紀元79年10月、ヴェスヴィオ山の噴火により一日にして消滅したローマ帝国の都市ポンペイ。
約1万人の市民(奴隷を含む)が起居し、繁栄を誇った古代の街の実態が明らかになったのは、1,748年に灰の中から遺跡が発見されたことによる。
街の区画や家々の様子、競技場、野外劇場、広場、市場の遺構とともに、裕福な市民の屋敷跡からたくさんの美術品、工芸品が見つかった。
実に1,669年後に開かれたタイムカプセル!
今回の展示は、ナポリ国立考古学博物館に保管されている出土品150点を中心に、ポンペイの繁栄とそこに生きた人々の姿を現代に蘇らせるものである。
一番空いていそうな平日の朝一番をねらって出かけたのだが、コロナ禍の今は定員予約制のため、どの時間帯に行っても場内の混み具合はたいして変わらなかったかもしれない。
密になるということもなく、90分程度でゆっくり見学することができた。
もちろん、場内は会話禁止。
展示会には珍しく、撮影OKであった。
場内の様子
時のローマ皇帝は11代ティトゥス。
被災地の救援にあたるなど賢帝と称され、モーツァルトのオペラ『皇帝ティートの慈悲』の題材にもなった。
キリスト教が国教とされる(紀元380年)以前のローマは、古代ギリシア文化の影響が非常に強かった。
展示品は、ギリシア神話に出てくる神々の彫像、ギリシア神話の有名な場面を描いたフレスコ画、動植物をモチーフとした細密モザイク画などが多かった。
つまり、一神教でなく多神教、宗教色でなく人間色豊か、あの世の幸福よりこの世の享楽といった感じで、まさにダ・ヴィンチやミケランジェロなどのルネッサンス文化の原点であることが知られた。
番犬のモザイク画
実を言えば、ソルティは30年前にポンペイを訪れている。
今回、この展示会のチケットを買ったあと、探し物をしていたら、戸棚の奥からイタリア旅行当時の日記が出てきた。
30年前に彼の地でどんなことを思ったのだろう。
ページを括ってみた。
ページを括ってみた。
1992年1月17日(金)曇りポンペイに行く。
ナポリ駅で声をかけてきた12歳の少年は天真爛漫。ああした無邪気な少年は日本では滅多に見られなくなった。愛くるしい瞳と天使のような巻き毛をしていた。ポンペイは素晴らしい魅力に満ちている。山々を背景とした廃墟を歩くと、妙に心が落ち着いて、自分を取り戻すことができる。すがすがしい散策ができた。今でも使用されている3つの劇場は、ほぼ完全な形を保っているのだが、ローマのコロッセオ以上に劇場らしく雰囲気抜群。大劇場のアリーナ席で手を叩いたら、ピンと張りつめた音が空中にこだました。観客席の向こうにはヴァスヴィオ山が薄青く見えた。岩畳みの路地をあちこち歩き、いくつかの家をのぞき、壁画や床のモザイクを見て、神殿の跡を訪ねた。日は傾いて、夕日に反射する石の街は、なんとも「あはれ」な有様を見せてくれる。ポンペイに生きた人々は、どんな気持ちで一日の終わりを迎えたのだろうか。孤独であることの幸福に満たされて、ポンペイをあとにした。
30年のタイムカプセルを開けたら、今と変わらない自分がそこにいた(苦笑)
ポンペイとヴェスヴィオ山