2018年日本
99分

 日本にある朝鮮学校の歴史と現状を描いたドキュメンタリー。
 アイとは朝鮮語で「子ども」のことである。
 監督の高賛侑(コウ・チャニュウ)は1947年生まれのジャーナリスト、ノンフィクション作家。自身、朝鮮大学を卒業している。

 2010年に施行された高校無償化制度から朝鮮学校は除外された。
 それを受けて、地方自治体でも朝鮮学校への補助金の打ち切りが続いた。
 これに象徴されるように、朝鮮学校の歴史とは在日朝鮮人に対する差別の歴史の典型であり、また、当事者及び彼らを支援する市民有志らによって繰り広げられた差別との闘いの歴史である。
 本作は知られざる歴史的資料や当事者の証言をもとに、100年余におよぶ差別との闘いを浮き彫りにしている。

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 ソルティはかつて朝鮮学校の近くに住んでいたことがあり、散歩や買い物の途中、校庭の金網越しに飾り気のない白いコンクリートの校舎を眺め、下校途中の生徒たちの会話を耳にすることがよくあった。
 朝鮮語の中にたまに日本語の単語が混じる彼らの会話はなんだか面白かった。
 学校のたたずまいからも、常にグループで行動する生徒たちからも、外部を拒否するような空気が感じられたものだが、これはソルティの偏見も入っているかもしれない。
 心なしか男子はイケメンが多かった気もするが、これもやっぱりソルティの希望的観測かもしれない。

 学校の脇を通りながら、思ったものである。

「いったいこの校門の向こうで、高い塀の中で、何が教えられているのだろう?」
「授業は何語で教えられるのだろう? 生徒たちは、日本語と朝鮮語とどっちが得意なのだろう?」
「生徒たちは日本という国をどう思っているのだろう? 韓国や朝鮮についてどう思っているのだろう?」
「自らが選ぶことなく置かれている在日朝鮮人という立場をどう思っているのだろう?」
「将来の展望はどんなものだろう? 

 いろいろと疑問は浮かび、勝手な想像はしたけれど、それ以上追及することはなかった。
 無責任な想像のうちで、紋切り型にして最も悪いイメージは次のようなものであった。

 教壇の上の、日本人の学校であれば「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」といったクラス目標が掲げられるあたりに、額縁に入った金主席の写真が飾られている。
 朝と帰りの学活の際には、クラス一同、直立して金主席に最敬礼を行ない、朝鮮語で「偉大なる父・金主席の指導に従い、祖国の発展のために精励します」といったような文言を唱和する。
 朝鮮の歴史や文化を学ぶ授業では、朝鮮中央テレビに出てくるチマ・チョゴリを着た女性アナウンサーのような抑揚と迫力とをもって、教師たちがひたすら祖国や金主席の偉大さを讃え、儒教道徳に基づく生活指導を行い、反日教育をほどこしている。

 つまり、日本の戦前・戦中の学校教育のコピーである。
 在日三世、四世の時代となり、意識も嗜好もすっかり日本人化してしまった生徒たちを、あらたに朝鮮人として「洗脳する」場所、それが朝鮮学校――というイメージがあった。

 本作では主として、大阪にある朝鮮学校(小学校、中学校、高校)の様子が紹介されている。
 戦後の日本人のだれもが通った日本の学校とほとんど変わりない、平凡な学校の日常風景がそこにある。
 生徒たちは時間割に沿って数学や音楽や体育を学び、サッカー、ラグビー、演劇、吹奏楽などのクラブ活動に仲間と打ち込み、運動会やバザーでは親御さんも一緒に活躍し、卒業式では神妙な顔で卒業証書をもらい、学校との別れに涙する。
 異なるのは、国語の授業が朝鮮語で、日本語は英語と並んで外国語として学ぶところ。そして、学校内では朝鮮語で話すことが決まりとなっているところ。
 朝鮮学校に通っている生徒たちやOBたちの証言から、朝鮮学校が「日本社会での孤立を防ぎ、自らのアイデンティティを確認し、自己肯定する」のに大いに役立っていることが理解される。
 それゆえ、日本国家のたび重なる朝鮮学校に対する迫害は、少数民族への人権侵害であり、子供たちから教育を受ける権利を奪うものであり、110年以上前の日韓併合によって「在日朝鮮人」という存在を生み出した加害責任の放棄と映る。
 ソルティも基本、朝鮮学校に対する“不当な”差別には反対である。

 ただ、本作では肝心の朝鮮学校の教育内容が語られていない。
 朝鮮文化や歴史を学ぶ授業があることは触れられているが、現在のかの国の体制(=金主席による軍事独裁政権)を踏まえての具体的な政治教育の中味が語られていない。
 つまり、金主席を自由に批判できるような民主主義教育がなされているのか?
 そこのところが伏せられている。
 そのために、かつてソルティが抱いた“悪いイメージ”ほどではないにしても、やっぱり学校関係者は今の金政権や全体主義国家体制を批判できていないのではないかという疑問が残る。
 たとえば高監督は、生徒たちや教師や親御さんに直接マイクを向け、「いまの北朝鮮の体制をどう思っていますか?」といった質問さえ投げかけていない。
 そこを省いて(隠蔽して)、「子どもが教育を受ける権利」とか「少数民族の伝統や文化を守る権利」を主張されても、今一つ腑に落ちないものがあるのが正直なところ。

 (実際の朝鮮学校がどうなのかは知るところでないが)今の北朝鮮の体制を賛美肯定するような教育を行っている学校を、民主主義を標榜する日本国家がどこまで認めて公金で支えるか、そこは難しい判断であろう。

 一方、作中に登場する某右翼団体のような、当事者(しかも子どもたち!)に対するヘイトスピーチや威嚇行為は理由がなんであろうと決して許されるものではないし、それを取り締まらない行政のありようは差別を助長する人権侵害であるのは明らかである。
 その判断は難しくないはずだ。

 
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おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損