コロナ流行の谷間である。
これチャンスとばかり、以前から行きたかった二つの聖地に足を延ばした。
県外へのお泊り旅は、2019年11月の金沢旅行以来。
東京から浜松までのJR往復切符を購入したとたん、旅人モードにスイッチが入った。
一つ目の聖地は、浜松にある木下惠介記念館。
浜松は松竹の誇る名監督で、生涯49本もの映画を撮った木下惠介の生まれ故郷なのである。
ソルティのもっとも敬愛する監督の一人で、今のところ25本観ている。
ちなみに、個人的ベスト10(順不同)は、
久しぶりに下りた浜松駅周辺はすっかり“未来都市”化されて、「どこにウナギの寝床があるんだ⁉」という感がした。都心の主要ターミナル駅となんら変わりばえなく、地方独特の風情が薄れてしまったのは残念。いまさら言っても仕方がないが。
記念館は駅から歩いて15分のところにある。
アール・デコ様式の旧浜松銀行(中村輿資平設計)の白亜の建物が美しい。
入館料は100円。
1階の3室が展示室に当てられている。
- 木下監督の書斎を再現し、使用していた愛用品や書籍が展示されている部屋。
- 当時の映画ポスター、監督自身による書き込みが生々しい脚本、撮影風景の写真、受賞トロフィーなどが飾られている部屋(一角にあるソファに座って木下惠介紹介ビデオを観ることができる)
- 随時テーマを決めて、木下のいくつかの作品をピックアップして紹介する特別展示室(今回は「秋と冬」がテーマだった)
空いていて、ゆっくりと木下惠介の世界を堪能することができた。
ここでは定期的に木下作品の上映会もやっている。
記念館から歩いて5分くらいの街中に、木下惠介の生家の漬物屋はあった。
浜松市伝馬町(現・中区伝馬町)の江馬殿小路。
戦災とその後の区画整理のため小路は消えて、生家跡をしめすものはないのだが、かつての地図をたよりに散策してみた。
浜松の住民のどのくらいが、木下惠介を知っているだろう?
その作品を観たことあるだろう?
もっともっと誇っていい。
駅中をポスターで埋め尽くしてもいいくらいだ。
上り列車に乗り、静岡駅に。
南口からバスに乗って海岸近くまで行く。
二つ目の聖地は、いま全国のサウナー(注:サウナを愛する人)がその噂を聞き、身をもって効験を確かめに詣でる静岡のルルドの泉、サウナしきじである。
実はソルティ、20代からのサ道の通人。多い時は週二回、少ない時でも月一回はサウナを利用してきた。(その時々通っていたスポーツジムのサウナはのぞく)
20代の頃は午前3時まで会社の同僚と銀座や新宿で飲んで、そのあと屋台のラーメンをすすって、ターミナル駅周辺のサウナに泊まってアルコールを抜けるだけ抜いて、2~3時間仮眠し、そのまま出勤する――なんて荒行を繰り返したものである。
自然、都心のサウナ店には詳しくなった。
当時、一般にサウナはおやじのオアシスであり、ビールっ腹の中高年が多かった。店内はたいてい喫煙OKで、サウナ後の休憩ラウンジには灰色の煙がもうもうと立ち込め、健康的なんだか不健康なんだか分からないところがあった。演歌もよく流れていた。
それがいまや、男女問わず若者に大流行りの健康&美容&癒し&グルメ&娯楽の流行最先端スポットである。
昭和香の残る古いサウナや健康ランドはつぎつぎと廃店あるいは改装されて、家族で一日滞在して楽しめる一大アミューズメントパークのようになりつつある。むろん禁煙だ。
関連本もたくさん出版され、雑誌の特集やテレビのバラエティ企画にたびたび取り上げられ、日本全国のサウナ番付みたいなものも掲載される。
このブームの中、一度訪れた芸能人やスポーツ選手もこぞって虜になりSNSやらで発信し、それを見たサウナーたちが訪れた結果、一躍有名になったのが「サウナしきじ」なのである。
バスなら静岡駅南口から「登呂遺跡」行きに乗り「登呂遺跡入口」下車徒歩15分
または「東大谷」行きに乗り「登呂パークタウン」下車徒歩5分
または「東大谷」行きに乗り「登呂パークタウン」下車徒歩5分
休日だったのである程度の混雑は予想していたものの、着いたのは午後5時を回っていたから、人波は落ち着いているだろう――そう思ってたら、広い駐車場はほぼ満杯。
店先で紙に名前を書いて、建物の外のベンチで順番待ちとなった。
「いや、これ密だわ~、困った」
が、ここまで来てもはや退くことはできない。ワクチン抗体を信頼するしかない。
10分もしないうちに名前を呼ばれて入店。
ざっと見、スポーツ選手とアナウンサーが多かった
ソルティがその名を知っていたのは、三浦知良、小池徹平、宮川大輔、大野将平くらい
ソルティがその名を知っていたのは、三浦知良、小池徹平、宮川大輔、大野将平くらい
店員の交通整理が上手なためか、ロッカールームは空いていた。
が、浴室に足を踏み入れたら、人肉のジャングル。
びっくりした。
びっくりした。
定員10名ほどのサウナ室が二つ、温泉風呂が二つ、滝の落ちる水風呂が一つ、周囲の壁に沿った洗い場が10個くらい。
そのあいだのさして広くないスペースに20人くらい座れるプラスチックの椅子がずらりと並べられ、そのどれもが裸の男で埋まっていた。
つまり、ざっと50~60人が犇めいていた。
圧倒的に20~30代が多い。当然、誰一人マスクしていない。
圧倒的に20~30代が多い。当然、誰一人マスクしていない。
「こりゃあ、密も密だわ~」
ワクチン効果と感染者激減を信頼し、そして温泉の放つマイナスイオンの効果を妄信し、覚悟を決めて参入した。
南無三!
