2008年韓国
107分、朝鮮語

 DVDパッケージの解説を読むと、「北朝鮮の現実、脱北者の姿を描いたフィクション」とあったので、悲惨で重苦しいドキュメンタリータッチの社会派ドラマを予想していた。
 が、最初の数シーンで印象が変わった。
 まぎれもない“映画”である。

 貧困や病気や暴力などの悲惨な現実を映しながらも、ただならぬ美しさと背筋がざわざわするようなフィルムの手触りがそこにあった。
 語り口や撮影や演出もうまい。
 キム・テギュン監督の作品を観るのはこれがはじめてだが、韓国のスピルバーグと言っても遜色ない才能を感じた。

 北朝鮮ナショナルチームの元サッカー選手キム・ヨンス(=チャ・インピョ)は、結核で妊娠中の妻の薬を手に入れるため中国に密入国するが、公安につかまってしまう。人権団体の助けによりなんとか強制送還を逃れ韓国に渡ったものの、その間に故国に残された妻は亡くなり、一人息子ジュニは路頭に迷ったあげく収容施設に入れられてしまう。
 妻の死を知ってショックを受け、自らを責め、神(イエス)をののしるヨンスであったが、せめて息子を韓国に呼び寄せようとブローカーに依頼する。
 ブローカーの差し金で収容施設から救い出されたジュニは、国境を越えて中国に入り、モンゴルの砂漠に解放される。
 ジュニは父親との再会を願って、ただひとり砂漠を歩き出す。

 クロッシング(crossing)というタイトルはおそらく、「横断、縦断、越境」すなわち「国境を超える」意であると同時に、キム親子の心のつながりであるサッカーの「クロス(センタリング)」であり、さらには「十字を切る」すなわち「神への祈り」を含意しているのではなかろうか。
 はたして、息子と会いたいというヨンスの祈りは届くのか?
 父と子の再会は果たされるのか?
 二人はふたたびドリブル練習できるのか?


IMG_20211013_152229
父を探して砂漠をさすらうジュニ少年


 とにかく主人公の少年ジュニを演じるシン・ミョンチョルが凄い。
 これだけ観る者を泣かせる少年の演技は、往年の名作『穢れなき悪戯』のパブリート・カルボ、『誰も知らない』の柳楽優弥、『マイ・フレンド・フォーエバー』のブラッド・レンフロ、そして『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』の野原しんのすけ――くらいではないか。
 ソルティの涙腺は少なくとも4回は崩壊した。

 というと、お涙頂戴のあざといドラマと思うかもしれない。
 だが、豊かな国に生まれ育った観客たちの“上から目線”の皮相な見方や醒めたコメントをはねのけるに十分な、あまりにむごい北朝鮮の現実があり、その中で家族とともに生き延びようともがく庶民の姿がある。
 なんと言っても、国自体が強制収容所なのである。


IMG_20211013_152342
収容所からの脱走者を捕らえる北朝鮮の兵士


 この映画が製作されたのは2008年で、当時の最高指導者は金正日(キム・ジョンイル)。
 それからすでに13年が経っている。
 今もこの映画に描かれているような庶民の生活が続いているのだろうか?
 それとも、金正恩(キム・ジョンウン)のいや増す狂気とコロナ禍により、地獄化が進行しているのだろうか?
 気になるところである。

 江戸時代の百姓なら、隣国の現実、世界で起こっている悲劇など知らないで太平楽に生きられた。
 現代では、ミャンマーの内紛もアフガニスタンの混乱も新疆ウイグル自治区のジェノサイドも、情報はリアルタイムの映像付きでスマホを通して飛び込んでくる。某バーガーチェーンのクーポン券と横並びに・・・。
 世界の悲惨を知らないでハッピーに生きるか。
 知って多少の後ろめたさや抑鬱気分とともに生きるか。
 あるいは、知って無視してハッピーに生きるか。
 我らはいずれかを選択しなければならない時代に生きている。



おすすめ度 :★★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損