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日時 2022年2月26日(土)13:00~
会場 ウェスタ川越 大ホール
プログラム&主演者
① 仕舞 殺生石(せっしょうせき) 小島英明
② 仕舞 鵺(ぬえ) 奥川恒治
③ 狂言 清水(しみず) 野村萬斎
④ 能  土蜘蛛(つちくも) 小島英明

 知人からチケットを譲り受け、久しぶりに能楽に行った。
 野外での薪能(たきぎのう)は何度か見に行ったことがあるが、蝋燭能(ろうそくのう)は初めて。
 いったいどんなものなのか?

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ウェスタ川越

 約1700席あるホールは7~8割埋まった。
 人々がコロナと共生し始めているのを感じる。
 こうやって催し物が開催できるようになったのは観客にとっての朗報であるのはもちろん、出演者にとっても吉報である。
 開演前に「見どころ解説」をつとめた小島英明によると、コロナ禍で収入ゼロという月が何度もあったとか。
 また、演者にとっては、人に見られて喜ばれてこその芸であろう。

 本日のテーマは「能楽百鬼夜行」 
 妖怪や鬼が登場する狂言と能を集めたプログラムである。
 水木しげる的というか、京極夏彦的というか。
 わかりやすくストーリー性の高い、能楽初心者でも楽しめる工夫が感じられた。

① 仕舞:殺生石(せっしょうせき)
 これは那須野にある殺生石の謂れとなった金毛九尾の狐の物語。
 荒ぶる妖狐の霊を鎮める玄翁(げんのう)和尚の名は、大工仕事に使われる鉄製の槌、“ゲンノウ”の語源である。

② 仕舞:鵺(ぬえ)
 ソルティはすぐ岩下志麻の怪演が見どころの映画『悪霊島』(1981)のコピー、「鵺のなく夜はおそろしい」を思い起こす。この鵺はトラツグミという鳥の古称である。
 一方、こちらの鵺は、頭が猿、胴体がタヌキ、手足が虎、尾っぽが蛇というキメラ型怪物。
 鵺を退治したのは、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で以仁王(もちひとおう)と組んで平清盛討伐に乗り出したが、あえなく失敗した源頼政である。

鵺
恐ろしい?

③ 狂言:清水(しみず)
 野中の清水に出没し人を驚かす鬼の話であるが、これは本物の鬼ではなく、主人にギャフンと言わせようと企んだ使用人・太郎冠者の変装であった、という滑稽譚。
 太郎冠者を演じる野村萬斎はさすがの腕前。
 間の取り方、声の使い方、抑揚などに現代的な笑いの感覚を取り入れて客席を湧かす。
 伝統芸能という古い革袋に新しい酒を入れて成功させる力量は、狂言の世界だけでなく、テレビや映画や現代劇などいろいろな経験を積んでいればこそだろう。

④ 蝋燭能:土蜘蛛(つちぐも)
 蝋燭能は薪能と並んで古くからあったのかと思ったら、平成生まれとのこと。
 薪能の難点は開催が天候に左右されることである。
 ならば、室内でも可能な蝋燭能で幽玄な雰囲気だけでも味わおう、ということらしい。
 舞台の周囲に数十本の蝋燭が立てられたが、これは本物の火ではなく発光ダイオード。
 炎の揺らぎすら演出できるとか・・・。
 結局、上演中は客席は暗くとも舞台は照明でじゅうぶん明るいので、蝋燭の意味合いを感じとることはできなかった。

 それはともかく。
 シテで土蜘蛛を演じる小島英明の声の素晴らしさ。
 深みと力強さのあるバリトンが西洋音楽的な、つまりはオペラ的な色合いを舞台に醸す。
 そう、能とはつまるところ日本のオペラ(歌芝居)なのだ。

 土蜘蛛はもともと大和朝廷によって成敗された土着の豪族のこと。
 それがいつの間にか、人民を驚かし朝廷をおびやかす妖怪へと変化していった。
 土蜘蛛にしてみれば、大和朝廷こそ、住み慣れた先祖元来の土地から自分たちを追い出し、武力によって命を奪う恐ろしい妖怪と思ったはず。
 舞台上の土蜘蛛は、源頼光の命を受けて成敗に来た武者たちに向かって、白い糸(和紙で作られている)を吐き出す。
 ここがこの番組の見せ場であり、手元より縦横無尽に放射される滝のごとき蜘蛛の糸に、子供のころテレビで見た松旭斎天勝――もちろん三島由紀夫が子供の頃憧れた1代目でなく彼女の姪にあたる2代目天勝である――の水芸を思い出した。
 あれはきっと故郷を追われた土蜘蛛の涙なのだ。

 能楽は江戸時代まで猿楽と言った。
 能を大成した観阿弥や世阿弥などの猿楽師は、天皇を頂点とする身分社会において賤民、つまり被差別の民であった。
 それが天皇制を賛美し強化するような曲を書いて、自ら舞い踊る。
 その心は、妖怪を成敗する朝廷の側にあったのか、成敗される妖怪側にあったのか。 
 読経や武力によっては鎮めることのできない妖怪たちの積年の恨みは幾度もよみがえって、この世に舞い戻る。
 だから、能舞台には魂が宿り続けるのだろう。
 それは百鬼と化した怨霊を閉じ込め飼いならす装置であると同時に、虐げられし者の声を社会に受け入れられるかたちで伝え続ける装置なのだ。

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