1942年アメリカ
82分
原題:December 7th

 ウクライナのゼレンスキー大統領が米国連邦議会の演説で「パールハーバー(真珠湾攻撃)を忘れるな」と言ったとか、ウクライナ政府が昭和天皇の顔写真をヒトラーやムッソリーニの顔写真と並べた動画を作ったとか、このところ日本の旧悪を責め立てるようなニュースが続いている。
 古い証文を今さら突きつけられても・・・・という感がしなくもないが、人類の歴史や民族の記憶力という観点からすれば、80年という歳月は時効にするには短すぎるのかもしれない。
 
 本作は西部劇の名手であるジョン・フォード監督が手がけた戦意高揚映画で、公開時は34分の短編であった。
 これは、前半部分(48分)の内容が米軍の怒りを買って没収されてしまったからである。
 公開されたのは、日本軍による真珠湾攻撃の残虐とその後の復興や勝利の誓いを描いた後半部分のみであった。
 切られた前半部分には、仕事と自由を求めてハワイに移住した日本人の生活ぶりや、一部の日本人スパイがハワイの地勢や米軍の機密情報を故国に送った様子が描かれている。
 軍部が怒ったのは「日本人に対する罵りがない」からとも、「海軍が真珠湾の軍務を疎かにしていたように描かれている」からとも言われる。
 結局、激しい戦闘シーンが中心となる後半部分が上映され、第16回アカデミー賞短編記録映画賞を獲得した。

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 確かに後半部分は、まるで12月8日の真珠湾攻撃の一部始終を実際に撮影したかのようなリアルで迫力ある映像で、特撮レベルの高さに感嘆する。
 すべてがロケやセットを使った再現だというのが信じられないほどの臨場感。
 攻撃を受けた翌年(1942年)に、早くもこのレベルのドキュメント映画を制作できてしまう力を持っていたのだから、やっぱり日本が敗けたのもむべなるかな。
 
 お蔵入りした前半部のフィルムがその後見つかって復元され、82分の完全版で世界初公開されたのは1995年12月、なんと東京の三百人劇場において(2006年まで文京区にあった、懐かしい!)。
 制作から53年後のことだった。
 個人的には、カットされた前半部分こそ興味深かった。
 ソルティは、明治の文明開化以降に海外移住した日本人が大勢いたことは知っているが、彼らについて書かれたものも撮られたものもほとんど知らない。
 日系移民というとブラジル移民がすぐに思い浮かぶが、本作のように、ハワイに移住した日本人(日系アメリカ人)について描かれているものにははじめて触れた。
 このテーマは自分の欠落であった。

 本作の情報がどこまで正確なのか知らないが、1941年当時、ハワイの人口は42万3千人で、うち38%にあたる15万7千人が日本からの移住者だったという。アメリカ籍を取った、つまりアメリカ人になった日本人は12万人。そんなに多かったとは!
 彼らは主としてサトウキビやパイナップルの農場で働いていたそうだが、日本人町もできて、寿司屋や日系銀行や邦人の医師やナースの勤める病院、それに神社などもあったようだ。
 思うに、大日本帝国憲法下の日本より、常夏の楽園でアメリカ憲法のもと暮らしていた日本人のほうが幸せだったのではなかろうか?

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アメリカ人としてハワイに暮らしながら神道を捨てない日系移民

 もちろんそれも、真珠湾攻撃が始まるまでの話。
 太平洋戦争が始まってから日系移民たちの舐めた苦渋はいかなるものであったか。
 本作ではむろんそこまで語られないけれど、米軍や現地の住民たちに敵視されないためには、日本人としてのアイデンティティや信仰を抹消しなければならなかったはずである。
 ちょっとこのテーマを追いたくなった。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損