2020年ドイツ、ウクライナ、イギリス、ロシア
139分、ロシア語

 第70回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(芸術貢献賞)を受賞、世評かまびすしい問題作である。
 その理由はこの映画の制作手法そのものにある。 

 2009年9月、ウクライナ・ハリコフの廃墟となったプールの敷地内に「物理技術研究所」が建設された。実在したソヴィエトの研究機関にインスパイアされた、この広大な機能を備えた実験研究施設は、ヨーロッパに建設された最大の映画セットになった。アーティスト、ウェイター、秘密警察、普通の家族など、時間と空間から隔離された何百人もの厳選された意欲的な参加者たちが実際にセットの中で暮らし、科学者たちもそこに住みながら、自分の実験を続けることができた。
 
 過去(1938年~1968年)に戻された参加者は当時のソ連の人々と同じように生活し、働き、当時の服を着て、愛し、互いを非難し、憎しみ合った。この台本のない人生は、2009年10月から2011年11月まで続き、その全期間にわたって断続的に撮影された。彼らが着ていた服から使用した言語まで、彼らの存在は研究所に設定された時間=1952年、1953年、1956年のものに統一されていた。

 すなわち、1991年に消滅したソヴィエト連邦社会をできる限り正確に再現したコミュニティを実際に創り上げ、キャストとして選ばれそこで暮らすことになった人々のありのままの生活風景を素材に、撮影・脚本・演出・編集がなされたのである。
 いっとき日本でも人気を集めたリアリティ番組の究極版ってところか。
 撮影されたフィルムは700時間にも及ぶというから、この第1弾『DAU.ナターシャ』及びすでに昨年公開されている上映6時間9分の第2弾『DAU. 退行』を皮切りに、今後もDAUシリーズが世に出てくるものと思われる。
 壮大なプロジェクトに驚嘆するが、なんだかその手法自体が社会主義的な感もする。

 第1弾となる本作は、研究施設の食堂で働く中年女性ナターシャの身に起こる出来事を描いている。
 前半90分くらいは、ナターシャのありふれた日常生活が映し出されるばかりで、途中アダルトビデオばりの激しいベッドシーンは挟まれるものの、総じて退屈である。
 上記のプロジェクトについて事前に知らなければ、途中放棄してしまうところだろう。
 ソルティは事前に知っていたので、どこまでが芝居でどこからが現実なのか、どこまでが台本でどこからがアドリブあるいは出演者の肉声なのか、どこまでが演出でどこからがドキュメンタリー(記録)なのか、なんとか興味を保ちつつ観ることができた。

 残り50分からが本領発揮。
 ついにスターリン独裁下の全体主義管理社会の怖ろしい姿が顔をのぞかせる。
 ナターシャの受難から一時も目が離せなくなる。
 日本を含む西側諸国の市民が享受しているのとさして変わらないような、喜怒哀楽に満ちた平凡な市民的日常が、独裁者の統べる管理社会の上澄みを覆っているだけであり、器のほんの一揺れで(管理者の気まぐれ一つで)、みじんもなく剥奪・破壊されてしまう。
 前半90分でリアリティ豊かに描かれたナターシャ個人の「愛」だの「悩み」だの「価値観」だの「人生」だのといった近代個人主義的観念は、まったくの世迷言に過ぎないことが赤裸々にされる。
 個人の尊厳を奪い去ることで人としてのプライドや意志をくじき、組織に隷属させ、相互監視社会・密告社会をつくりあげる全体主義管理国家のやり口には恐懼するばかり。

 しかもこれはほんの序章に過ぎないという。
 第2弾のDVD化が待たれる。
 
 我々はきっとまだ本当のソヴィエトを知らない。本当のショスタコーヴィッチも・・・。

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ヨシフ・スターリン


おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損