2016年原著刊行
2019年フィルムアート社

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 著者は1960年イギリス生まれのアーティスト。
 トランスヴェスタイト(異性装愛好者、※普通訳語として使われる「服装倒錯者」という言葉は好ましくない)である。日本で言えば、森村泰昌のような存在か。ゲイではない。
 幼少の頃から伝統的なマスキュリニティ(男性性、男らしさ)を押し付けられることに違和感を覚え苦闘していた彼による「脱・男らしさ」のすすめである。
 多くのゲイが社会に巣くうマッチョイズムによって抑圧され差別され自己否定に陥ってきた(いる)のは昨今知られてきたし、理解や支援も進んできたと思うが、実のところ、ヘテロの男自身もマッチョイズムによって苦しめられて馬鹿を見ている。
 そのことを縷々説いている本である。

 男性のことを、深みがなくて、短気で、柔軟性がなく、変化しない存在として片付けるのをやめよう。何しろ彼らは女性と同じ脳をもっているのだ。問題は、現在の男性の性役割に締め付けが強いことだと思う。男性は常に、無意識に監視してしまうのである。健全に変化を起こすには、差異を許容することが重要だ。男性は、他の男性に対しても自分に対しても、男らしさの基準に達していないという理由で責めるのをやめるべきだ。・・・(略)・・・新しい柔軟な男性は、新たなジェンダーの性役割に適応するだけでなく、さまざまな文化、階級、民族、宗教でも適応できなければならない。

プール


 ときに、ソルティは週3回ほど家の近くのスポーツクラブのプールに通っている。
 曜日と時間によっては、水中運動(アクアエクササイズ)のレッスンと重なることがあり、自分が水中ウォーキングしたり泳いだりしている隣のコースで、数十人の受講者がプールサイドに立つコーチの指導を受けながら、軽快な音楽に合わせて水しぶきを跳ね上げているのを見かける。
 場所柄、通勤帰りよりも地域の人が多いので、60代以上のおばさまで占められている。
 男は一割満たない。

 数ヶ月通っているうちに、数種類のエクササイズプログラムがあって、3人のコーチがいることがわかった。わかりやすくニックネームをつける。
 ① 静香ちゃん・・・20代後半とおぼしき美人で内気な感じの女性。
 ② 睦男くん ・・・30代くらいの無愛想で傲慢な感じのするマッチョな男性。
 ③ 陽子さん ・・・40~50代に見える溌剌としてスタイルのいい女性。

 一番人気は③の陽子さんで、彼女の元気な掛け声や躍動感ある動き、レッスン終了後の受講者とのコミュニケーションを見れば、人気の高さももっともと頷ける。受講者との年齢が近いことも大きいのかもしれない。
 次の人気は①の静香ちゃん。男性参加者の割合が一番高いのはわかりやすい。丁寧な指導でやさしい声掛けも魅力的だが、海千山千のおばさま受講者との会話がどうも苦手のようである。
 ②の睦男くんは「なぜこの人がコーチの仕事を?」と傍で見ていて思うほど、毎回面白くなさそうな表情で指導している。岡田准一ばりのイケメンで水泳で鍛えた均整の取れたガタイも見事、普通ならおばさま人気一番と思えそうなのに、水中にいる受講生のソーシャルディスタンス度は高い。つまり人気がない。男の受講者は皆無である。

 コーチ自身が楽しんでいるか、自らの仕事を愛しているかがポイントである。
 体を動かすこと、人に教えること、人と交流することを楽しんでいるコーチの放つオーラは、水中にいる受講者に容易に伝わり、受講者の表情や動きに素直に現れる。レッスン効果もきっと高いことだろう。
 
 数週間前、新たなコーチが加わった。
 「この人、初顔だな。誰か休んだコーチの代わりかな?」と思っていたが、どうやら臨時ではなく、理由は分からないが睦男くんが辞め、その“後釜”らしい。
 後釜氏は40代くらいのテディベア系の男で、ぷよぷよしたお腹まわりといい、後頭部の照りといい、まったくアスリートっぽくない。睦男くんとは正反対のタイプである。体の切れも動きもスポーツというより盆踊りのようなユルさ。
 しかし、後釜氏の人気はうなぎのぼりで、あっという間に静香ちゃんも陽子さんも抜いて、参加者多数の人気プログラムになってしまった。

 後釜氏は口が悪い。レッスンの合間に、悪口すれすれのジョークをお客様である受講者に投げかける。「はい、短い脚を精いっぱい伸ばして!」とか平気で言う。
 プールサイドに椅子を用意していて、自分が疲れてくると「ちょっと一休み」とか言って腰掛けて、そのまま口頭指導している。
 なのに、おばさまたちはジョークに笑い、コーチのいい加減な態度に怒ることなく、楽しそうに指導に従っている。マドンナやレディ・ガガといったノリのいいBGMに遅れることなく水中での激しい動きを次々とこなし、まるでシンクロナイズド・スイミングの選手たちのよう。60代超え(中には80代もいる)とはとうてい思えない。
 楽しんでいることが表情からも動きからも笑い声からも伝わってきて、彼女らが放つキラキラしたオーラはプールサイドを明るくする。
 
 この奇跡の秘密はなんのことはない。
 後釜氏、オネエなのである。
 
 おばさまたちのオネエ好き、中高年女性をやたら元気にさせてしまうオネエの威力には驚くばかりである。
 ソルティ思うに、おばさまたちは“彼”のうちに、「定年退職したものの趣味もなく家事もできず、他人とコミュニケーションとるのも苦手で、ただ家でゴロゴロしている亭主」とは違った男性像を見ているのではなかろうか? 
 最近では後釜氏のレッスンに参加する中高年男性も増え始めている。
 結局、Gay(陽気)であることがなによりの健康の素なんである。 

二つのジェンダー



おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損