野菜たっぷりラーメンを食べて、すっかり満腹となった。
ここまで4時間近く歩き続けて、2年半前に骨折した左足くるぶしに痛みが生じていた。
「ここで中止しようか」という思いも一瞬浮かんだが、限界を知るいいチャンスと思い直し、続行。
運河大橋(県道5号)
江戸川だあ!
利根川取水口から8.5㎞、2時間20分(休憩のぞく)を要した
江戸川は埼玉県・東京都から千葉県を分かち、東京湾に注ぐ
つまり千葉県は、江戸川・利根川・太平洋・東京湾に囲まれたアイランド(島)なのだ
連続15kmの歩行は、骨折以来の最高距離であった。
帰りは左足を引きずって歩く始末で、翌日はほぼ一日、足を休めていた。
連日の長距離歩行はまだ難しいようだ。
が、今年中の登頂を企図している秩父の武甲山(1304m)も両神山(1723m)も総歩行距離10㎞くらいなので、もう少し鍛えれば挑戦できそうだ。
一つ気づいたことがあった。
利根運河の完成は1890年(明治23)、関東大震災および福田村事件があったのは1923年(大正12)である。当時の福田村一帯はまさに運河の開通の恩恵を被っていたのである。
一方でそれは、つながった利根川と江戸川を利用して、たくさんの見知らぬ人々がこの農村にやってくるようになったことを意味する。中には香取神社や円福寺を詣でる人もいたことだろう。
この事件を最初に知ったとき、ソルティは、“よそ者”に慣れていない閉鎖的な農村で起こった悲劇という印象を持ったけれど、たぶんそれは事実とは異なる。
震災の直後に朝鮮人暴動の噂が広がったとき、村人たちは川を上って来るいつもの“よそ者”を恐れたに違いない。
利根運河の開通が、事件の一つの因をなしていた可能性を思った。
それにしても、どこに行っても弘法大師と出会うのは不思議なほど。
いや、弘法大師がそれだけ庶民に愛されていることの証左なのだろう。
ここまで4時間近く歩き続けて、2年半前に骨折した左足くるぶしに痛みが生じていた。
「ここで中止しようか」という思いも一瞬浮かんだが、限界を知るいいチャンスと思い直し、続行。
運河大橋(県道5号)
地平線が見える平野がまだあったのか・・・
ついに放水口に到着!
江戸川だあ!
利根川取水口から8.5㎞、2時間20分(休憩のぞく)を要した
江戸川は埼玉県・東京都から千葉県を分かち、東京湾に注ぐ
つまり千葉県は、江戸川・利根川・太平洋・東京湾に囲まれたアイランド(島)なのだ
河川敷では開発が進む
放水口の岸辺で釣り糸を垂れる太公望
放水口より運河を振り返る
ここにも桜の園があった
休憩して足をマッサージ(限界近し)
右岸に回って運河駅へ戻る
彼方に筑波山が見えた
彼方に筑波山が見えた
〽菜の花畑に入り日薄れ
不思議な光景に見えますが・・・
(ゴルフの練習場です)
おや、これはなんだ?
利根運河・四国八十八霊場
大正2年(1913)運河開削工事の犠牲者の慰霊と地元住民の交流を目的として建立。
運河沿いに四国八十八の札所を模した参拝所が点在し、巡礼することができる。
ここには十七札所がまとまっている。
ここには十七札所がまとまっている。
窪田味噌・醤油工場
大正14年(1925)創業。野田の醤油はキッコーマンとキノエネだけではなかった。
大正14年(1925)創業。野田の醤油はキッコーマンとキノエネだけではなかった。
東武アーバンパークライン・運河駅に無事帰還
連続15kmの歩行は、骨折以来の最高距離であった。
帰りは左足を引きずって歩く始末で、翌日はほぼ一日、足を休めていた。
連日の長距離歩行はまだ難しいようだ。
が、今年中の登頂を企図している秩父の武甲山(1304m)も両神山(1723m)も総歩行距離10㎞くらいなので、もう少し鍛えれば挑戦できそうだ。
一つ気づいたことがあった。
利根運河の完成は1890年(明治23)、関東大震災および福田村事件があったのは1923年(大正12)である。当時の福田村一帯はまさに運河の開通の恩恵を被っていたのである。
一方でそれは、つながった利根川と江戸川を利用して、たくさんの見知らぬ人々がこの農村にやってくるようになったことを意味する。中には香取神社や円福寺を詣でる人もいたことだろう。
この事件を最初に知ったとき、ソルティは、“よそ者”に慣れていない閉鎖的な農村で起こった悲劇という印象を持ったけれど、たぶんそれは事実とは異なる。
震災の直後に朝鮮人暴動の噂が広がったとき、村人たちは川を上って来るいつもの“よそ者”を恐れたに違いない。
利根運河の開通が、事件の一つの因をなしていた可能性を思った。
それにしても、どこに行っても弘法大師と出会うのは不思議なほど。
いや、弘法大師がそれだけ庶民に愛されていることの証左なのだろう。
おんあぼきゃ、べいろしゃのう、まかぼだら、まに
はんどまじんばら、はらぱりたやうん
不空真実なる大日如来よ
偉大なる光明により
暗き世を明るく照らしたまえ
(光明真言)