1993年文藝春秋

 昭和の三大・浦島太郎と言ったら、横井庄一(1915-1997)、小野田寛郎(1922-2014)、そして伊藤律(1913-1989)と言っていいだろう。
 前者2人は、太平洋戦争終結を知らぬまま、それぞれの任地であるグアム島(アメリカ)、ルパング島(フィリピン)のジャングルをさまよい続け、派遣からそれぞれ28年目(1972年)、30年目(1974年)に日本への帰還を果たした。
 共産党幹部だった伊藤律は、戦後GHQ指令のレッドパージを避けて1951年中国に渡るも、同地にて1952年から1979年まで実に27年間の獄中生活を送る羽目となり、1980年9月ようやく帰国した。
 本書は伊藤律自身による回想録で、死後出版である。
 
伊藤律
 
 伊藤律が帰国した際のマスコミの騒ぎは相当なものだったらしいが、ソルティはよく覚えていない。
 1980年と言えばすでに高校生になっているはずなのだが・・・・。
 かえって小学生時代にあった横井さんと小野田さんの生還ニュースのほうが記憶に残っている。
 ウクレレ漫談の牧伸二が『笑点』で、横井さんがジャングルで生き延びられた理由を「♪あたァりまえだよ、ガム島だァ」などと唄ったのをいまだに覚えている。
 
 横井さんと小野田さんの場合は、状況が子供にもわかりやすかったし、テレビで繰り返し流された2人の帰還兵のヴィジュアルの衝撃もあった。密林サバイバル的な興味も大きかった。言葉は悪いが、見世物として娯楽性が高かった。
 伊藤律の場合は、状況が複雑で政治が絡んでおり、なんだか背後に闇を感じさせた。
 マスコミ報道も、横井さんや小野田さんの時とは違って、アッケラカンとした明るさがなかった。伊藤律の帰国を歓迎しているというより戸惑っているかのようで、奥歯に物がはさまったようなスッキリしないものがあった。
 ノンポリ少年としては、興味の対象にならなかったのであろう。
 本書を読むきっかけとなったのは、松本清張著『日本の黒い霧』である。
 そこで伊藤律は、戦前のゾルゲ事件に関わった二重スパイとして批判的に描かれていた。

ゾルゲ事件
昭和16年(1941)駐日ドイツ大使館顧問ゾルゲ(Richard Sorge)と尾崎秀実(おざきほつみ)らが日本の政治・軍事に関する機密をソ連に通報した疑いで逮捕された事件。両名は昭和19年(1944)処刑。(小学館『デジタル大辞泉』より)

 これが世上を揺るがす大事件となったのは、尾崎秀実が時の近衛文麿内閣のブレーンだったことによる。
 尾崎秀実と親交のあった共産党員の伊藤律もまたソ連のスパイとして当局に疑われ、身柄を拘束された。
 特高のきびしい取り調べを受ける中で、尾崎周囲の人物との関係を正直に話しているうちに、いつの間にか伊藤自身が「ゾルゲや尾崎を当局に売った人間」、つまり裏切者(密告者)にさせられてしまう。
 終戦後に出獄し古巣の日本共産党に戻るも、今度は仲間たちから「体制側(GHQや日本政府)のスパイではないか?」と疑いの目を向けられる羽目になる。
 なんとも難しい立場に陥ったものである。
 この「スパイ疑惑」という言葉が、伊藤律のその後の人生について回ることになった。

