1988年河出書房新社刊行
2010年平凡社より復刊

マイバックページ

 川本三郎の名前だけは知っていた。
 1944年生まれの文芸・映画評論家である。
 本書は自伝的エッセイであり、大学を出た川本が就職浪人していた1968年から、朝日新聞に入社して雑誌記者になったものの、ある事件に関与して解雇の憂き目を見た1972年までのことが書かれている。
 つまり、20代後半の川本の朝日新聞記者時代の話である。
 それはまた、学園紛争の嵐が日本中に吹き荒れていた時代であり、ベトナム戦争や日米安保延長をめぐって戦後の左翼運動が絶頂期かつ転換期を迎えていた時代である。
 本書を知ったのは池上彰×佐藤優の『激動 日本左翼史』に言及されていたからだが、ソルティは知らなかったが、2011年に妻夫木聡、松山ケンイチ共演で『マイ・バック・ページ』のタイトルで映画化されていた。(復刊はそれに乗じてのことであろう)

 本書の元となった原稿は雑誌『SWITCH』に86~87年に連載された。
 当時すでに川本は40歳を超えている。
 朝日新聞をクビになったあと、一人の物書きとして身を立てられるようになった川本が、10年以上前の自らの身に起こった出来事をようやく冷静に振り返る余裕が生まれたことで、本書が誕生したのであった。

 連載の途中までは、まさに60年代風俗回顧エッセイといった趣きである。
 当時流行った映画や音楽(ロックやフォーク)や演劇などのサブカルチャー、猥雑でエネルギーに満ちあふれていた新宿の様子、マンガ家・永島慎二や怪優・麿赤児など面白い人々との出会い、新米記者として取材した様々な対象や現場――東大安田講堂の陥落、ベトナム戦争従軍のアメリカ兵、学生運動の高校生リーダー、“和製ウッドストック”と言われた中津川フォーク・ジャンボリーの混乱、山谷のドヤ街をはじめとする「東京放浪記」――といった事柄が、青春真っただ中の川本がその場で感じ考えたことと共に鮮やかに描き出されている。
 時代の雰囲気や匂いが伝わってくる文章で、「これ、面白いじゃん!」と読み進めていたら、最後の3編で印象は大きく変わった。
 それが、川本が朝日新聞をクビになった原因となり、その後の人生を大きく変えることになった「朝霞自衛官殺害事件」の顛末である。

朝霞自衛官殺害事件とは、1971年(昭和46年)8月21日に、東京都練馬区・埼玉県朝霞市・和光市・新座市にまたがる陸上自衛隊朝霞駐屯地で、警衛勤務中の自衛官が新左翼によって殺害されたテロ事件である。犯人グループが「赤衛軍」を自称したことから「赤衛軍事件」ともいう。朝日ジャーナルの記者川本三郎と、週刊プレイボーイの記者がそれぞれ犯人を手助けしており、日本のマスメディアの信頼失墜にも繋がった。
(ウィキペディア『朝霞自衛官殺害事件』より抜粋)

 川本は「犯人を手助け」した疑いにより逮捕され、留置所に入れられ、数日間にわたる取り調べを受けた。
 最初のうちは「取材源の秘匿」というジャーナリストのモラルを守るため容疑を否認していたが、その後、捕まった実行犯・菊井良治ほか2名の学生が自白の際に川本との関係をペラペラ喋ったのを知るに及んで――
 
 逮捕されて十日目の夜、私は地検の取調室でN検事に容疑事実を認めた。私は敗北した。K(ソルティ注:菊井良治)から事件の証拠物件である腕章を預かったこと、それを同僚のU君に預けたこと、のちにそのU君にその焼却を頼んだこと。すべての容疑事実を認めた。(本書より)

 川本は証拠湮滅罪で起訴され、懲役十か月、執行猶予二年の判決を受けた。
 当然のごとく職を失った。

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 本書には、この一連の出来事に対する川本から見た“真実”がこと細かに述べられている。
 新左翼を名乗る菊井と関わるようになったきっかけ、菊井のアジトへの訪問取材、正体不明の菊井への懐疑、朝霞自衛官殺害を知ったときの驚き、菊井から被害者の腕章を受け取った経緯とそれを焼却処分した理由、新左翼に対する世間の目の変化とそれに影響された朝日新聞社内部の混乱、逮捕までの流れ・・・・・。
 もともと左寄りの朝日新聞社の中でも最も反体制で革新傾向の強い『朝日ジャーナル』に配属され“心情新左翼”であった川本が、新興新左翼の旗を掲げる菊井に思い入れするあまり、社会人としての的確な判断を誤った――というのが、現在本書を読む者の多くが思うところであろう。少なくともソルティはそう読んだ。
 なにしろ、川本は刑罰の対象となった「証拠湮滅」のみならず、
  • 菊井がテロを企てており武器まで用意しているのを事前に知りながら通報しなかった。
  • 犯行後の菊井と極秘裏に面会し、会社の車でその移動を手伝い、インタビューを行って取材費(つまりは逃走費)を渡した。
  • 自らが逮捕された後もすぐに警察に事実を話さず、結果として逃走中の菊井をかばい続けた。
 証拠湮滅罪だけで済んでむしろ幸いだったのではないか。
 下手すると、共犯とみなされてもおかしくなかったと思う。(仮に警察が菊井らを早々に逮捕できず、菊井らがさらに重大な一般市民を巻き込むようなテロ――あさま山荘事件のような――を起こしていたら、川本はその後文芸評論なんかやっていられただろうか?)
 いかなる事情であれ、川本が殺人事件の重要証拠物件を隠し焼却してしまったのは事実なので、これはいわゆる冤罪ではない。
 川本もそれは否定していない。
 控訴しなかったし、朝日新聞社に対し不当解雇も訴えなかった。
 犯人が逮捕されたので、この事件に関する限り、川本の社会的責任はこれで終わったと言える。

