1984年東宝
98分
脚本 押井守
原作 高橋留美子
『うる星やつら』の映画版を観るのは初めて。
高校時代に友人からコミックを借りて読み、大学時代にテレビアニメをたまに観ていたが、基本的にそれほど好きな漫画ではなかった。
高橋留美子なら『めぞん一刻』のほうが好きだった。
「なぜ急に本作を?」と言えば、カルロ・ロヴェッリ著『世界は「関係」でできている』を読んだあとネットで他の人の感想を拾っていたら、カルロの本が押井守脚本・監督の本作に似ている、というコメントがあったからである。
押井守と言えば、SFサイバーアクション映画『アヴァロン』や『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』で、現実とサイバー上の虚構が反転するディック的世界を鮮やかに創り出した映像の魔術師である。
カルロが描いた量子の世界の神秘に、今から40年近く前にすでに押井が迫っていたとしたら、凄いことではないか。
――と期待して観たのであるが、これはまったく量子力学とは関係なかった。
カルロの唱えている「関係論的解釈」すなわちナーガルジュナの説いた「空」とも、般若心経の「色即是空」とも違う。
ネタ晴らしになってしまうが、主人公・諸星わたる&ラムちゃんら登場人物たちが「現実」と思っていた日常(それが次第に非日常へと変貌してゆく)が、実はラムちゃんの“夢”の産物であったというオチである。
視聴者をコケにするような安易な「夢落ち」と微妙に異なるのは、ラムちゃんが最後に「ハ~ア~」とあくびして目覚めることで“世界”が終わる、という単純なからくりではないところ。
もう少し複雑なつくり。仏教とのからみで言えば「唯識論」に近いかもしれない。
ラムちゃんの“識”(意識と無意識を含む)が世界を創っている――みたいな。
1984年の時点で、『マトリックス』(1999年)よりずっと前にこういった現実と虚構、意識と無意識とを越境するような作品を世に問うていたところは凄い。
途中で、SF映画の古典『ダークシティ』(アレックス・プロヤス監督)で出てくるのとそっくりの仰天シーンが登場して、一瞬、「押井さん、パクったな」と思ったが、『ダークシティ』は98年公開なので本作の方が早い。
しかも、浦島伝説をからませた本作のほうが文学性に富み、センスがいい。
しかも、浦島伝説をからませた本作のほうが文学性に富み、センスがいい。
人の夢を実現させてしまう妖怪「夢邪鬼(むじゃき)」の声優が上手い。
関西弁の厚かまし気なオッサン口調から鶴瓶かと思ったが、84年では鶴瓶はここまで上手くなかった。
誰だろう?と調べたら、藤岡琢也だった。
ウィキによれば、俳優として売れる前は声優をしていたらしい。
さすが、「岡倉」の店主である。
『うる星やつら』シリーズのなかの異端であるのは確かだろう。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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