spy_cat

伊藤律の人生を簡潔に記す。
  • 1913年 広島に生まれる
  • 1933年 日本共産党入党。最初の検挙。取り調べ中に「転向」を表明
  • 1935年 保釈後、尾崎秀実と知り合う
  • 1940年 二度目の検挙。その間に起きたゾルゲ事件についても取り調べを受ける。ゾルゲ、尾崎を当局に売った男として「裏切者」の汚名を負う。
  • 1945年 仮出獄
  • 1946年 共産党再入党。徳田球一書記長の信頼を得、幹部として党再建に従事。 
  • 1951年 GHQのレッドパージを逃れ、中国へ密航
  • 1952年 スパイ活動の疑いで共産党を除名される。北京で投獄され、中国共産党監視下に置かれる。
  • 1979年 釈放される
  • 1980年 日本帰国。家族との再会を果たす。過去について沈黙を守る。
  • 1989年 腎不全にて死去
 いや~、凄い人生である。
 人生の半分近くを牢獄で過ごしたこともさりながら、左右両極からスパイとみなされ、歴史の教科書に載るゾルゲ事件に名を連ね、徳田球一の後継者として日本共産党の次期トップと目されながら、いきなり言葉も分からぬ外地に幽閉されてしまう。
 すでに死んだものとみなされ、世間からも党からも忘れ去られた頃、バブル前夜の豊かで平和な日本に満身創痍の姿で舞い戻ってくる。
 「事実は小説より奇なり」を地で行く人生。
 ドラマ化、映画化されていないのが不思議だ。

 本書によれば、伊藤は左右どちらのスパイでもなかったし、ゾルゲ事件にはまったく関わっていなかった。もちろん、尾崎やゾルゲを売ってもいない。
 ゾルゲ事件に関する最新の研究によれば、G2(GHQの参謀第2部)のエージェントだった川合貞吉という男が私怨から伊藤を陥れ、裏切者(密告者)に仕立てあげたらしい。
 また、中国で投獄の憂き目を見たのは、徳田球一亡き後の党内主導権争いに絡まる陰謀のようで、ともに中国に渡った野坂参三が伊藤の過去の「スパイ疑惑」を持ち出して、日本共産党から締め出すことを企んだ結果とのこと。
 野坂の讒言を信じた宮本顕治ら日本共産党中枢部が、中国共産党に伊藤の身柄を預けたのである。
 帰国した野坂は、もとは自分と敵対する派閥の領袖であった宮本書記長にすり寄ってNO.2の座を獲得し、その後何十年にもわたり日本共産党の重鎮、党の英雄として持てはやされた。
 それが1993年に101歳で亡くなる直前、大どんでん返しが起こる。

 野坂は戦時中、一緒にソ連に渡った山本懸蔵ら数名の同士について、ソ連の秘密警察内務人民委員部(NKVD)に「敵の内通者だ」と讒言・密告し、スターリンに処刑させていた。その、長年隠していた暗い過去が1992年に発覚し、野坂はこのとき100歳を超えていたにもかかわらず日本共産党の「名誉議長」職を解任され、党除名処分も受けた。(池上彰・佐藤優著『真説 日本左翼史』より)

 野坂こそが裏切者、日本共産党史上最大の「ユダ」だったのである。
 川合貞吉、野坂参三という2人のユダと関わったのが、伊藤律の最大の悲劇だった。
 別の見方をすれば、伊藤律という人物は、こんなふうに“人に利用されやすい、生贄になりやすい、隙のあり過ぎる”男だったのであろう。
 本書を読んでも、良く言えば真面目で一本気でいったん心を許した相手には犬のように忠実、悪く言えば頑固で激しやすく世渡りベタ、そんな東映任侠映画に出てくる不器用な若頭のような性格が伺える。

ユダの接吻
ジョット作『ユダの接吻』

 図書館で借りてきたはいいものの、本書には戦後日本の左翼用語が頻出し、そのうえ伊藤が囚われていた50~70年代の中国の政治情勢の説明もある。
 漢字でいっぱいの硬そうな紙面を前に「途中挫折するかも・・・」と一抹の不安とともに読み始めた。
 が、面白いったらなかった。
 ジェットコースターのように激しく上がったり下がったりする伊藤の変転する境遇に魅せられ、あれよあれよと3日ほどで読み終えてしまった。
 
