1973年光文社
2006年光文社文庫

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 上下巻合計400万部の大ベストセラーにして、日本SF界の金字塔である本作をついに読んだ。
 むろん、映画のほうは、森谷司郎監督、小林桂樹、丹波哲郎、いしだあゆみら出演の1973年版を観ているし、小林桂樹、村野武範、由美かおるらが出演した1974年のテレビドラマ版も観ている。
 なにせ小学生の頃で、火山が噴火し、地割れした日本列島が海に沈んでいく特撮シーンくらいしか記憶に残っていない。
 樋口真嗣監督、草彅剛、柴咲コウ共演の2006年版の映画は観ていないが、同じ年に封切られた『日本以外全部沈没』(樋口真嗣監督)は劇場まで見に行った。期待外れだった。
 この秋(10月10日より)TBS系列にて、小栗旬、松山ケンイチ、杏ら共演で再ドラマ化されるとか。
 小松左京リバイバルが起こっているのかもしれない。

 刊行から半世紀近く経って読んでみて、まったく古びた感がないのに驚く。
 それどころか、いよいよもって迫真性が高い。
 それもそのはず、1973年の日本人はいまだ、阪神・淡路大震災も、東日本大震災および福島第一原発事故も、今回のコロナ禍も経験していないからである。
 本作で小松が無尽の想像力を駆使して描き出している大地震や津波による都市の被害、災害下における日本人の振る舞い、緊急事態宣言下で起こるパニックや一部暴徒による利己的行動・・・。
 2021年の日本人はそれらを経験として知っている。
 自然災害によって生じる物理的被害のありようも、社会・経済的被害のありようも、「日本人」という民族的特質が絡んださまざまな心理的現象のありようも知っている。
 それが本書で、あたかも予言のように披瀝されているのを見る。

 子供の頃『日本沈没』を観たときは、“現実にはありえない”世紀末的スペクタクルとして作品を楽しむことができた。当時流行った『ノストラダムスの大予言』や『復活の日』も同じである。
 しかし、2021年の今、本作を読んでいるとデジャビュー(既視感)に襲われる。
 すでに起こったことの記録や検証のように思える。
 「今ここにある」危機を映しているように思える。
 なんたって、緊急事態宣言が形骸化する「今」なのだ!

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Sofia TerzoniによるPixabayからの画像


 知の巨人たる小松左京の博覧強記、徹底した取材・調査力、科学や工学に関する深い造詣、驚くべき斬新なアイデアとそれを科学的に裏付けることのできる理論構築力、そして専門家にしか理解できないような難解な事柄をきちんと盛り込みながらも読者をつかんで離さないストーリーテリングの巧みさ。
 天才とはこういう人のことを言うのだろう。

 今回、初めて知って驚いたのだが、小松左京は理系出身ではなかった。
 プロフィールに京都大学文学部イタリア文学専攻とある。
 イタリア文学専攻のSF作家だったとは!
 意外な気もしたが、読んでいるうちに「なるほど」と首肯できるところもあった。
 単なるカタストロフィ・パニック以上の文学性、哲学性が光っている。
 文章や描写もまた、非常に気高く美しい箇所が散見される。
 未曽有の悲劇において露呈される日本人の姿を描き出すことを通して、ある種の文明批評、日本人論にもなっている。
 そもそも、『日本沈没』も『復活の日』も一種の“地獄めぐり”であり、そこにイタリアの大作家ダンテの『神曲』が投影されている。
 煉獄の試練をへて“神的なもの”に至る――それが小松の終生のテーマだったのかもしれない。


 以下、引用。

 ――災厄は、何事につけても、新旧のラジカルな衝突をいやがる傾向にあるこの国にとって、むしろ人為的にでなく、古いどうしようもないものを地上から一掃する天の配剤として、うけとられてきたようなふしがある。
 この国の政治も、合理的で明晰で図式的な意志よりも、無意識的な皮膚感覚の鋭敏さに、より多くのものを負うてきた、この古くからの高密度な社会における政治においては、誰一人意識的にそうするわけではないにもかかわらず、結果的には、災厄を利用するという国民的な政治伝統がそなわっているみたいだった。(上巻154ページ)

 ――「大衆社会」というのは、全体的に「統制」をきらい、統制側も弱腰で「緊急事態」に対する心がまえのない、抑制のきかない社会だった。ふつうの時はいいが、いったん社会全体が危機におちいると、いたるところに、贅沢で、わがままで、傲慢になった人々によって、混乱と無秩序がひき起こされる。(上巻382ページ)

 長い鎖国――明治大正昭和も、一般民衆にとっては、一種の鎖国だった――を通じて培われた、抜きがたい「同朋意識」が・・・天皇の一声で戦争をやめ、戦後、政府、軍閥を口先では、はげしくののしりながら、十三名のA級戦犯刑の時、後ろめたさと内心の痛みを感じさせたような、「政府―指導者」との、郷党意識をはるかに越える一体感、「共同体感覚」――むしろ、子が親に、「最後は何とかしてくれる」と思い、そう思うことでつながりを保証するような「国に対する甘え」の感覚が、今もなお、大部分の民衆の心の底に根強く、わだかまっており、それが彼らに、「危機における従順と諦念」の基本的行動様式をとらせていた。(下巻219ページ)

 日本人は・・・ただこの島にどこかから移り住んだ、というだけではありません。あとからやって来たものも、やがて同じことになりますが・・・日本人は、人間だけが日本人というわけではありません。日本人というものは・・・この四つの島、この自然、この山や川、この森や草や生き物、町や村、先人の住み残した遺跡と一体なんです。日本人と富士山や、日本アルプスや、利根川や、足摺岬は、同じものなんです。このデリケートな自然が・・・島が・・・破壊され、消え失せてしまえば・・・もう、日本人というものはなくなるのです・・・・。(下巻373ページ)


 最後に――。
 本作で小松が(周到にも?)言及や解釈を避けた日本人のアイデンティティが一つある。
 天皇である。(作品の中では沈没前にスイスに移住)
 小松左京は天皇制をどう思っていたのだろう?

錦の御旗



おすすめ度 :★★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損