2021年中公新書ラクレ

 森村誠一と言えば、映画にもなった『人間の証明』や『野性の証明』、太平洋戦争時の731部隊の戦慄すべき人体実験の様を暴いたノンフィクション『悪魔の飽食』などのベストセラーで一世を風靡した作家である。
 ソルティも十代の頃、上記の映画を観て人並みに感動したし、大学生のときに『悪魔の飽食』を読んで衝撃を受けたものである。
 だが、作家としての森村誠一が好きかと言えば、残念ながら、肌に合わない作家の一人であった。
 いくつかの小説には手をつけてみたが、途中挫折した。
 
 一番の原因は、この作家、基本マッチョイズムなんである。
 高倉健の娘役でデビューした薬師丸ひろ子が一躍スター入りを果たした『野性の証明』なんか、主題歌からしてもろマッチョであった。
 男はだれもみな孤独な戦士――である。
 どうあがいてもマッチョになれない軟弱なソルティは、こういうドラマに接するとかつてはコンプレックスを抱きがちだった。
 登場する男たちの思考や言動をよく理解できなかったし(なんですぐ暴言を吐き暴力を振るうんだろう?)、主人公であるヒーローの生き方にも共感できなかった。
 ハードボイルドはソルティの鬼門であった。
 横溝正史や松本清張は読めても、森村誠一は読めなかった。

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 どうして本書を手に取ったかと言えば、80歳を過ぎた森村誠一が鬱病を発症し、それを告白しているという触れ込みを広告に見たからである。
 森村誠一と鬱病・・・。
 いや、マッチョだって鬱になる権利はある。
 しかし、鬱病になったことをカミングアウトするのは、マッチョにはなかなかできないところであろう。
 しかも、森村誠一は1933年(昭和8年)生まれ。
 石原慎太郎しかり、この世代の日本の男は他人に“弱さ”を見せることを極端に嫌う。
 実際、本書あとがきによると、「先生の作品には強いヒーローが登場しますが、病気もする、人生に苦悩する人間・森村誠一の老い方の本を作りませんか」という編集者の依頼に対し、森村は、

 読者に夢を与える作家は、弱い一面を見せてはいけない」と一度は断った。

――そうである。
 今の若い人にはなかなか理解できない思考回路であろう。
 世界トップランクのテニスプレイヤーである大坂なおみが最近鬱病を告白して話題になったけれど、それによって「夢が壊れた」、「大坂には失望した」なんて思うテニスファンがいるだろうか?
 むしろ、あんなに強いフィジカルとメンタルを持っているアスリートでさえ、名声もお金も恋人も手に入れたスーパースターでさえ鬱病になるんだと、一般庶民の多くはどこかホッとして、かえって大坂に共感を覚え、より応援していきたいと思ったのではなかろうか。(ソルティはそうである)
 「だって、彼女は女じゃないか!」だって?
 それこそマッチョイズム特有のジェンダーバイアスである。

 令和の現在、鬱病であることは恥でも敗北でもない。
 それを告白することは「弱さの証明」ではない。
 いや、弱くったって別にいいじゃないか!
 こんな複雑で目まぐるしく、人間関係ややこしく、大自然との絆も断たれ、自己肯定しづらい時代に、一生鬱病にならないでいられる人のほうが、むしろ珍しいのではないか?
 鈍感すぎるのではないか?
 鬱病こそ、「人間(らしさ)の証明」である。

 昭和時代、鬱病のスティグマは強かった。
 うかつに患者に近寄れば感染してしまう業病のように、鬱病は忌み嫌われた。
 苦悩の大きさの度合いで感受性と天才性を顕示できる芸術家は別として、大の男が鬱を告白することは社会的な死にも等しかった。
 男は黙って「〇大ハム」(ん? なんか違う?)
 昭和ヒトケタの森村にとって、この告白は、それこそ“清水の舞台から飛び降りる”思いだったはずである。
 マッチョからの転落。
 下手すると長年のファンを失望させ、逃げられてしまうかも・・・。
 それゆえ、鬱病になってそこから生還した森村がどう変化したのか、今回思い切ってカミングアウトしたことでなにか心境の変化はあったのか、そのあたりに興味を持ったのである。

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 その日の朝はいつもと違った。 
 今日も充実した時間を過ごせるだろうと思っていた早朝、いつものようにベランダに出て、爽やかな空気を吸いながら身体を動かそうとしたとき、違和感を覚えた。
 前日までとはまったく違ったように、朝がどんよりと濁っていたのである。

 最初のうちは気のせいだとも思った。
 しかし、仕事部屋で原稿用紙に向かったときに愕然とした。
 原稿を書き進めていこうとすると、これまで書いてきた文章とはまったく違う雑然とした文体になっていたのである。
 言葉が、文章が、汚れきっていたのである。

 病院に診断結果を聞きに行って、わかった。
 老人性うつ病という暗い暗いトンネルに入ってしまっていたのである。

 本書によれば、2015年から3年近く“暗いトンネル”の中にいたようである。
 ちなみに、「老人性うつ病」と言うのは正式な病名ではない。
 単に65歳以上の人がかかる鬱病を便宜的にそう呼ぶだけであって、症状や治療法に65歳未満の鬱病と大きな違いがあるわけではない。
 認知症と間違われやすい、不眠や食欲不振や疲労感など身体症状として表れやすいといったあたりが「老人性」の特徴と言われている。

