指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:グース・モスタート(オリジナル演出:ジョン・コックス)
ステージデザイン:デイヴィッド・ホックニー
キャスト
パミーナ : キャスリーン・バトル
夜の女王 : ルチアーナ・セッラ
タミーノ : フランシスコ・アライサ
パパゲーノ : マンフレート・ヘム
ザラストロ : クルト・モル
1991年2月メトロポリタン歌劇場におけるライブ収録
180分
モーツァルトのオペラは劇場で聴くならともかく、家でDVDやCDで鑑賞していると退屈してしまうことが多い。
とくに『魔笛』は、彼の作品中もっとも有名なものの一つで夜の女王のアリアやパミーナとパパゲーノによる「男と女の愛の二重唱」など、聴きごたえのある素晴らしい歌もあるのだけれど、積極的に視聴したい気分にはなれない作品である。
作られた時代的に仕方ないと分かってはいるものの、男尊女卑、人種差別な内容には毎度辟易させられるし、フリーメイソンを賛美していると言われる筋書きも上から目線の教条的な感じで、面白みに欠ける。
ドラマツルギーにおいても、近現代の起伏に富みスピーディな、視聴者を飽きさせないドラマにくらべると、のったりと緩慢でまどろこしく、「ここはカットしてよ!」と思わず言いたくなる場面が多い。
と言うと、「オペラは演劇ではない、音楽だ!」という声が聞こえてきそうだが・・・。
このDVDを借りようと思ったのは、キャスリーン・バトルがパミーナを歌っているからである。
性格に難があり毀誉褒貶さまざまなプリマドンナなれど、やっぱりソルティはバトルの歌声には魅かれる。
そもそもソルティのオペラ開眼、クラシック道参入の端緒となったのは、86年にバトルが出演したニッカ・ウヰスキーのテレビCMであった。下世話に言えば、「筆おろしの相手」みたいなもんである。
あれから35年、いろいろな歌手を知り、多くのオペラやリサイタルを聴き、CDやDVDを集めてきたけれど、今でも普段もっとも頻繁に棚から取り出してプレイヤーにかけるのはバトルのCDである。
ヘンデルアリア集、モーツァルトアリア集、同じソプラノ歌手ジェシー・ノーマンとの共演ライブ、この『魔笛』でも共演している指揮者ジェイムズ・レヴァインのピアノ伴奏によるザルツブルグ・リサイタルなど、どれもすこぶる魅力的である。
これがマリア・カラスでは絶対ダメである。カラスの歌声ほど「~ながら」に向かないものはあるまい。どうしても肝心の作業の手を止めてカラスの作るドラマチックな世界に入り込んでしまう、あるいは、作業に集中しようとすれば決して美しくはないその歌声が邪魔になる。
バトルの歌声は作業の邪魔にならない。作業効率を高める。
むろん、単なるBGM以上でもある。
なんといっても耳に心地いいのだ。
白大理石のようにつややかで、千歳飴のように甘く、森の中の小川のように清冽で、野辺の花のようにやさしく儚げで、小鳥のように軽やかで愛らしい。
この『魔笛』ライブの3年後にバトルはあまりに度を越した我儘ゆえメトロポリタンを首になった。
歌い手の歌声と性格のギャップをこの人ほどあからさまに見せてくれる人はおるまい。
パパゲーノとの重唱や第2幕の悲嘆のアリアはまさに絶品で、天上的でたおやかな歌声には陶然とさせられる。
歌声ばかりでなく、容姿もスタイルも表情も立ち居振る舞いもすこぶる魅力的で、裏事情を知らなければ“まるで女神のような女性”と勘違いしてしまうこと請け合い。天使に扮する3人の少年たちとの共演シーンなど、「私は子供好きで子供にも愛される優しいお姉さんなのよ」的なオーラを醸し出している。
しかし、裏事情を知っている者からすると、共演者がどれだけバトルに気を遣っているか、その激しい気性にビクビクしているか、勝手な振る舞いや要求にうんざりしているか、重唱ではバトルの小さな声をかき消さないように自らの声を仕方なくセーブしているか、といったあたりを見つけ出そうとしてしまう。それもまた一興である。
バトルのみならず、超絶技巧を見せる夜の女王のルチアーナ・セッラ、ライオン・キングの如き貫禄たっぷりのザラストロのクルト・モル、剽軽で単純なパパゲーノを演じるマンフレート・ヘムも素晴らしい歌を披露している。
ステージデザインをアメリカ在住の有名なアーティストであるデイヴィッド・ホックニーが手掛けている。ポップでメルヘンチックで美しい舞台美術も見物。