1960年松竹
107分
封切り4日で公開打ち切りという伝説の映画。
制作元の松竹は客の不入りを理由としたが、『真説 日本左翼史』の佐藤優の言によれば、「あまりに政治性の強い内容に(松竹が)恐れをなした」云々。
たしかに、おめでたいはずの結婚式の会場が参列者による口角泡飛ばす政治討論&暴露合戦の場となり、最後は警察(公安?)介入による修羅場と化していくという、現在ではちょっと考えられないようなシチュエーションである。
「こんな時代があったんだ」「こんなに政治意識の高い若者たちがいたんだ」という驚きと、カットの少ない長回しの多用でナマの舞台のような緊張感を生みだしていく大島監督の手腕にあらためて感嘆した。
ウィキによれば、カットの少なさは上からの制作中止の声を恐れた大島ができるだけ早く撮影を済ませるための苦肉の策だったとか。
出演者がセリフをとちったり忘れたりしているのが、かえって臨場感を生んで、若さゆえのもどかしさや不器用さの表現みたいに見えるのが面白い。
実際に映画が「不入り」だったかどうかは知るところでないが、本作は時代背景(1950~60年)や当時の左翼運動(とくに共産党)の動向を知っていないと、まったくのチンプンカンプンであろう。
現在の渋谷あたりで歩いている若者をつかまえてこの映画を見せたらどういう感想を持つか、興味深い。(おそらく上映開始10分で寝落ちするか、スマホいじりを始める)
かくいうソルティも、もし『真説 日本左翼史』を事前に読んでいなかったら、まったく内容や面白さが理解できず、アラン・レネ監督『去年マリエンバードで』のような難解な前衛映画の一種?と勘違いしそうである。
1950年のコミンフォルム(共産党・労働者党情報局)による日本共産党の平和革命論批判、からの武装闘争路線への転換、からの1955年武装闘争路線の放棄、からの党の方針を批判し離脱した学生らによる新左翼の誕生、からの1960年日米安保改定騒動下の全学連デモ(樺美智子の死)・・・・・という一連の流れと、二転三転する党本部の方針に苛立ちや懐疑を募らせた若者たちの心境を理解してはじめて、本作の深みと面白さが十全に味わえる。
当時の日本人(あるいは若者)の何割が、この映画を咀嚼できるアタマと見識を持っていたのだろう?
1950年のコミンフォルム(共産党・労働者党情報局)による日本共産党の平和革命論批判、からの武装闘争路線への転換、からの1955年武装闘争路線の放棄、からの党の方針を批判し離脱した学生らによる新左翼の誕生、からの1960年日米安保改定騒動下の全学連デモ(樺美智子の死)・・・・・という一連の流れと、二転三転する党本部の方針に苛立ちや懐疑を募らせた若者たちの心境を理解してはじめて、本作の深みと面白さが十全に味わえる。
当時の日本人(あるいは若者)の何割が、この映画を咀嚼できるアタマと見識を持っていたのだろう?
その意味では、インテリ・ブルジョア映画と言えるかもしれない。
保守右翼の看板的存在であった津川雅彦が、新左翼の尖った若者を演じているのが興趣深い。
保守右翼の看板的存在であった津川雅彦が、新左翼の尖った若者を演じているのが興趣深い。
池上彰の解説付きで上映会したら面白いだろうなあ。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損