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収録日 2002年2月13日
会場  カリアリ歌劇場(サルジニア島、イタリア)
管弦楽 同劇場管弦楽団
指揮  ジェラール・コルステン
演出  ステファノ・ヴィツィオーリ
キャスト
 ノリーナ :エヴァ・メイ(ソプラノ)
 ドン・パスクワーレ :アレッサンドロ・コルベッリ(バリトン)
 エルネスト :アントニーノ・シラグーザ(テノール)
 マラテスタ:ロベルト・デ・カンディア(バリトン)

 ガエタノ・ドニゼッティ(1797-1848)が作曲したオペラ・ブッファ(喜劇)の中で、『愛の妙薬』と並んでもっとも有名で音楽的評価の高い作品である。 
 が、『愛の妙薬』にくらべ上演される機会が少ない。
 その理由を推測するに、これが「高齢者虐待」の話だからではないかと思う。
 金持ちの老人ドン・パスクワーレを、甥っ子エルネストの婚約者ノリーナと、ノリーナの兄でパスクワーレの主治医であるマラテスタがつるんで罠にかけ、さんざんな目に合わせる話なのである。

 ノリーナときたら、パスクワーレと偽りの結婚をして彼の財産を浪費するわ(経済的虐待)、悪しざまにののしるわ(心理的虐待)、暴力を振るうわ(身体的虐待)とやりたい放題。
 劇の最後でノリーナによって高らかに歌われる“この話の教訓”は、「老いらくの恋はよしなさい。鐘を鳴らして退屈と苦悩を探しに行くようなもの。愚かなだけよ」というもの。
 主役であるにもかかわらず、パスクワーレは若者たちに「老いぼれ」と馬鹿にされ、右に左にいいように玩ばされ、なんとも哀れなのである。
 高齢世代の観客が多数を占める昨今の歌劇場で、到底あたたかく歓迎される作品ではない。
 しかも、パスクワーレ、まだ70歳に過ぎない。

 本作の初演は1843年。
 ヨーロッパの平均寿命は40歳くらいであった。
 その一番の理由は乳幼児の死亡率が高かったからであるが、戦前までの我が国同様、「人生50年」であった。
 当時70歳と言ったら文字通りの古稀(古来稀なる)、現代の感覚からすれば100歳越えと言った感じではなかろうか。
 そのお年寄りが何十歳も年下の花嫁をもらうことに決め、可愛がっていた甥エルネストを遺産相続から外して無一文で屋敷から追い出そうとしたのが、ことのきっかけであった。
 マラテスタとノリーナの兄妹は、エルネストを窮地から救い、ノリーナとの結婚を成就させるためにタッグを組んでパスクワーレを罠に嵌めたのである。

 当時の観客(当然40代以下がほとんどだったろう)からすれば、70歳の老いぼれが金に飽かして若く美しい嫁をもらおうとし、将来ある若者たちの恋路を邪魔するなんて、「厚顔無恥、失笑千万、言語道断」と思ったであろうし、兄妹の仕掛ける罠にはまってすっかり面目を失ったパスクワーレの惨めな姿に、「ほら見たことか」と快哉の叫びを上げもしただろう。

 時代は変わった。
 いまや70歳と言ったら青春真っただ中!――というのは言いすぎだけれど、競馬で言えば第3コーナーを回ったあたりではなかろうか。
 定年を迎え、待ちに待った年金生活に入り、これからが『人生の楽園』。
 実際、趣味に旅行にボランティアに野菜作りに蕎麦打ちに・・・・と自由な時間を気の合った仲間たちとエンジョイしている人は少なくない。
 人生何度目かの恋をして結婚する人だって珍しくなかろう。
 恋やエロこそ最高の若返りの秘薬、老いらくの恋の何が悪い!
 そう言えば、そんな元気なシルバーたちが登場し、あざやかな“どんでん返し”が話題を呼んだミステリーがあったっけ。

葉桜の季節に君を思う


 そういうわけで、このオペラは現代の風潮からも人権感覚からも高齢者のQOL(人生の質)という観点からも、観客の不興を買う恐れがあり、上演が忌避される傾向にあるのかもしれない。
 つまり、ポリコレ(Political Correctness)失格である。
 真偽のほどは分からぬが、そう考えるのでもなければ、これほど素晴らしい音楽が詰まっているオペラがなかなか上演されない理由が検討つかないのである。
 
 『愛の妙薬』に勝るとも劣らない、美しくロマンティックで親しみやすいアリアがソプラノにもテノールにも用意され、イタリア語の語感を存分に生かしたロッシーニ風のスピード感ある重唱や合唱も楽しく、聴きどころが多い。
 ドニゼッティには珍しく、すっきりとして無駄のない筋の運びは、オペラ初心者にも勧められること請け合い。
 なにより、滑稽や悲嘆や憐れみや優しさや優美やコケットリーなど、さまざまな感情や表情を色彩豊かに表現するオーケストレーションは、贅沢の極み。
 職人ドニゼッティが晩年に達した域の高さがうかがえる。
 (ただし、ストーリーの他愛無さとご都合主義はイタリン・ブッフォそのものである)
 
 出演者では、ノリーナ役のエヴァ・メイが素晴らしい。
 華やかで色っぽく意志の強そうなルックスは、ノリーナにぴったり。
 その声は美しく豊潤で伸びがあって、コロラトゥーラ技術も文句ない。
 タイトルロール(主役)のアレッサンドロ・コルベッリは、どこかで見た覚えがあると思ったら、チェチリア・バルトリの代表作『チェネンレトラ』のDVD(1996年DECCA)で従者ダンディーニを歌っていたバリトンであった。
 役者として決して華があるとは言えないけれど、歌唱技術は比類ない。弾丸のような早口言葉を見せてくれる。
 マラテスタ役のロベルト・デ・カンディアは喜劇センスに優れ、音楽に合った体の動きや表情が見ていて楽しい。
 エルネスト役のアントニーノ・シラグーザの輝かしく明るい伸びやかな声は、ディ・ステファノやパヴァロッティの衣鉢を継ぐ正統イタリアンテノール。第3幕のセレナータ『4月の風はなんて甘美なんだろう!』は、まさに甘美さにうっとりさせられる。
 このライブ公演は記録に残して大正解だった。 

 『ドン・パスクワーレ』を発表した時のドニゼッティは46歳、その4年後に亡くなった。
 梅毒が原因だったという。
 「老いらくの恋はよしなさい」は、後悔を込めた自戒だったのか・・・・。

ドニゼッティ
ドニゼッティ