 読みどころを4つ挙げる。
 
 一つ目は、日本共産党の官僚体質、主導権をめぐる派閥争いの醜さが浮き彫りにされているところ。
 これは日本共産党に限らず、右だろうが左だろうが同じことで、男ばかりのピラミッド型組織の常なのだ。
 「思想」や「路線」の違いとか体のいいことを言っているが、つまるところは猿山のボス争い。
 オスの遺伝子に組み込まれたマウンティング合戦に過ぎない。
 しかるに伊藤はこんなことを真面目に書いている。 

路線闘争は、社会における階級闘争の党内における反映である。つきつめれば、党内におけるプロレタリアとブルジョア思想の闘争である。 

 ソルティはこんなおためごかし、9割がた信じない。
 
 二つ目は、伊藤が獄中から見た中国の政治体制の変遷である。
 伊藤は、1949年の中華人民共和国樹立から間もない52年、プロレタリア革命の気運が国中に色濃く漂う中で投獄され、1976年に毛沢東が亡くなるまでの中国を、文字通り内側から、資本主義社会であれば社会の一番下の階級に組み込まれる囚人という立場から目撃し、肌で感じとったのである。
 毛沢東の威を借りた軍官・林彪(りんぴょう)による文化大革命の推進とクーデターの失敗、周恩来らによる脱文革の動き、それを叩き潰した江青ら〈四人組〉の横暴、そして毛主席の死。
 プロレタリア主権であるはずの共産主義が、結局は毛沢東の独裁と人民に対する洗脳に収斂していった様子がありありと描かれているのだが、当の伊藤自身は最後の最後まで、毛沢東に対する信頼も、共産主義に対する信仰も失わない。
 
 裁判もなく27年間も秘密監禁されたことは残酷な運命だったが、それに不平ばかりは言えない。この獄中生活あればこそマルクス、レーニンから毛沢東に至るまでの全著作をじっくり勉強できたのだ。もちろん完全に理解することはできなかったが、一通り全著作を中国版ながら読破したのは私の生涯における破天荒なことであった。 

 三つ目は、獄中生活の詳細である。
 毛沢東の方針や彼に重用される人物が変わるごとに、社会体制は一変し、獄中にいる囚人たちの待遇もコマの目のように変わっていく。むろん、中国の経済事情も大きく影響する。
 伊藤の置かれる環境――衣食住の質、新聞・雑誌などの閲覧の自由、牢内の衛生環境、運動時間の確保、病気になったときの治療、なにより看守の態度e.t.c.――は、その時々で天と地ほどの変わりようを見せる。
 長期の拘留が健康を蝕まないわけがなく、帰国時には両耳はまったく聞こえず、目は失明に近く、口内は総入れ歯、腎不全の悪化から人工透析を必要とするほどになり、車椅子での移動が常態であった。
 とりわけ、〈四人組〉時代には伊藤への虐待と迫害、病の放置は頂点に達した。
 なのに、伊藤はこう書いている。
 
 この時期、私は生死の境を彷徨していた。あまりの苦しさと絶望的な環境のために幾度か死を想った。と同時にこの時期は、自分の個人主義、ブルジョア世界観、人生観との死闘の頂点でもあった。そしてプロレタリア世界観が死線を越えて決定的に勝利すると共に、病気も死線を越えて回復に向かった。この迫害と生死の境に置かれたればこそ、私は生まれ変わることができたのである。基本的に過去を清算し、プロレタリア人生観、世界観を確立し得た。社会主義中国の牢獄は私にとってまたとない思想改造のための学校だったのだ。

 いやはや!
 なんともお目出たい性格と言うべきか。
 あるいは、このようなポジティブな解釈の仕方ができたからこそ、伊藤は地獄を生き延びることができたのかもしれない。

 悲惨極まる牢獄生活の記述の中で、そこだけポッとあたたかい灯りが点るのは、伊藤を25年間親身に世話し教育機会を与えてくれた看守の老石(ラオシ)との交流である。
 老石の職務は中華人民共和国の工作員であった。

