1961年松竹
95分、白黒
原作 松本清張
脚本 橋本忍・山田洋次
音楽 芥川也寸志
松本清張の原作を読んだのは中学1年になって間もない頃だった。
シャーロック・ホームズや江戸川乱歩の推理小説が好きだったソルティに、担任の社会科の先生がすすめてくれた。
ホームズや乱歩は偕成社やポプラ社などの子供向けに書かれたものを読んでいたが、さすがに清張に子供向けはない。
はじめて新潮文庫を買った。
つまり、ソルティが初めて読んだ大人の本は松本清張だった。
ちなみに外国文学については、やはり中1の秋に読んだマーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』(新潮社刊・大久保康雄訳)がデビューだった。
担任が勧めてくれたのは、時刻表を使ったトリックで有名な『点と線』と『ゼロの焦点』だった。
『点と線』は非常に面白かった。
これが現代日本の大人のミステリーか・・・・!
新しい世界の扉が開き、ワクワクした。
新しい世界の扉が開き、ワクワクした。
と、続いて手にした『ゼロの焦点』で、いきなり大人社会の闇に遭遇したのであった。
そう、世に「売春」という職業があるのを知ったのは、『ゼロの焦点』によってである。
セックスそのものについては小学生の頃からティーンの芸能雑誌である『明星』『平凡』を愛読していたので知識としてはもっていた。
が、性を商品のように売り買いするオソロシイ世界があるとは知らなかった。
「不潔ッ!」と思ったのかどうか覚えていないが、なにか退廃的で忌まわしい感がした。
(『風と共に去りぬ』にもレッド・バトラーの愛人であるベル・ワトリングという娼婦が登場する。中学生のソルティはこの女が嫌いだった)
しかも、『ゼロの焦点』で描かれているのはただの売春ではなかった。
戦後間もない頃にGHQの米兵相手に売春していた女、いわゆる「パンパン」が殺人事件のカギを握っていたのである。
戦後の混乱期、生活のために東京でパンパンをしていた女が、今では遠い北陸の地で名士の奥方として何不自由なく暮らしている。だが、ある日、彼女の過去を知る男が現れ、今の優雅な生活や名声がおびやかされる。「この男さえ消えてくれれば・・・・」日本海を見下ろす崖の上で、女は男の背中を一突きする。
こんなに重くて哀しい殺人動機は乱歩にもホームズにもなかった。
これが大人の小説か・・・・。
暗澹たる思いと共に、一挙にポプラ社と偕成社を卒業した。
(あとから知るのだが乱歩にも『妖虫』や『孤島の鬼』のような重くて哀しい殺人はあった。子供向けはオブラートに包まれていたのである)
最初の映画化である本作は、久我美子、高千穂ひづる、有馬稲子という当時の人気女優が妍を競っている。60年代初頭の北陸の海岸沿いや金沢の町の風景が、白黒フィルムのため、より寒々と寂しい風情をみせている。
共演の南原宏治、西村晃、加藤嘉、高橋とよは、さすがの存在感。
のちに2時間ドラマの定番となった崖上の対決は、この映画のラストシーンが端緒を開いたと言われる。
広末涼子、中谷美紀、木村多江共演による2009年公開の二度めの映画化は観ていない。
61年の時点で、この小説および映画は十分な説得力があった。
つまり、「犯人が相手を殺す理由も分からないではないな」と観客は納得し共感できた。
“パンパンをしていた過去の暴露”は、それだけ犯人にとって致命的であること、社会的な死にも等しいことを、観客もまた理解していた。
ソルティがはじめて原作を読んだ70年代もまだそれが通じた。
たとえば、女性タレントが過去の売れない時代に「アダルトビデオ――この言葉はなかった。ブルーフィルムと言った――に出ていた」「風俗で働いていた」といった噂が立てられるのは致命的スキャンダルだった。
夜の世界で働いている女(玄人)と、そうでない女(素人)の間には、明確な境界線があった。
前者には強いスティグマ(烙印)が付与された。
前者には強いスティグマ(烙印)が付与された。
であればこそ、森村誠一の『人間の証明』が共感を呼び、大ヒットしたのである。
その後、80年代バブルを通過し、性風俗のカジュアル化はどんどん進んでいった。
手っ取り早くお金を稼ぐ手段として、女子大生が性風俗に流れた。
手っ取り早くお金を稼ぐ手段として、女子大生が性風俗に流れた。
玄人と素人の境が薄れていった。
ところで、40数年ぶりに『ゼロの焦点』に触れて、「あっ、そうだったのか・・・」とハタと膝を打ったことがある。
犯人が若い時にパンパンをしていた土地は、東京の立川だったのだ!
犯人が若い時にパンパンをしていた土地は、東京の立川だったのだ!
もちろん、立川には米軍基地があった。(現在は昭和記念公園になっている)
立川駅周辺には米兵相手の歓楽街があった。
当然、赤線と呼ばれた合法の性風俗業も、青線と呼ばれた非合法のそれもあった。
夜の街には原色のドレスを身にまとった日本の女たちが立ち並び、客を引いた。
ソルティは数年前までJR中央線沿いの高齢者介護施設で働いていた。
立川駅に近く、利用者には昔からの地域の住民が多かった。
戦後のことをよく覚えていて話してくれる高齢者がたくさんいた。
ある90歳の女性は当時立川駅の近くの薬局で働いていたという。
「しょっちゅう、パンパンがアメ公と一緒に薬を買いに来た。ときどき警察の手入れがあると、彼女たちがウチのお店に逃げてくるから、店の奥にかくまってあげたのよ」
ある80代の男は米軍の軍属(使い走りのようなものか?)をしていたという。
「日本人がみな物がなくて苦しんでいた時代に、自分は米軍から粉や砂糖やタバコなんかをもらうことができて運が良かった。よくアメ公にパンパンを世話してやったよ」
立川でずっと一人暮らしをしていた80代の女性は、重い認知症で、もはや自分の名前くらいしか言えなかった。会話が成り立たなかった。
ときどき彼女は、菊池章子の『星の流れに』のメロディを口ずさんでいた。
こんな女に誰がした、という歌詞でしめくくられる哀しい歌。
こんな女に誰がした、という歌詞でしめくくられる哀しい歌。
ひょっとすると彼女は・・・・・?
現在のJR立川駅周辺はすっかり開発されて、道は広々と美しく、コンクリートとガラスの高層ビルが立ち並び、その間をモノレールが音もなく往来し、まるで未来都市のようである。
昭和記念公園は、都内有数の桜の名所になっている。
『ゼロの焦点』の本当の舞台はここだったのだ。
立川駅周辺
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損