筒井功の『利根川民俗誌 日本の原風景を歩く』の中に大正12年(1923)に起きた福田村事件の記載があった。
関東大震災の時に発生した「朝鮮人暴動」という流言飛語に乗せられて起きた、地域住民による集団暴行殺害事件で、被害者となったのは朝鮮人ではなくて、香川県から行商に来ていた被差別部落の住民たちであった。
一行15名のうち、6歳、4歳、2歳の幼児3名を含む男女9名が、鳶口や竹槍や日本刀で襲われて、その場で絶命した。女性の一人は妊娠中だったので、胎児を含めると10名が殺されたことになる。
この血みどろの殺戮劇があったのは、千葉県東葛飾郡福田村三ツ堀(現在の野田市三ツ堀)の香取神社周辺で、当地での行商を終えた一行は利根川を渡って、隣の茨城県に向かう途中であった。
そこで渡し場の船頭とのちょっとした諍いがもとで足止めを食らい、集まってきた村人たちに「朝鮮人ではないか」と問い詰められたあげく、恐怖と怒りから我を忘れ狂気と化した男たちによって惨殺されたのである。
ソルティは少し前に加藤直樹著『九月、東京の路上で』ほか、朝鮮人虐殺に関する本を読んでいたこともあり、一度現地を訪ねてみようと思った。
駅前にあるキッコーマンの工場
「東武アーバンパークライン」という、かつての「E電」と同じ運命をたどりそうな、いっこうに馴染みそうもない愛称を奉られた「東武野田線」の野田市駅からバスに乗る。
野田は千葉県内で銚子と並ぶ醤油のふるさと。業界最大手のキッコーマンと白醤油部門では業界最大手のキノエネ醤油が所在する。
駅を降りたら醤油の香りがぷんぷん――ということはなかった。
香取神社前まで「まめバス」という愛称をもつ可愛いコミュニティバスに乗り約20分。
市街地を過ぎると、古くからの農村風景と郊外バイパス沿線の無味乾燥な風景が入り混じった、どこにでもある光景が広がる。
利根川の土手が見えてきたら目的地は近い。
香取神社はバス停から歩いてすぐのところにあった
香取神社と隣接する円福寺(神仏習合の時代は別当寺だった)
香取神社
千葉県香取市の香取神宮を総本社とし、経津主神(フツヌシノカミ)を祀っている。
経津主神は刀剣の威力を神格化したものと言われる。
まさか村人たちに神が乗り移ったのか?
経津主神は刀剣の威力を神格化したものと言われる。
まさか村人たちに神が乗り移ったのか?
拝殿と本殿が分かれている本格的な造り
境内には日露戦争の記念碑なども建っている
鳥居の内側から参道を見る
一行15名のうち生き残った6名は、針金で鳥居に縛られていたという。
殺された9名は、参道の途中にあった茶店の床几に座っていた。
想像するに、鎮守様の境内にいた人間にはさすがに地元民は手が出せなかったのではないか?
円福寺(真言宗豊山派)
円福寺境内に見かけた九地蔵
一般に、輪廻転生する六道(天界・人界・阿修羅道・餓鬼道・畜生道・地獄)に合わせた六地蔵が普通。
九体ある(しかも左の三体は子供のように見える)ことに、九人の犠牲者との関連はあるのか?
お地蔵様自体は、明治初期の廃仏毀釈の影響が見られるので、相当古い時代(江戸時代以前)のものに思われる。
九体ある(しかも左の三体は子供のように見える)ことに、九人の犠牲者との関連はあるのか?
お地蔵様自体は、明治初期の廃仏毀釈の影響が見られるので、相当古い時代(江戸時代以前)のものに思われる。
このように今なお風光明媚でのどかな土地で、かくも残虐非道な振る舞いが行われたことに驚くばかり。
来年(2023年)は、福田村事件100周年にあたる。
オウム真理教信者の日常を描いた『A』『A2』や『放送禁止歌』等の作品で知られるドキュメンタリー作家の森達也が、この事件の映画化を企図しているとのことで、最近キックオフイベントが行われたとのニュースを読んだ。
いったいどんな作品になるのか期待大であるが、ひとつだけ留意したいのは、現在三ツ堀に住んでいる人々には、何の責任も罪もないってことである。
追悼慰霊碑は黒御影石の立派なものでしたが、むき出しの地面にコンクリートの台座があって、その上に建てられていました。質素なたたずまいというか、なんとなく、寂しさを感じましたが、地元の方々の幅広い共感や理解を得られていない事情が伺えるようで、被害者の方々の無念さが胸にこみ上げました。
ソルティはかた
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