連休と有休を利用して、4泊5日の秩父リトリートを決行した。
 コロナ禍になって3回目となる。
 もう、暇があれば秩父に足が向いている。
 秩父34札所巡りを結願してから、秩父と縁ができてしまったようだ。

 今回も、NO テレビ、NO スマホ、NO アルコール、NO 会話、NO エッチ、NO 過食の環境設定で、瞑想&読書&散歩の孤独でストイックな日々を過ごした。(本は仏教書持参)
 大概の人にとってはおそらく苦痛でしかないであろうこの環境を、むしろ快と感じるこの頃なのだから、ソルティも半聖半俗というか、修行マニアというか、隠居寸前というか・・・・変わり者なのだろう。
 自分にとってはもはや苦行ではなくて、楽行なのだ。
 コロナやワクチンや政権争いや皇室スキャンダルでかまびすしい世間から、いっとき身を離すのが嬉しい。
 一日中、マスクをしないで過ごせるディスタンス度が心地良い。 

 今回は散策中に秋の花々を愛でることができ、喜びもひとしおであった。
 年をとるにつれ、花が好きになる。
 それも、誰に待たれることなく今年も咲いてくれる、道端の小さな花が愛おしい。


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曼殊沙華が満開であった(札所16番前)

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秋桜もいまが盛り

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朝顔はいまや秋の花

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桔梗は秋の七草の一つだが、実際には初夏から咲いている

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 秩父は戦災を受けなかったので、古くからの建物があちこちに残っている。
 それらを見つけるのも楽しい。
 やはり年をとるにつれ、伝統的な日本建築の美しさに惹かれていく。


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大林宣彦監督の映画に出てきさうな・・・

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散歩途中よく猫と出会う 

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荒川河川敷に降りてみた
いまはBBQ禁止になっている

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左奥に武甲山を望む

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秩父公園橋を見上げる


 毎朝、宿から秩父神社まで歩いて参拝するのが日課。
 これが実に気分いい。
 早朝の秩父盆地に憩うさわやかな大気、悠然と町を見守る武甲山の雄姿、柞の杜(ハハソのもり)に囲まれた秩父神社の神聖にして清冽なる気。
 参拝後に境内のベンチで小一時間も瞑想すると心身はこの上なく、清らかに鎮まる。
 この清らかさ、なにものにも代え難い。
 それは、欲望が満たされた時に感じるような「天にも昇る」幸福感ではないけれど、それよりずっと安定していて、自ら作りだすことができるので依存性もなく、失うことの不安や恐れもない。
 決して特別なものではなく、心が妄想に(過去や未来に)かまけてさえいなければ「今ここ」で実現しうる穏やかな静謐。
 足すことでなく引くことで、求めることでなく捨て去ることで見出せる、遠慮がちな至福である。 

 自分がずっと求め続けていたのはこれだったんじゃないか!

 ハハソの森のどこかで、コノハズクが「ブッポウソウ、仏法僧」と鳴いていた。


秩父神社
秩父神社本殿



 最終日、秩父鉄道皆野駅から出ている無料シャトルバスに乗って、秩父市下吉田にある星音の湯(せいねのゆ)に足を延ばした。
 山と畑に囲まれた隠れ家的温泉。
 バスを降りたらどうもデジャヴュがある。
 地図を見て気づいた。
 秩父札所33番から34番への道筋にある。
 巡礼したとき、この横を通っていたはずなのだ。


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広々と解放感あるロケーション

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 平日の午前中で、露天風呂独り占めできた。
 肌がつるつる(ヌルヌル?)してくる泉質もすばらしいが、檜づくりの日本家屋に囲まれた水音ゆかしい中庭が風流であった。
 おりしも十五夜、ススキやお団子が供えられていた。


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擂ったクルミ入りのつゆにつけて蕎麦を食べるのが秩父風
もちろん、わらじカツは定番