 60年代風俗回顧エッセイで始まった本書は、後半になって劇的なドラマに変貌する。
 誰もがその名を知る大企業に勤める若く野心的な一記者が、世間注視の殺人事件に関与し逮捕された、その一部始終を描いたドキュメントに様変わりするのだ。
 赤の他人である一読者からすれば面白くないわけがない。
 犯罪サスペンスドラマでも見るかのようなスリル、一社員の「不祥事」を知った大組織(朝日新聞社)の動揺と混乱、検察の取り調べの実際などが、否が応にも好奇心をそそる。
 そればかりでない。
 ソルティはこの告白エッセイを読んで、夏目漱石『坊ちゃん』のような青春挫折ストーリーを想起したのである。いわゆるイニシエイション(通過儀礼)型の苦い成長物語である。
 であればこそ、本作は映画化されたのではないかと想像する。(映画未見)
 
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 事件から半世紀が過ぎた現在、もはや真実は何かとか、川本青年のやったことが善であるか悪であるかとか、ましてや「こうすれば良かったのに・・・」とか、川本に対する朝日新聞社の処遇はいかがなものかとか、今さら言ってもせんないことである。
 当時の社会情勢、政治状況、世間の動向、時代の空気、先の見通しの有無・・・・そうしたことがリアルタイムでその時代を生きていない者にわかろうはずがない。
 川本が、もともとの性格や育ちや若さゆえの血気や無謀のままに、激動の政治的・社会的・文化的状況に投げ込まれ、若者の間で隆盛を極めていた左翼思想を身につけた一介のジャーナリストとして、その場その場の判断を、迷いながらも自らの良心にしたがって下していったのは間違いあるまい。
 なんら責められるものではない。
 「若気の至り」で済ましていいと思う。(何ら罪もないのに殺された自衛官とその家族に対する自責の念はあってほしいと思うが・・・)
 
 ただ、気になったのは「あとがき」である。
 本書には、最初の刊行時(1988年)の際に川本が書いたものと、復刊の際(2011年)に書いたもの、二つの「あとがき」が収録されている。
 最初の「あとがき」で44歳の川本はこう記している。
 
 私の事件は、ジャーナリズムの歴史のなかで見れば、60年代後半に大学を中心に生まれた新左翼運動が権力によって鎮静化されてゆく過程で起きた、権力によるジャーナリズムへの介入ととらえることができるだろう。
 
 一連の出来事のなかで私はなんとか取材源の秘匿というジャーナリストのモラルを守ろうとした。しかし事実の流れが錯綜してゆくうちにその基本的な問題から私はどんどんはがされてゆき、最後は「証拠湮滅」という犯罪に直面させられた。私は「記者」ではなく「犯罪者」になった。 

 「自分は間違ったことをしていない。周囲の状況が変わったために気づいたら悪者にさせられていた」という自己正当化の匂いをどうにも感じる。
 「問題は“権力によるジャーナリズムへの介入”であって、殺人事件の“証拠湮滅”なぞ二の次だ」とでも言っているように聞こえる。

 さらに、復刊の際の「あとがき」では66歳の川本はこう書いている。

 人が一人、死んでいる。しかも私はそれを阻止出来るかもしれない立場にあった。しかしそのためには、警察に通報しなければならない。無論、普通の事件ならためらうことなく通報する。ただ、「あの男(ソルティ注:菊井良治)」はいかがわしい人物ではあったが、それなりの「思想犯」だった。その場合、警察に通報したら私は「取材源の秘匿」というジャーナリズムの基本、生命を失うことになる。
 どうすればよかったのか。いまでもわからない。

 この文章はこう解せるだろう。
 「普通の事件」なら「取材源の秘匿」があろうと、ためらわずに通報する。でも、「思想犯」だったから「取材源の秘匿」にひっかかり、通報しなかった。
 ソルティはこれには異論がある。
 これではまるで「思想犯」であれば殺人事件を起こしても許されるし、それを見逃しても罪にはならないと言っているようなものではないか。
 人殺しが許されないのは、令和の今も50年前の日本も変わりないはずだ。「思想犯」なら大目に見るなんてことがあっては困る。(オウム真理教だって彼らなりの「思想」を持っていた)

 そして、上記の「思想」とは、川本が心情的に共感していた新左翼の思想(=共産主義建設のための武力闘争肯定)である。
 仮に、菊井良治の思想が左翼とは逆の右翼的立場のものであったら、そしてその思想の実現のために菊井がテロリズムを計画していて(たとえば全共闘の花形リーダーの暗殺とか)、それを川本が記者の特権として事前に知っていたとしたら、それでも川本は「取材源の秘匿」を守ったのだろうか?
 
 つまるところ、本書をイニシエイション・ストーリーととらえたのは勘違いなのか?




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損