1973年日活
69分
ソルティが性に目覚め、巷の性情報に対し興味津々たるティーンエイジャーの時分、「猥褻」と言ったら、D.H.ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』と永井荷風の『四畳半襖の下張り』であった。
どちらの小説も「猥褻か否か」が法廷で争われた結果、猥褻図書とみなされ、完全な形での公開を阻まれていた。
当時(昭和40~50年代初頭)、どこの本屋にもエロ本が並び、父親の買ってきたスポーツ新聞や週刊誌を開けば巻頭ヌードグラビアや風俗情報が紙面を埋め、宇能鴻一郎センセイや川上宗薫センセイの過激なポルノ小説がイラスト入りで掲載され、繁華街を歩けば裸の女性が大写しになったポルノ映画館の看板が普通に目に入った。
令和の今から思えばそんなエロ天国のような昭和末期にあって、なおも「猥褻」と言われ発行を阻まれている小説があることが驚きであった。
どれだけ凄い内容なのだろうと好奇心を募らせたことを覚えている。(問題個所が削除された形で出版された『チャタレイ夫人の恋人』は大ベストセラーになっていた)
その後、時代の風潮を受けて、どちらの作品も完全な形で読めるようになった。
もちろんソルティはさっそく読んだけれど、ご想像通り、「なんでこれが発禁処分?」と苛立ちを覚えるほどに、どうってことない内容であった。
チャタレイ夫人の情事は、かまきり夫人やエマニュエル夫人のアヴァンチュールにくらべれば、修道女のオナラのようなものであった。
チャタレイ夫人の情事は、かまきり夫人やエマニュエル夫人のアヴァンチュールにくらべれば、修道女のオナラのようなものであった。
先ごろ、田中登監督『(秘)色情めす市場』(1974)が第78回ベネチア国際映画祭のクラシック部門に選出されたというニュースがあったが、日活ロマンポルノには実際、名作・傑作がたくさんある。
神代辰巳や田中登のほかにも、曾根中生・小沼勝・石井隆・崔洋一・周防正行・相米慎二・滝田洋二郎・村川透・森田芳光など、その後日本映画界の第一線で活躍した(している)監督たちを産みだした、また育てた功績も大きい。
まぎれもなく性は人間の主要な一部であり、それなくして人は生まれず、それなくして人は生めず、それなくして人の世は成り立たないのだから、ありのままの人間を表現することを志す芸術家にとって性を描くことが一つの使命となるのは当然である。
それは猥褻とか女性蔑視という観点からだけでは捉えきれない、捉えてはならない人間の営為である。
話が大きくなった。
本作、なにより映像の美しさが際立っている。
大正時代の遊郭が、写実的ではなく幻想的に、幻燈のようなおぼつかなさで描かれている。
登場する男女のこまごました性遊戯や苦界を生きる遊女たちの日常は、一応リアリスティックに描かれているものの、それが生々しい現実や社会問題として観る者に迫ることはなく、ある種の滑稽と虚無のうちに淡々と語られてゆく。
一方、遊郭の外では、米騒動が起き、打ちこわしが起き、世界大戦が起きている。
この世の動きとはまったく関係ないところで行われる男女の「性」の追究のさまが、そのうち観る者のうちに逆転現象を起こし、外で起きている事件こそが幻想であるような錯覚をもたらすに至る。
性にはたしかに、そのような究極の個人性の発露とでも言うべき面がある。
社会が性を管理したがるのは、おそらくそれゆえなのだろう。
主演の江角英明と宮下順子
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損