 一看守として私の世話を始めたころの老石は、年若い青年だったのに、別れる時には、頭には霜がふり、老眼鏡を必要とする高年幹部だった。その間実に四半世紀、何ら名利を求めず、一点の私心なく、党と人民の与えた部署を守り抜いた。可能な限り、一日本人孤囚を教育し、生命を守って自己の半生を惜しみなく費やした。しかも、文化大革命の嵐にも見まわれながらである。 

毛沢東
天安門広場の毛沢東

 四つ目は、伊藤律の骨の髄まで達した共産主義信仰のありよう。
 自らを陥れ、27年間も異国の牢獄に放置した日本共産党を伊藤は恨みもせず、党への愛と忠誠心を忘れない。
 帰国に際しての公安の取り調べでは、30年も昔の党内の機密を漏らすことを断固として拒否する。
 独裁主義に陥り人民を武力で抑圧するのを恬として恥じない中国共産党の現状に接しても、マルクス主義に対しても何ら疑問も揺らぎも感じていない。
 それはまさに信仰の領域にある。
 1980年、「伊藤律生存」の報を受けて、日本大使館の職員と共に公安検察官の大林が中国まで事実関係の確認にやって来た。
 伊藤は身構える。
 
 私はなるべく早く帰国手続きをして旅券を出してほしいと要求したが、大林は、大使館としてはできるだけ努力するが、何分本国政府の決定を待たねば、と言外に威嚇を含めた言い方をした。そして、そのあと言葉を改めて、現在は共産党をどう想っているのかと訊ねてきた。いよいよ切り出してきたなと感じた。帰国許可を餌に「転向」を表明させようとする謀略にちがいない。それを突破口に党内機密を喋らせる肚なのだ。ここが頑張りどころだと思い、「大多数の党員大衆には昔と変わらない気持ちを抱いている。共産党を愛している。ただし今の指導部については長年事情がわからないままなのでの何とも言えない」と答えた。
 大林は又もや、「あなたは除名されたのだからいまさらその党に義理だてをして自ら苦しむ必要はないでしょう」と言う。裏返せば、党についてすべてを話せば簡単に帰国が許されるのに、という意味なのだ。「共産主義者はいつ如何なる立場に置かれても、自己の見地を守る。そういう話はいっさい止めてくれ」と答えた。 

 まさに、横井さんや小野田さんと同様の「浦島太郎ぶり」に驚くほかない。 
 1980年と言ったら、山口百恵と三浦友和が結婚し、松田聖子がデビューし、任天堂がゲーム&ウォッチを発売し、映画ドラえもんシリーズ第1作『映画ドラえもん のび太の恐竜』が公開され、モスクワオリンピックへの日本不参加が決定され、ルービックキューブやソニーのウォークマンが大流行し、漫才ブームが到来し、黒澤明の『影武者』がカンヌグランプリを獲った、そんな時代である。
 70年代初頭の新左翼によるゲバルトを経て日本の左翼運動は下火となり、共産党員ですら「革命」という言葉を口にしなくなっていた。
 帰国した伊藤律の両の目に1980年の日本はどう映ったのだろう?
 いや、耳も聞こえず、目もよく見えなかったので、その脳裏に浮かぶは29年前レッドパージの中で離れたときの日本の姿だったのかもしれない。

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 伊藤律は1989年8月、腎不全のため79歳で亡くなった。
 1989年――それは昭和天皇が亡くなった年であり、中国共産党が民主化を要求する大衆を徹底的に弾圧した天安門事件が起きた年であり、ベルリンの壁が崩壊した年であり、チェコスロバキアでビロード革命が起こり共産党体制が崩壊した年である。この流れは1991年のソ連崩壊まで続く。
 伊藤律は、昭和の終わりと共に、社会主義の“終わりの始まり”と共に、世を去った。
 死まで見事に演出されている。
 まさに「伝説の人」と言うにふさわしい。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損