1966年大映
149分、モノクロ

 「白い巨塔」と言えば財前五郎、財前五郎と言えば田宮二郎。
 ――というのがソルティの固定観念であるけれど、山崎豊子原作のこの社会派医療ドラマは実に6回もテレビドラマ化されている(国内のみ。韓国でもドラマ化されている)。
 主役の財前五郎=友人にしてライバルの里見脩二=財前の愛人のホステス・花森ケイ子、主要3人の過去の配役を並べると、

1966年映画   田宮二郎=田村高廣=小川真由美
1967年テレビ  佐藤慶=根上淳=寺田史
1978年テレビ  田宮二郎=山本學=太地喜和子
1990年テレビ  村上弘明=平田満=池上季実子
2003年テレビ  唐沢寿明=江口洋介=黒木瞳
2019年テレビ  岡田准一=松山ケンイチ=沢尻エリカ

 その時代のトップ中堅スターが抜擢されてきたことが分かる。
 ソルティがこれまで観たのは78年テレビ版のみで、財前がガンで亡くなる最終回直前に田宮二郎の猟銃自殺があったため、なんだかドラマ(虚構)と日常(現実)の境が溶けるような奇妙な印象が生じ、そうでなくともハマリ役であった田宮=財前が強く脳裏に刻まれた。
 おそらくリアルタイムで78年版を観ていた多くの人も同じであろう。

 田宮二郎が財前を演じた最初にして、今のところ唯一の映画化が本作である。
 やはり素晴らしくハマっている。翳りある冷徹な二枚目ぶりはその後のどの財前も及ぶところではない(と勝手に思っている)。
 俳優だけでなく事業にも手を伸ばした野心家であり、ポスターの名前の序列をめぐって大映とケンカ別れするほどプライドが高く、妻子ある身で山本陽子と浮名を流し、最後は精神を病んで自害に至った田宮二郎の素そのものが、財前五郎というキャラと重なるのである。
 まるで財前五郎を演じるために生まれてきたかのよう。

 本作のラストは、誤診で患者遺族に訴えられた財前が裁判に勝利して、“白い巨塔”のトップに昇り詰め、有名な院内大名行列する場面で終わる。
「あれ、ここで終わり? 財前って最後は死ぬはずでは・・・・?」
 と思ったら、本作が撮られた66年の段階では山崎豊子の原作(65年出版)はここで完結していたのである。
 ところが、読者の反響すなわち「里見が象徴する正義が通らず財前が象徴する悪が勝つこと」への批判が凄かったため、山崎は続編を書くはめになったらしい。
 続編は69年に出版されているので、ソルティが観た78年テレビ版はもちろん、勧善懲悪バージョンだったのだ。
 まあ、そうでなければこれほど何回もドラマ化されないだろう。

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ただいまより財前教授の総回診が始まります

 本作の魅力は、田宮、田村、小川のみならず出演陣の豪華な顔触れと質の高い演技にある。
 東野英治郎、小沢栄太郎、加藤嘉、加藤武、藤村志保、石山健二郎、滝沢修、船越英二・・・・。
 なんとまあ実力派を揃えたことか!
 中でも、財前五郎の義理の父を演じる石山健二郎の「この世のすべては銭でっしゃろ!」の浪花ごうつく親爺ぶりが傑作である。
 この人は黒澤明の『天国と地獄』でも叩き上げのボースン刑事役として得難い個性を発揮していた。
 日本が誇る素晴らしきバイプレイヤーの一人である。
 観客を決して飽きさせない橋本忍の脚本も、『真空地帯』で示した山本薩夫の演出もゆるぎない。

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娘婿の教授拝命を喜び芸者と踊る財前又一(石山健二郎)

 タイトルの「白い巨塔」とは、「封権的な人間関係と特殊な組織で築かれ、一人が動いても微動だにしない非情な」医学界の意である。
 このたびのコロナ禍ではっきりしたように、白い巨塔はウイルス対策のような臨機応変の柔軟な対応を必要とされる事態に滅法弱い。
 利権、既得権、縦割り、派閥(学閥)、ピラミッド型組織、政財界との癒着、身内同士のかばい合い、パワハラ・・・・。
 目に見えないウイルスは、強固につくられ微動だにしない塔の隙間から自在に入り込んで、内側から塔を蝕んでいく。
 今回のコロナ禍になにかしらの益があるとしたら、昔ながらの白い巨塔がいくらかでも風通しのいいものになってくれるところにあると思いたい。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損