2005年日本
114分
この映画を観ていると、「映画」と「映画ではないもの」の違いって何なのだろう?――と問わざるを得なくなる。
そして、それが「映画」である、と一瞬にして判定できる“目”とは何なのだろう?――と考えざるを得なくなる。
つまり、それくらい完膚なきまで「映画」な作品なのである。
たとえば、野村芳太郎監督の『砂の器』は日本映画史に燦然と輝く傑作だと思うし、ソルティの生涯映画ベスト20に入れるのにやぶさかでないけれど、『砂の器』と『リンダ リンダ リンダ』のどちらがより「映画」か?――と問われたら、即座に後者を上げるだろう。
一つ一つのショットの素晴らしさ!
冒頭のシーンで、教室が並らぶ廊下を少女が友人を探しながらひたすら歩く長回し。
いっぱしの映画青年なら、トリュフォーの『大人は判ってくれない』やジム・ジャームッシュの『ダウン・バイ・ロー』からの引用がどうたらこうたらと語りだしそうだが、単純になによりもその楽天的なる平行運動が心地良いのである。
校舎の谷間から見える空、誰もいない駐輪場、番号の付いた木製の下駄箱を映す固定の空ショットも、小津安二郎の影響がどうたらとか『コロンバス』のコゴナダ監督との関連とか、蘊蓄を語ればキリなかろうが、なによりも虚を突かれる衝撃があるのである。
物語の筋とは直接関係ないところで紡ぎ出される映像の遊びこそが、映画の映画たるレーゾンデートルである。
内容的にも、大人の男の監督が、かくも鮮やかに思春期の少女たちを描けるものかと感心してしまう。
少女が主役の『天然コケッコー』でも感じたが、山下敦弘監督はかなりフェミニン(乙女)なところがある人なのではなかろうか?
少女たちの恋、友情、憧れ、反目、挑戦、怠惰、恥じらい、孤独、プライドなどが見事に活写されている。
物語的には、4人の女子高生が高校生活最後の学園祭でバンド演奏するまでのいきさつを描いているに過ぎない。
非常に凡庸な、どこにでもある話である。
凡庸な監督がこれを撮ったら、まったく退屈極まる、知人の結婚式の記録ビデオのようなものになるだろう。
ところが、実にフレッシュで心騒がす感触がある。
凡庸な話を凡庸のままで終わらせるか、それとも観る者にまったく新しい体験を与えることができるか、そこに「映画でないもの」から「映画」をより分ける鍵があるのだろう。
おすすめ度 :★★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損