2020年講談社

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 いやあ、難しかった。
 おのれの読解力の限界に挑戦するような読書体験であった。
 自分は文系だなんてよく言えたものだ。
 遺伝(生まれ)か環境(育ち)かは知らず、脳の構造や頭の働きにはどうにもならない壁があるってのを痛感した。

 もちろん最初から哲学書と分かってはいた。
 山口百恵の引退ラストソングを思わせるようなノスタルジックでパセティックなタイトルに警戒心を解いて、おもむろに読み始めたものの、文意を理解し論理を追うのに手こずった。
 自由意志の有無をめぐる昨今の議論は興味深いし衝撃的でもあるので、もっと“一般向け”にわかりやすく書いてくれたら・・・・・と願わざるを得なかった。

 内容を的確にまとめるのも紹介するのも自信がないので、読書感想文レベルで素直に思ったことを記す。
 まず、著者の木島泰三は西洋近世哲学を専門とする研究者(1969年生まれ)ということなので「哲学者」と言っていいと思うのだが、現代の哲学者には科学的素養が不可欠なのだということを改めて感じた。 
 哲学とは、「人間はなんのために生きるか?」とか「人間はどう生きるべきか?」といったことを問う学問と思うが、その肝心の「人間」がそもそもどういう存在であるかを把握する上で、現代科学(とくにダーウィン以降)の知見がもはや欠かせないのである。
 進化論、遺伝子学、脳科学、心理学、動物行動学、果ては宇宙物理学や量子力学まで、「人間存在」を科学の言葉で解明できる部分が少なくない、という現実がある。
 その意味で、本書も哲学書でありながら科学書の趣きもある。
 現代の哲学者はたいへんだ。

 次に、本書全体の特徴を言うなら、「自由意志の問題を考察する上で最低限知っておきたいトピックをほぼ網羅した見取り図を描いている」ということになろう。
 古代ギリシャのソクラテスやデモクリトスに始まって、リチャード・ドーキンスの『利己的遺伝子』やベンジャミン・リベットの実験に至るまで、哲学史と科学史をたどりつつ、この問題に関する幅広い議論や説や様々な論点を整理・紹介してくれている、たいへんな労作である。 
 ソルティは、最先端の科学が自由意志の存在を否定する(ように見える)ことに関心を抱き、興味の赴くまま関連本を読んできたのであるが、そもそも自由意志の問題は哲学史において、古代から議論白熱の主要トピックの一つだったのである。
 その視点がソルティにはまったく抜けていたということに気づかされた。

 とはいえ、それも仕方ない。
 本書でも記されているように、近代科学の勃興をみるまで、自由意志の問題はおおむねキリスト教神学の中で取り上げられてきたのであった。
 
 こういう全能の唯一神を中心に据えるようになったヨーロッパ思想において、自由意志の問題は何より、神の全能性と人間の自由をどのように調停するのか、という問題として取り組まれてきた。これは人間の運命を気にかけ、それを左右しようとする人格的存在と自由意志との関係という問題であり、典型的な「運命論」の問題である。 

 つまり、ソルティが関心を持っている「自由意志の存在の有無を科学的に如何する」というテーマとはおのずから次元が異なる。
 全能の唯一神をはなから想定していない者にしてみれば、まったく関係ない議論である。
 
 一方、著者が本書でもっとも議論を尽くして強調している「運命論」と「因果的決定論」との違いは重要なポイントであり、現代の自由意志論争においても関係ないとは言えない。
 (人間についての)因果的決定論とは「自然法則に適った何らかの過程が意志を決定している」という意味で、簡単に言えば「ドミノ倒しのような原因と結果の法則は、人間の思考や感情や行動を含めたすべてに適用される」ということである。
 著者はこれを「運命論」とは明確に区別されるべきと主張している。

 運命論と因果的決定論との最大の区別はどこにあるか。それは、因果的決定論は目的論の要素を含まない思想であるのに対し、運命論が本質的に目的論の一形態として解される思想であるというところにある。つまり運命論によれば将来の「運命」があらかじめ定まっており、それを実現させる「ために」という、終着点(テロス)の指定が不可欠の要素として想定されている。あるいはそれは、「どこへ?」という問いかけと抜きがたく結びついている。

 たとえば、いま科学者が「自由意志は存在しない」とか「我々の思考や行動を決定しているのは無意識であり、意識は傍観者に過ぎない」と言ったときに、「ならば、我々の運命はあらかじめ決まっていて、何をしても無駄なのか?」とつい悲観的になってしまう人がいるかもしれない。
 が、人の運命をあらかじめ定めているような偉大な神なり宇宙的プログラマーなりは存在しないので、悲観したり捨て鉢になったりする必要はないよということである。
 たしかに、この違いをわきまえることは重要であろう。

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 現在、自由意志の有無をめぐる議論は、次の3つの立場に分かれるという。
  1. 自由意志原理主義(リバタリアン)・・・自由意志はある!
  2. ハード決定論(因果的決定論)・・・自由意志はない!
  3. 両立論・・・1と2は両立できる?
 詳しくは本書にゆずる(ゆずらざるを得ない)が、著者の立場は、たとえこの先、2のハード決定論が科学的に完璧に証明されたとしても、それで人生をあきらめる必要もないし、自らの定めた目的に向かって努力やチャレンジするのを「無駄」と切り捨てる必然性もないよ、ということのようだ。(ひどい雑なまとめ!)

 もう一点。
 因果的決定論の最たるものは、おそらく仏教それも初期仏教であろう。
 「是あれば彼あり、是なければ彼なし」の因縁の教えは仏教の中心教義である。
 また、仏教で「意志」という概念にあたるのは「行(サンカーラ)」だと思うが、ブッダは人間を構成する五蘊(色・受・想・行・識)のいずれもが「無常であり、無我であり、苦である」と説いた。
 「行(=意志)は幻想である。それは“わたし”ではないし、そこに“わたし”はいないし、そこを離れた外部にも“わたし”はいない」と言った。
 こうしたブッダの教えが、最先端の科学の知見と符合するところが多いというのが、ソルティがそもそもこのテーマに関心を持った理由であった。

 木島は西洋哲学専門なので、本書には仏教に関する論考が入っていない。
 しかし、自由意志の問題に関する見取り図を作るなら、やはり仏教に触れないわけにはいかないと思うし、仏教が「決定論をめぐる哲学史」においてどういう位置を占めるのか、自由意志についてブッダはどうとらえていたか、非常に気になるところである。
 
 著者は『エチカ』を著したオランダの哲学者スピノザ(1632-1677)に多大な影響を受けた模様。
 唯一絶対神を否定したスピノザの思想は「歴史上もっともラディカル」と言われている。
 私見だが、歴史上もっともラディカルな思想は、スピノザでもマルクスでもなく、ブッダだと思う。
  
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スピノザ
気になるが、ソルティに読めるだろうか?




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損