2021年講談社現代新書
『真説 日本左翼史 戦後左派の源流 』の続編。
前著も面白かったが、今回はそれを上回る面白さと満足感があった。
一気読みした。
一気読みした。
面白さの理由は、やはり新左翼の登場。
ソ連や中国の顔色をうかがい右顧左眄し官僚化した共産党――その様子は大島渚監督『日本の夜と霧』に描かれている――と、学生や労働者らの支持を集めるも平和革命絶対主義を崩さない社会党。そこに颯爽と登場した新たなるエースが新左翼であった。
この切れる頭と勇猛果敢な精神と抜群の行動力をもつ若きエースが、社会党左派の大人たちの贔屓にあずかり、あり余るエネルギーと時間を持つ全国の学生たちの支持を集め、ベトナム戦争や日米安保延長に反対する世論の波に後押しされて、いっときは檜舞台に躍り出て時代の寵児と輝くも、思想や運動方針の違いからセクト化し、革マル派V.S.中核派に象徴されるように互いに憎み合い暴力団まがいの抗争(内ゲバ)を繰り返すようになり、市民を巻き添えにするゲリラ戦を行い、一転、党や世論に見放され、一般学生が離反し、孤立化していく。
その先に待っていたのは、連合赤軍による「よど号ハイジャック事件(70年3月)」や「あさま山荘事件(72年2月)」といった世を震撼とさせる残虐非道であった。
もはや、「世界平和と平等のための共産主義革命」といった文句が、「ポア(殺人)によって相手の魂を浄化させる」というオウム真理教の犯行動機さながらの狂言としか聞こえない。
一方で、見ようによっては、新左翼は、ずるがしこく保身能力に長けた世間や大人たちに振り回された、純粋で理想主義の若者たちの悲劇という感がしないでもない。
そこが、映画『アラビアのロレンス』のような栄光と挫折と破滅のドラマを思わせるのである。
面白さのもう一つは、これまでソルティがあちこちで読んだり聞きかじったりしていた、あるいは記憶の底に埋もれていたこの時代(1960-72)の様々な固有名詞――人名、地名、事件名、流行歌、国際指名手配の写真、社会現象、世界のニュースなど――が、パズルのピースが埋まっていくように一つの絵となり、全体像が浮かび上がってくる快感があったからである。
一例であるが、ソルティが小学一年の時に『老人と子供のポルカ』(1970年)という歌が流行った。
左卜全という名の人の良さそうなヨボヨボのお爺さん俳優が、小さな子供たちに囲まれて、やや調子っぱずれなふうに、「やめてけ~れ、ゲバゲバ」と歌う。
軽快なリズムで歌詞もメロディも覚えやすかったので、幼いソルティは意味も分からずよく口ずさんでいた。
当時、大橋巨泉と前田武彦の『ゲバゲバ90分』というバラエティ番組が大人気で、火曜の夜にはいつも家族で観ていた。ナンセンスなショートコントやギャグ満載で、今思い返しても質の高いセンスのいい番組であった。
ソルティは、左卜全と子供たちが『なぜ「ゲバゲバ90分」をそんなに嫌うのだろう?あんなに面白いのに・・・』と幼心に不思議に思ったのである。
長じてから、ゲバとはゲバルト(ドイツ語 Gewalt 暴力)の略で、ヘルメットをかぶり角材を手にした若者たちのやっていた実力闘争のことだと知り、「左卜全は暴力反対を訴えていたのだ」と知るわけだが、問題はこの曲が発売されヒットした70年という年の意味である。
1965年に慶応義塾大学から始まった学園紛争が他大学にも広がって、全共闘が結成され、東大闘争や日大闘争(日大の体質ってほんと今も変わっていない!)へと発展していく。と同時に、北爆によって残虐化していったベトナム戦争や70年の日米安保延長に向けて反対世論が高まっていく。
このあたりは新左翼にとって追い風だった。
それが69年1月に東大安田講堂が陥落、70年6月に安保条約は自動延長される。
70年という年は、世間が「もうゲバはいい加減にしてくれ」と新左翼や学生運動家に対して最後通牒を突き付けた頃合いだったのだろう。
それが「左」という名の76歳の明治生まれのお爺さんの口を借りてだったというのが面白い。
この世間の声を無視して突き進んだ結果、新左翼は修羅へと転落していった。
ちなみに、三島由紀夫の自決(自分に対するゲバルト)も70年11月である。
これら新左翼の運動とその後の日本社会への影響について、佐藤と池上はこう総括(という言葉も左翼用語であるが)している。
●佐藤の言
新左翼の本質はロマン主義であるがゆえに、多くの者にとって運動に加わる入り口となったのは、実は思想性などなにもない、単純な正義感や義侠心でした。そのために大学内の人間関係などを軸にした親分・子分関係に引きずられて任侠団体的になり、最後は暴力団の抗争に近づいていった。理想だけでは世の中は動かないし、理屈だけで割り切ることもできない。人間には理屈で割り切れないドロドロした部分が絶対にあるのに、それらすべて捨象しても社会は構築しうると考えてしまうこと、そしてその不完全さを自覚できないことが左翼の弱さの根本部分だと思うのです。正義感と知的能力に優れた多くの若者たちが必死に取り組んだけれど、その結果として彼らは相互に殺し合い、生き残った者の大半も人生を棒に振った。だから彼らと同形態の異議申し立て運動は今後決して繰り返してはいけない、ということに尽きると思います。
●池上の言
日本人を「総ノンポリ」化してしまった面は間違いなくあったでしょうね。若い人が政治に口出すことや、政治参加することに対して大変危険なことだというイメージを多くの人が持つようになってしまった。
80年代初期、ソルティが大学キャンパスの片隅で見かけた二つの勧誘団体――新左翼の残党と原理研。
頭はいいが孤独で純粋でノンポリな若者たちを惹きつけたのは、いまや後者だったのである。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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