 森村は、「極端な多忙による疲労によって、そうなった」と自己診断している。
 たしかに人気作家だけに執筆や講演に追われる日々を送っていたのだろう。
 が、鬱病の原因は「よくわからない」というのが今の医学の見解である。
 (ソルティが15年くらい前に鬱を患ったときも、「ある日突然、予兆もなく、自転車を漕ぐのがしんどくなった」という気づきから始まった)

 森村は、体力・気力・集中力の低下、物忘れがひどくなる、食欲不振と体重減少、興味・関心の薄れ、社会からの疎外感、喉の違和感、便秘・・・など、鬱病一般の症状に苦しめられたことを記している。
 とくに、「言葉が出てこない」ことに非常に焦りと恐怖を感じたようで、手元にあった雑紙に頭に浮かび上がる単語をひたすら書きつけていったことが写真付きで語られている。
 言葉を武器とする小説家という職業ならではであろう。
 おそらく本書に書いてあるのはほんの触りで、もっとしんどい症状や簡単には口にできないエピソードがあったのではなかろうか?
 同じ高齢男性の鬱病と引きこもりからの生還を描いた『あなたを自殺させない 命の相談所「蜘蛛の糸」佐藤久男の闘い』(中村智志著、新潮社)に比べると、遠慮がちなものを感じる。
 
 3年たって無事、鬱病を“克服”した森村は、執筆生活に戻ることができた。
 その後はいっそう充実した老いを生きるべく、意気軒昂である。

 たとえ老いても、「人間枯れたらおしまいだ」という執念が必要になる。
 「自分は絶対枯れない」という意志を強固にして、そのための生き方を考える。
 人間は歳を重ねても、欲望を持ち続けていれば、艶がなくならない。
 生涯現役で生きていこうと考えるなら、欲望はビタミンと同じように絶対に必要なものになる。
 
 高齢化社会では、寂しさに耐える覚悟が求められ、自分の死に対しては責任を持たなければならない。それがなければ、無責任な孤立死につながっていく。
 
 仕事はやめても、臨戦態勢のままいることが大切になる。
 「生きていく緊張感」を失ってはいけないということだ。
 生きていく緊張感を失うというのは、人生を放棄したことを意味する。そうなってしまえば、老いるのが早くなる。

 あいかわらずのマッチョぶり。
 鬱を“克服”したことが、さらなる自信につながったかのようだ。(ソルティは、鬱は一度取りつかれたらトンネルを抜けることはあっても生涯付き合っていかざるを得ない背後霊のようなもので、“克服”され得ないと思っている)
 自身の小説に登場するヒーロー同様、死ぬまで戦士でいる心づもり満々。

 「三つ子の魂百まで」なので、そこは無理もないし、人の自由である。
 なによりもその堅忍不抜な精神によって作家として成功したのであるから、生き方を変える必要はさらさらない。
 これからも充実した執筆活動を続けていただきたいと思う。 
 ただ、鬱を患いそれを告白したことによって、もうちょっとマッチョイズムからの退却が見られるかと思ったのだが、その点は肩透かしだった。
 わずかに、あとがきで次のような文章があるのが目を惹いた。

 人間老いれば、病気もするし、悩み苦しむ。老いれば他人にも迷惑をかけることもある。他人に助けてもらわないといけないことだらけだ。それが老いというものなのである。 

作家バリバリ


 それにしても、森村誠一に限らず、五木寛之や上野千鶴子曽野綾子キケロ―など、いろいろな作家が老いについて指南しているのをこれまで読んできたが、正直どれも、非常に参考になったとは言い難い。
 なぜというからに、みんな社会的成功者ばかりで、金も人脈も発言力もある人たちだからである。
 ソルティ含む一介の庶民とは立場的にかけ離れたところにいる。
 とくに老後資金のある無しは大きい。
 貧乏で、無名で、交友関係もさして広くなく、平凡な人生を送ってきた人の中に、老いをありのままに受けとめて、穏やかに、力むことなく、自暴自棄になることもなく、日々を大切に生きている高齢者がいたら、その人の言葉こそ市井の読者の役に立つであろうに・・・・。
 そう思って、ハタと気づいた。

 ブッダの教えこそ、まさに無名の庶民に惜しみなく開かれた最高の老いの指南書じゃないか!

 たとえ巨額の財産があなたのものになっても、世界中の人があなたにひれ伏したとしても、心の平穏がなければ、幸福にはなれません。年をとりたくない、死にたくないと怯えながら生活するのは、とても不幸なことなのです。

 この世が、すべてが変化し続ける無常の世界だと気づけば、何に頼ることも、依存することも、執着することもできません。だって変わってしまうのですから、それに値しないのです。すると心は穏やかに安定して、怒りや憎しみもなくなっていきます。
(アルボムッレ・スマナサーラ著『老いと死について』、大和書房刊より)

 ついでに言えば、ヴィッパサナー瞑想(マインドフルネス瞑想)ほど鬱病に効く治療法はないとソルティは思う。
 
  




おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損