の実情も描かれ、そこで一目置かれて人脈を広げていく著者の人心掌握術と器の大きさが伺える。
これほど賢くて器用で肝っ玉が据わっていて、人を集め動かす力のある人物が、もし最初から日本社会に正当に受け入れられ真価を発揮していたら、どれだけ社会にとって益になることだろう!
一部の人間を疎外することで一番損害を被るのは当の社会であることを、我々は知らなければならないだろう。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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