1974年東映
94分

 東映ヤクザ映画の極北と言われる作品で、渡哲也の代表作の一つ。

 あまたのヤクザ映画と一味違うのは、これが実在したヤクザの半生を描いたノンフィクションであるところ。
 大正15年、茨城県水戸市の貧しい家に生まれ、「ヤクザになるため」に東京に出てきた石川力夫という男の、まさに破滅に向かって一直線の生きざま・死にざまが描かれる。

 石川を演じる渡は当時35歳。
 膠原病を発症し、最初の長い入院から復帰したばかりであった。
 体調は万全でなく、撮影中に点滴を打っていたという。
 渡の生に対する欲望、映画にかける執念が凄まじい気迫を生み、石川力夫が乗り移ったかのような迫真の演技となっている。
 かつて属した組の親分や舎弟らの面前で、自殺した妻の骨をぽりぽり齧るシーンの表情には鬼気迫るものがある。

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 仏教で言う阿修羅道は「闘うことが生きがいとなっている亡者の集まるところ」であるが、ヤクザの世界はまさに阿修羅道そのものであろう。
 切った張ったの世界。
 ただ、その中でも一応ルールはあって、極道に生きる者としてやってはならないこと、やらなければならないことはあるらしい。
 そういうルールを象徴する言葉が「仁義」である。
 たとえば、親分や兄弟分を手にかけるのは決してやってはならないことの一つであり、仁義にもとる行いである。

 石川力夫が伝説となったのはまさにそのルールを踏みにじったからで、一宿一飯以上の恩義ある親分を日本刀で切りつけ、なにかと庇い続けてくれた兄弟分をピストルで射殺してしまう。
 仁義もルールもしがらみも一切関係なく、気の向くままに暴力沙汰を引き起こす。
 置屋で出会い死ぬ前には妻にした女・地恵子(=多岐川裕美)にも、「金が要るから体を売ってこい」となんの躊躇いもなく言ってのける。
 今風に言うなら、サイコパスに近い。
 
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多岐川裕美(当時23歳)
 
 “普通の”ヤクザ映画とは異なる点はほかにもあって、本作の導入部では石川力夫の生い立ちが、古い白黒写真と当時を知る人々の証言とで綴られる。
 証言の一つによると、「一回泣き出すと、2時間でも3時間でも泣き続けていた」というから、疳の強い子供だったのだろう。
 
 手元にある『スクリーンのなかの他者』(岩波書店刊行『日本映画は生きている』シリーズ第4巻)の中で、高澤秀次という文芸評論家がこの導入シーンに言及し、石川力夫と部落差別を結びつけるような論を展開している。
 曰く、「この男をつき動かしてきたものが、和解しがたい出自にまつわる恨みであった」。
 事実のほどは知らないけれど、たとえ石川力夫が部落出身者であったとしても、死に場所を探しているかのような無軌道な生き方は、それのみによって説明できるところではなかろう。
 なぜなら、ヤクザの世界に部落出身者や在日コリアンが多いことは昔からよく知られているからである。(昨今の様子は知るところではない)
 
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 石川力夫は府中刑務所に収容されていた30歳の時に、屋上から飛び降りて自殺した。
 彼の胸中に何があったのか、人生をどう総括していたのか、もはや想像の域を出ない。
 映画の最後では、独房の壁に殴り書きされた辞世の句が映される。
 
 大笑い 三十年の 馬鹿騒ぎ
 
 
 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損