初出1960年『文藝春秋』
2004年文春文庫
60年以上前のノンフィクションだが、今読んでもとても面白い。
スリリングで、好奇心をそそられ、ゾッとする。
松本清張の作家としての力量――探究心、知識、世間知、批判精神、取材力、分析力、洞察力、想像力、推理力、構成力、なによりも旺盛にして読者をとらえて離さない筆力――がいかんなく発揮された傑作にして代表作である。
上下巻770ページ以上を難なく読み終えた。
太平洋戦争に敗北し米国GHQ占領下にあった日本で起きた数々の不可解な事件が取り上げられる。
これを性質の似通ったものごとに大雑把に分けると次のようになろう。
1群 日本共産党の関係者が冤罪を被った事件
- 追放とレッド・パージ(1945~1950年)
- 下山国鉄総裁謀殺論(1949年)
- 推理・松川事件(1949年)
- 白鳥事件(1952年)
2群 GHQ内部の腐敗や権力闘争が絡む事件
- 征服者とダイヤモンド(1945年)
- 二大疑獄事件(1948年)
- 「もく星」号遭難事件(1952年)
3群 スパイ疑惑が絡む事件
- 革命を売る男・伊藤律(1933~1953年)
- ラストヴォロフ事件(1944年)
- 鹿地亘事件(1951年)
4群 その他
- 帝銀事件の謎(1948年)
- 謀略朝鮮戦争(1950年)
もちろん、上記の分類は表面的・便宜的なものであって、すべての事件の背景に見え隠れするのは、GHQの占領政策であり、GHQ内部における民政局(GS)と参謀第二部(G2)との権力争いであり、米ソの冷戦であり、日本の共産主義化をなんとしても抑えたい米国の強い意志である。
すなわち、まず戦勝国の中で共産主義勢力(ソ連、中国)と資本主義勢力(米国、英国、仏国)の対立があり、米国の中で民主党と共和党の政権闘争があり、GHQの中で日本の民主化を進めたいGSと日本を極東の橋頭堡としたいG2の覇権争いがあり、焼け野原の広がる日本にあっては共産主義革命を求める声がそれなりに高かった、という構図があった。
この何重にも絡まって錯綜した政治と権力と野望の密林の中で、無条件降伏し武器を奪われた日本の民に――しかも国際的に見れば“12歳以下”の政治しかできない日本人に、いったい何ができたであろう?
GHQのご機嫌を損なわないように振舞うほかなかったというのが正味のところだろう。
読んで面白い(と言うと不謹慎なようだが)のは、上記1群の共産党が絡む事件である。
下山事件、松川事件、白鳥事件はいずれも殺人の謎をめぐる論考であり、殺人現場の図面が掲載されていたり、目撃者の証言や凶器や遺留品に関する検討がなされていたり、当時上がった様々な仮説が検証されたり、清張自身の真犯人推量が開陳されたりと、まさに推理小説そのもの。4群の帝銀事件も同様である。ナンバーワン推理作家としての清張の独壇場である。
一方、3群のスパイが絡む事件は、スパイ小説でも読んでいるかのような臨場感と空恐ろしさがある。
「現実世界でもスパイ小説みたいなことがあるもんだなあ」と呑気に思ってしまうが、これはまったく逆で、我々の日常生活は想像以上に内偵や諜報や謀略がはびこっている気持ち悪いものなのかもしれない。現在の中国がまさにその例証である。
なお、伊藤律のスパイ疑惑については、複数の研究者による調査の結果、現在では否定されており、2013年以降の文春文庫では巻末に注釈が入れられている。清張の推理も完全無欠というわけにはいかない。
G2とGSの覇権争いを背景に起こった、官僚や政治家の汚職を暴いた2群の疑獄事件は、今も変わらぬ政・官・財の癒着構造を浮かび上がらせて余すところない。
次の一文など、まさに時代を超えている。
疑獄はいつの場合でも下級官吏からの摘発が常識であって、殊に課長補佐あたりが常にその犠牲になる。疑獄が起ると、通例と云っていいほどこのクラスが自殺するのは、捜査陣もここを突破口として取調べを集中するし、下級官吏としては義理に迫られて、止むなくみずからの命を絶つのである。誰が有罪の宣告を受け入獄したとしても、自殺した下級官吏こそ疑獄の最大の犠牲者であろう。
本書は発売と同時にベストセラーとなり、「黒い霧」という言葉は流行語になった。
ソルティが初めて手にしたのは発行25年後の80年代中頃で、当時大学生だった。
実を言えば全部は読み通せなかった。
松川事件、下山事件、帝銀事件あたりは、現実の迷宮入り事件を小説家が推理するポーの『マリー・ロジェの謎』のような“推理小説のバリエイション”として興味深く読んだ記憶がある。その他のものは、戦後の国際政治や左翼運動について無知も同然だったので、難しくて読めなかった。
今回難なく読めたのは、池上彰&佐藤優の『真説 日本左翼史』のおかげで、戦後の大まかな日本左翼史がつかめていたからである。
とは言え、上記の3つの事件を読んだだけでも、GHQの底知れぬ恐ろしさに震え、反米感情が募ったことは覚えている。
「よし、マルクスを勉強しよう」とは思わなかったけれど、冤罪を被った松川・下山両事件の共産党関係者たちや、帝銀事件の犯人として捕えられた画家の平沢貞道被告に同情し、権力の不正や横暴に腹が立った。
本作が発表された1960年は日米安保条約の最初の改定にあたり、左翼運動が盛んな時だった。
当時本書を読んだ人々が、GHQの実態を知り反米感情を高めたであろうことは想像に難くない。
内情がよく知られていなかったソ連や中国や北朝鮮など共産主義国家に対する憧憬や親愛の情が高まったとしても無理はない。
内情がよく知られていなかったソ連や中国や北朝鮮など共産主義国家に対する憧憬や親愛の情が高まったとしても無理はない。
清張が本書で反米を煽っているのは明らかである。
刊行から60年余。
共産主義は机上の思想として玩ぶならともかく、現実社会に適用させてはいけないってことは中川八洋先生の指摘を俟つまでもなく、最早火を見るより明らかであろう。
歴史に「もし」は禁句だけれど、つい想像してみたくなる。
もし敗戦後の日本が米国(GHQ)でなくソ連の統治下に置かれたとしたら・・・。
もし戦後の日本で北朝鮮や中国のように社会主義革命が実現していたら・・・。
もしソ連とアメリカが朝鮮半島ではなく日本を戦場として一戦交えていたら・・・。
さらには、もし軍部に牛耳られていた大日本帝国が神風のおかげで米国に勝利していたら・・・。
松本清張がその類まれなる才能を存分に発揮して作家活動に専念できたのも、本書のようなGHQや米国に批判的な作品を自由に世に送り出せたのも、ソルティがこうやって好き勝手に駄文を書き飛ばしてネットにUPできるのも、表現の自由が保障される民主主義国家に生を享けたおかげである。
本書を令和4年の今読むことの意味は、そのあたりの事情を鑑みるところにもあろう。
と言って、GHQや米国を持ち上げるつもりはないし、右翼や保守勢力に加担するわけでもないし、横暴な権力と闘う左翼の活動をくじくつもりもない。
ただ歴史というものの不可解さに感じ入るばかり。
そればかりは清張先生の推理も及ぶところではなかった。
そればかりは清張先生の推理も及ぶところではなかった。
おすすめ度 :★★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損