1996年文藝春秋

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 最近、細木数子、瀬戸内寂聴、長谷川和夫(認知症研究の第一人者。認知症の診断に用いられる長谷川式スケールの開発者)など大物の訃報が続いているが、ソルティが一番びっくりし畏敬の念にかられたのは、チェコスロヴァキア出身のソプラノ歌手エディタ・グルベローヴァの死を知った時であった。
 亡くなったのは10月18日だが、ほんの数日前、他人の音楽ブログを読んで初めて知った。

 「えっ、まだ若いのに・・・」と一瞬絶句したが、1946年生まれの彼女は74歳。
 歌手としての盛りはとうに過ぎているし、恋も名声もお金も伝説も手に入れた輝かしい人生であったろうから、「早すぎる」ということはない。
 彼女は日本の80年代アイドルのような童顔で、いつも若々しい雰囲気をまき散らしていたし、節制した生活で声を維持し果敢に新しいレパートリーに挑戦する人であったから、「まだまだ若い。そのうちまた来日してリサイタル開いてくれるんじゃないか」なんて、どこかで思っていたのである。
 
 ありがたいことに、ソルティは全盛期のグルベローヴァの奇跡の声をじかに聴いた一人であるが、あの声を聴くと、ストラディヴァリであろうがベヒシュタインだろうが源博雅の奏でた琵琶の玄象だろうが、いかなる楽器も最高度に鍛え上げられた人間の美声には敵わないと確信する。
 あらゆる楽器演奏家を絶望させるに十分な美声とテクニックの極地、それがグルベローヴァその人であった。

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「もののけ姫」の米良美一とコンサートで共演している
 
 80~90年代に世界を舞台に活躍した一流オペラ歌手や指揮者の素顔にせまった、肩の凝らない楽しいエッセイである本書によると、グルベローヴァは親日家で桜が大好きだったという。
 忙しい公演スケジュールの合間を縫って、京都の平安神宮のしだれ桜を見に行って子供のようにはしゃいだエピソードが書かれている。
 つつしんで冥福を祈る――というより、世界中の音楽ファンに愉悦と感動をもたらした彼女が天に召されないはずがない。
 神の合唱団に無試験で迎えられて、カールソーやカラスやテバルティやフラグスタートなんか往年の伝説的歌手に混じって讃美歌を歌っているにちがいない。
 
 久し振りにオペラに行きたくなった。
 
 

おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損