浴室内の“気”はたしかに物凄いのであるが、それが「しきじ」の水質によるものなのか、はたまた、聖地詣での興奮状態にある若い男たちの発するエネルギーのせいなのか、よくわからないのであった。
サウナの一つは普通のフィンランドサウナ。もう一つがここの名物である韓国産の薬草をブレンドして蒸している薬草サウナ。
これがとてつもなく、熱い

サウナ慣れしているソルティでも5分と中にいられない。
直射熱を避けるべくタオルを頭に巻いた軟弱な若者たちはウルトラマンほどの忍耐もきかず、カチカチ山のたぬきのように皮膚を真っ赤にして、小走りに飛び出していく。
一方、ここの古くからのヌシであろうか、60~70代くらいの禿げ頭のお父さんはタオルもまかずに、10分以上悠々と座り続けていた。
さすが!(肌の感度が鈍っているだけかも・・・)
さすが!(肌の感度が鈍っているだけかも・・・)
体験者絶賛の水風呂はたしかに気持ちいい。富士山麓の天然の湧き水だけのことはある。
午後7時を過ぎると、さすがに空いてきた。
若者の姿が減って、中高年が増えた。
休日を使い遠方から車でやって来た一行は帰宅の途につき、近隣に住む常連組の出番ということだろう。所作に落ち着きと手練れた感じが見られる。
はたして常連組は、この降ってわいたようなサウナブーム、「しきじ」詣でをどう思っているのだろう?
コロナ禍でどこのサウナも客足が減って経営に苦労したのは間違いなかろう。「しきじ」もそれは免れ得なかったはず。
いや、コロナがなくても、風前の灯火だったのではなかろうか?
というのも、「しきじ」はまさに昭和レトロな空間で、決してきれいでもファッショナブルでもないのである。
サウナ室の腰掛けは敷タオルで隠れてはいるものの、ところどころ板が腐ってボコボコしていたし、休憩ラウンジのリクライニングチェアは壊れているものがあった。
照明は全体に暗く、ヒーリングミュージックよりは歌謡曲が似合うような場末感が漂っていた。(さすがに今は全館禁煙らしいが)
もしサウナブームが起こらなかったら、「しきじ」は存続できなかったのではなかろうか?
そう思うと、まさに奇跡の泉と言えるかもしれない。
まずおそらく近いうちに大改装し、静岡が誇る一大集客スポットに発展していくと思われる。
仮眠室がコロナ禍で閉鎖していたので、休憩ラウンジにマットレスを敷いて横になった。
こういう場所ではよく眠れないソルティなのだが、なんと12時の消灯と共に入眠して、朝6時に自然と目が覚めるまで一回も起きなかった。夢も見ずに熟睡し、ここ最近ないほどすっきりした目覚めが得られた。
浴室に直行。さすがに空いている。
薬草サウナから水風呂に浸かると、昨晩は感じられなかったのだが、体がジンジンと感電したかのように痺れた。
このパワーは、『日本の秘湯』に紹介されている温泉たちと同レベルかもしれない。
密を避けたいなら、『日本の秘湯』で代替できると思う。
静岡の二つの聖地を巡って、心身ともすっかりリフレッシュした。
だが、実を言えば、ソルティにとって本当の聖地は別にある。
列車の旅そのものだ。
今回も新幹線は使わず、普通列車だけで数時間かけて移動した。(ほんとうはもっとスピードの遅い列車に乗りたい)
ぼんやりと窓外の景色を眺め、文庫本を読み、おにぎりを頬張り、熱いコーヒーを飲み、列車の振動に身をまかせる。
それが何よりのストレス解消になる。
いや、幸福感を味わう手っ取り早い手段となる。
ノリテツという種族は、元来、幸福の沸点が低いのである。