2017年ハンガリー
116分
雪におおわれた森の中、見事な角をもつ雄鹿と淋しげな目をした雌鹿とが静かに戯れている。
連夜のように同じ“鹿の夢”を見ている食肉工場で働く男と女。エンドレ(=ゲーザ・モルチャーニ)は妻と別れてから人を愛することをやめた中年男性、左腕が不自由である。マーリア(=アレクサンドラ・ボルベーイ)は発達障害気味の風変りな若い女性、異常なまでの記憶力をもち人と触れ合うのが苦手。ひょんなことから、夢を共有していることを知った二人は互いを意識し合う。
不器用な男女のスピリチュアル風恋愛ドラマなのであるが、この内気さと生真面目さは日本人には共感しやすいと思う。
ハンガリーは自殺大国の汚名を得ていて、本作でもエンドレとの関係に絶望したマーリアが簡単に自殺を決行するシーンがある。
どちらかと言えば悲観的に物事をとらえるところも、日本人と似ているのかもしれない。
二人の恋の行方も気になるが、本作でより気になったのは二人の職場である食肉工場における牛の解体シーンである。
むろん映しだされるのは、かつての日本の被差別部落であったと聞くような、丸ごと一頭の牛を下帯一つだけの男が熟練したナイフさばきで血だらけになって解体する、といった生々しく骨の折れる命との格闘風景ではない。
製薬工場や製パン工場と変わりのない、完全にオートメーションされ分業化された、無機質と思えるほどの流れ作業である。
牛たちは名前も個別性も持たず、AランクとかBランクとか肉質のみで識別される。
工場の採用面接にやって来た若い男に、エンドレは尋ねる。
「殺される牛を哀れだと思うか?」
若い男は答える。
「なんとも思いませんよ。血も平気です」
エンドレは言う。
「哀れむ気持ちがなければ勤まらない。神経をやられる」
現在、欧米を中心にヴィーガニズムが非常な勢いを見せている。
ヴィーガニズムとは
衣食他全ての目的において――実践不可能ではない限り――いかなる方法による動物からの搾取、及び動物への残酷な行為の排斥に努める哲学と生き方を表す。(ウィキペディア『ヴィーガニズム』より抜粋)
卵や乳製品も口にしない、毛皮や革の使用にも反対する、ベジタリアンよりもっと徹底した脱搾取主義である。
その是非をここで論じるつもりはないが、そうした風潮の中でわざわざ食肉工場を舞台に選び、牛が瞬殺され解体される一連の流れを描いた映画が制作され、それが国際的な評価(第67回ベルリン国際映画祭金熊賞、第90回アカデミー賞外国語映画賞候補)を得たという事実は、何を意味するのだろう?
これは恋愛ドラマを隠れ蓑にしたヴィーガニズム推奨映画なのだろうか?
よくわからないが、仮に二人が見た夢の主役が鹿ではなく牛だったら、ものすごいブラックジョークになっていたのは確かである。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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