2020年三五館シンシャ発行、フォレスト出版発売

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 「テゲテゲ」とは鹿児島弁で「適当に」という意味で、「テゲテゲやらんな」(=あまり一生懸命やらなくてもいいんじゃない?)というふうに使うそうだ。
 著者は1950年鹿児島生まれ。巨大企業Q電力(←九州電力しかないじゃん)の下請け検針サービス会社にメーター検針員として勤務。勤続10年にして解雇される。

 検針員は、巨大Q電力や巨大T電力の正社員や派遣社員ではないにしても、少なくとも下請け会社の社員だと思っていたら、一人一人が年間契約による業務委託員。つまり、厚生年金も社会保険も労災も適用されない個人事業主なのだという。“一国一城の主”と言えば聞こえはいいが、ソープランドで働く女性たちとその不安定な立場は変わらない。実入りに関して言えば、一件40円で一日せいぜい250件(日給1万円)の検針員は、到底ソープランド嬢に敵わない。同じく針を扱う商売にしても。(←バブル親父ギャク炸裂!)

 酷暑の日も、風雨の激しい日も、雪や火山灰舞い散る日も(鹿児島ならでは!)、バイクにまたがり、ハンディ(検針用の小型携帯コンピュータ)片手に家々を訪問し、一般に目立たぬところにある電気メーターを探し、見づらい数値を読みとり、犬に噛まれハチに刺され、家人に不審の目を向けられ、やれ「植木鉢を倒した」だのやれ「洗濯物を汚した」だのやれ「挨拶もなく無断侵入した」だのと苦情を上に持ち込まれ、誤検針を年に10件もやるとクビになる。
 テゲテゲ働きたくてもなかなかそうはいかない10年間の苦労が描き出されている。
 この業界の内幕はまったく知らなかったので、非常に興味深くかつ楽しく読んだ。
 作家を目指して年収850万の外資系企業を40半ばで辞めたという著者の文章は、なかなかユーモラスで、情景が浮かぶような筆致が冴えている。

検針員
 
 ソルティもむろん子供の頃から時たま家を訪れる検針員の姿は目にしていた。アパートで一人暮らししている時も、仕事から帰るとポストの中にスーパーのレシートのような「電気ご使用量のお知らせ」が入っていて、「今日検針が来たんだなあ」と知った。
 しかるに、一昨年実家に戻ってからは検針員の姿を一度も見ていない。「電気ご使用量のお知らせ」の白い紙も見ていない。
 本書を読んでそのことにハタと気づいた。
 検針員さんはどこに行ったの?

 あと数年で電気メーターの検針の仕事はなくなってしまう。
 スマートメーターという新しい電気メーターの導入で、検針は無線化され、電気の使用量は30分置きに電力会社に送信されるからだ。

 すでに多くの家庭はスマートメーターに切り替わっているという。
 すぐさま実家の電気メーターを確認したら、アパートにあったものとは見かけが違っている。
 その名の通りスマートで、ITチックになっている。

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スマートメーター

アナログ電気メーター
かつての電気メーター
透明な容器がキカイダーを思わせる

 明治時代の街灯はガス燈であった。点消方(てんしょうかた)という専門職が、点灯や消灯、部品交換などのメンテナンスを行っていた。点灯夫とも言った。
 その姿は街灯が電気に切り替わるとともに街から消えていった。
 あるいは、ソルティが子供の頃、家のトイレは汲み取り式だった。便器の下にある便槽に溜まった糞尿を、定期的に業者が汲み取りに来た。先に野球ボールをはめ込んだ緑色の長いホースを大蛇のようにくねらせて、作業服に長靴を身に着けた男が門から侵入して便所のある家の裏手に回る。大蛇が飲み込んだ家人の糞尿は、ホースをたどって、車体に付いた大きな緑色のタンクの中に吸い込まれていく。 
 水洗トイレになって、その姿も消えた。
 それと同じように、ITの導入がメーター検針員を日本から消していく。
 本書が、失われた職業の証言になる日も近い。

 この三五館シンシャ、フォレスト出版による3K仕事シリーズを、『ケアマネジャーはらはら日記』の著者である岸山真理子氏がプロレタリア文学と評したのに、ソルティは膝を打った。
 いみじくも本書の「まえがき」で著者の川島徹はこう記している。

 低賃金で過酷で、法律すら守ってくれない仕事がどこにでも存在しつづけ、そこで働く人たちも存在しつづける。
 ただ、そうした仕事をしている人たちも、自分の生活を築きながら、社会の役に立ち、そして生きていることを楽しみたいと思っているのである。過酷な仕事の中にも、ささやかな楽しみを見つけようとしているのである。それが働くということであり、生きるということではないだろうか。

 
 本シリーズの著者の多くは、どちらかと言えば高学歴で、かつては“恵まれた”労働環境で高給をもらっていた人である。理由は各人それぞれだが、自らそういった環境を離れて、きびしい生活に入り込んでいった。
 それを「落ちぶれた」とか「人生を誤った」とか「若気の至り」と言うのは当たらないと思う。
 本シリーズで表現される庶民の哀歓と人生の機微を、Q電力やT電力のような大企業に守られている社員たちは、決して知ることがないだろう。 
 本シリーズをシルバー・プロレタリア文学と称したいゆえんである。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損