1975年東映
93分
渡哲也主演『仁義の墓場』(1974)と並ぶ東映ヤクザ実録シリーズ中の異色作。
1950年代の暴力団抗争を描く。
主役の花木勇(=小林旭)のモデルとなったのは、当時全国制覇を企む山口組の傘下にあって切り込み部隊として全国にその名を轟かした柳川組の頭、柳川次郎である。
“殺しの軍団”としてヤクザからも恐れられた柳川組は、柳川次郎(本名は梁元錫 ヤン・ウォンソク)はじめ在日コリアンを主とするグループだったらしい。
そこに焦点を当てたところが、単なる殴り合いとドンパチの暴力団映画、血糊飛び交うスプラッタ映画、組同士が奸智を弄する壮絶な国盗り合戦、とは異なる“文学的・政治社会的”なニュアンスを作品にもたらしている。
つまり、在日コリアンの悲惨な歴史と彼らがこの国で受けてきた差別が通低音として響いている。
クールで寡黙なボスである花木勇とは違い、情熱家で率直な感情表現をこととするのは花木と固い絆で結ばれた兄弟分、金光幸司(=梅宮辰夫)。
彼もまた在日である。
金光の吐くセリフからは、在日コリアンが背負ってきた重荷が伺える。
「わいの親父は無理やり日本に連れてこられて、炭鉱にぶち込まれて、モグラのように殺されおった」(彼は2世なのだ)
「わいらには墓はない」
(戦後、在日コリアンは地域の共同墓地に墓を立てることができなかった)
(戦後、在日コリアンは地域の共同墓地に墓を立てることができなかった)
また、酔っぱらった金光が必ず歌うのが、1930年代の満州でヒットした軍歌の替え歌である『満鉄小唄』。
この唄は、満州で日本人相手に売春する朝鮮人女性を描いた春歌で、元歌をはるかに凌駕する知名度と生命力を得て、歌い継がれてきた。
大島渚監督『日本春歌考』の中でも、吉田日出子演じる在日らしき女子高生によって口ずさまれている。
次のような歌詞だ。
雨がショポショポ降る晩にカラス(ガラス)の窓から覗いてる満鉄の金ポタンのパカ野郎触るはゴチ銭(五十銭)、見るはタダ三円ゴチ銭くれたならカシワ(鶏)の鳴くまでボボ(セックス)しゅるわ登楼る(あがる)の帰るの、どうしゅるの早くセイチン(精神)決めなしゃい決めたらケタ(下駄)持ってあがんなしゃいお客さんこのごろ、紙高い帳場の手前もあるでしょうゴチ銭、祝儀をお足しなさいそしたらアタイもせい出してフタチ(二つ)もミッチ(三つ)もオマケしてカシワの鳴くまでボボしゅるわああ、騙された騙されたゴチ銭硬貨と思うたにビール瓶のフタだよ、騙された

南満州鉄道
花木勇を演じる小林旭が超カッコイイ。
クールで暗い眼差しと精悍な顔立ちは、松田龍平を思わせる。
ソルティの世代だと、“赤い”トラクターのCMと大ヒット曲『熱き心に』のイメージが強いので、歌の上手くて田舎っぽい無口なトッチャンという印象が強かった。
こんなにカッコよく、芝居も(もちろん歌も)上手く、陰を出せる役者だとは知らなかった。
もっとも、陰の表現の見事さは演出や照明の力によるところも大きい。
辰っちゃんこと梅宮辰夫も他の役者に替えがたい個性が光る。
河原での死闘の果てに、血まみれになった金光がたくさんの真っ白いシーツ(?)に取り囲まれて息を絶えるシーンの美しさは、全編中の白眉である。
組の幹部を演じる小松方正、遠藤太津朗らのふてぶてしい貫禄も見物である。
また、冒頭に出てくる当時の大阪の朝鮮人部落(鶴橋あたり)の描写も興味深い。
小林旭と梅宮辰夫
厳しい差別を受けてきた(受けている)からと言って、暴力行為を免罪することはできない。
言い訳にはできない。
だが、己の命も将来もまったく顧みない花木の捨て鉢な生き方には、蓄積された怒りや恨みや絶望や哀しみが潜んでいるのは確かであろう。
ラストシーンで花木は、命令に背いて金光の仇を取ったことにより、属していた天誠会から破門される。
ナレーションはこう締めくくる。
「だが彼は、もともとすべてから破門されていた」
おすすめ度 :★★★★
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★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損