PARTⅠ 2008年、145分
PRATⅡ 2009年、144分
製作国 中華人民共和国
中国語
映画というものは、もっとも金と労力と人手がかかり、もっとも投機リスクの高い芸術である。社会的には必ずしも無くてはならないものでもない。
それだけに、前編・後編合わせて5時間近い本格歴史&戦闘ドラマを、このようなレベルの高さで制作できてしまうところに、現代中国の国力の大きさがありありと示されている。
国力を効率的に傾注できる共産主義国家か否かという点や、欲しい映像効果が自在に得られるCGやVOXの活用という点は別にしても、もはやアメリカでさえ、このレベルの大作映画を製作するのは困難であろう。
セットの豪華さ、エキストラ(動物含む)の数、野外ロケの迫力、戦闘シーンの凄まじさ、美術も音楽も撮影も役者も見事に揃って、超弩級のエンターテインメントに仕上がっている。(音楽は日本の岩代太郎と東京都交響楽団が担当)
ハリウッド映画全盛期に作られた『風と共に去りぬ』(1939)のみが、これに匹敵する圧倒的パワーを有す。
恐るべき中国!
もちろん、これだけの大作映画を作ることができる国民的物語を持っているということも背景にある。
『三国志』の舞台は2~3世紀。日本はまだ弥生時代、邪馬台国はあったかもしれないが、日本という国はなかった。
アメリカ大陸と来た日には、まったくの先史時代である。
中国文明の長さと深さには恐れ入る
本映画を観て疑問に思うことの一つは、『三国志』に登場する古代の中国人の人生観なり死生観、国家観なり君主観、処世術なり教訓といったものが、現在の共産主義国家下の中国人にどの程度受け継がれているのか、という点である。
たとえば、登場人物のセリフの中で、ハッとしたものがある。
いわゆる「天命思想」である。
中国の独特の政治哲学思想。その意味は天の下す命令で、有徳者に天子たるを命じ、無徳者に喪亡を下すのみならず、政治や行為の善悪にも福祥や災禍を下して賞罰警戒するものと考えられた。(『旺文社世界史事典』三訂版より抜粋)
天下を取る者になにより必要とされるのは「徳」という思想。
本作でも、呉の武将たる周瑜(しゅうゆ=トニー・レオン)や蜀漢の国の王たる劉備(りゅうび=ヨウ・ヨン)が、リーダーたる資格を周囲に示し「この人についていこう」と思わせるのは、彼らが部下や庶民にほどこす優しさや謙遜の姿勢であることを描写するシーンが出てくる。
決して武芸や腕力などの戦闘能力、政治力や駆け引きの巧みさなどの知力だけではないのである。
今の中国にも天命思想は生きているのだろうか?
中国人は、共産党の幹部たち、とくに習近平国家主席にはたして「徳」を見ているのだろうか?
日本の約26倍もの国土や14億の民を率いる「赤い鉄壁」のリーダーとして適格だと思っているのだろうか?
それとも、上から下まで「徳」よりも「得」を重んじているのだろうか?
いやいや、他国のことばかり言ってられない。
日本の民こそ、リーダーに何を求めるべきか考えないといかん。
こういった風水的セリフも『三国志』の定番だが。
いまのリーダーは「天候」ではなく「核」と思っているのでは・・・
蜀漢の軍司・諸葛孔明を演じる金城武
日本の芸能界には大きすぎた人
(深キョン、中山美穂と共演したこともあったっけ)
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
徳を損なわないため高級幹部に取り繕わせてる
そんなことをやってんです儒教の国だから
「徳治主義」
徳治主義において、政治や物事がうまくいかない場合、
上位者、すなわち、王や大統領、その他会社のトップ、上司などに徳がないからとみなされる。
しかし、上位者(王や大統領など)は徳があるとみなされているため、
どのような手段、方法を使ってでも良い結果を出さねばならない。
中国国内ガタガタで冬季に石炭枯渇でやっばいのに
軍事行動起こして世界覇権に盲進してるのは
きんぺーの徳を保全するためなんです
ソルティはかた
が
しました