4月30日(土)晴れ 仙台~山形~寒河江~郡山
昨晩は東北随一の歓楽街・国分町のカプセルホテルに泊まった。
露天風呂に入っていたら土砂降りになった。気温もぐんぐん下がって、夜半にはみぞれとなった。
リクライニングチェアの並ぶ広い休憩室には漫画本がごまんとあった。
読みたかったおかざき真里『阿吽』を発見。小学館『月刊スピリッツ』で連載されていた作品である。
同時代に生きて真摯に仏法を追い求め、それぞれ真言宗と天台宗の開祖となった弘法大師空海と伝教大師最澄の出会いと別れ、友情と対立の熱いドラマである。
同時代に生きて真摯に仏法を追い求め、それぞれ真言宗と天台宗の開祖となった弘法大師空海と伝教大師最澄の出会いと別れ、友情と対立の熱いドラマである。
佐藤純彌監督の『空海』にも描かれているように、当初は互いに深く尊敬し合っているかに見えた2人の関係は、密教の主要経典である『理趣経』の貸借をきっかけに、そして最澄の一番弟子であった泰範が空海のもとに走ってしまったのをとどめに、決定的な決裂に至った。
これまで漫画化されていなかったのが不思議なほど、面白いライバルドラマがそこにはある。
これまで漫画化されていなかったのが不思議なほど、面白いライバルドラマがそこにはある。
2人を取り巻く登場人物もすこぶる魅力的。
平安京を開いた豪傑・桓武天皇、第一皇子で精神不安定な安殿の皇子(のちの平城天皇)、その側室となって政権を乗っ取ろうと謀った妖婦・薬子とその兄・藤原仲成、唐の都・長安で空海に密教の奥義を授けた恵果和尚、そして昨年岩波新書から発行された師茂樹著『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』によって俄然注目を浴びている気鋭の法相宗僧侶・徳一などなど。
全14巻のところ立て続けに6巻まで読み、さすがに寝不足を思って手を止めた。
が、ここでソルティは因縁を受け取った。
帰りは会津若松に寄って、徳一の開いた勝常寺に行ってみようと思いついたのである。
ネットで調べてみると、勝常寺には国宝3体はじめ、平安初期に造られた素晴らしい仏像がたくさんあるという。
これは行かねば・・・・。
そう決心しながらカプセルに潜った。
翌朝はよく晴れた。
仙山線で山形へ。宮城と山形の県境の長いトンネルを抜けたら、雪国であった。
よもやゴールデンウィークに雪を見るとは思わなかった。
一足早く山形入りしていたP君と合流し、左沢線で寒河江に行く。
左沢は「ひだりさわ」でも「さざわ」でもなく、「あてらざわ」と読む。
読めないよなあ~、ふつう。
ウィキによると、最上川の右岸を「こちら」、左岸を「あちら」と言っていたのが、なまって「あてら」になったとか・・・(他の説もある)。
寒河江駅からタクシーに乗り、K君のお墓のあるお寺まで。
道中はサクランボの白い花が満開であった。
K君はソルティより3つ4つ年下だったろうか?
いいとこのお坊ちゃま風な真面目な外見を一皮むけば、美川憲一風のオネエさまであった。
20年以上会っていなかったので詳しい事情は知らないが、お堅い事務系の仕事をしていてストレスが半端なかったようだ。精神安定剤を飲んでいたとも聞く。
一昨年の正月早々にK君急逝の知らせをP君からもらった。
その後にコロナが始まって、墓参りどころでなくなった。
K君のお墓は見晴らしと日当たりの良い小高い丘の上にあった。
父方の先祖代々の土地のようであった。
持ってきたお花を活けて、線香をあげた。
缶ビールを墓前に捧げ、ソルティとP君もご相伴に預かった。
K君の思い出で一番残っているのは、ある時、寺山修司作×美輪明宏主演で有名になった『毛皮のマリー』を演じるというので、サークルEの仲間数人と連れ立って山形まで観に行ったことである。K君は演技素人なれど、堂々の主演女優であった。
芝居の途中でマリーに仕える下男役が、食器の乗ったお盆を引っくり返すハプニングがあった。
しばしのスリリングな間のあとに、マリー扮するK君が「ちゃんと片付けておきなさいよ!」とアドリブでつなげた一言が忘れられない。
冥福を祈る。
さくらんぼの花
今回初めて知ったが、寒河江は源頼朝の側近・大江広元ゆかりの地なのであった。
鎌倉幕府成立後の文治5年(1189)、その功績により広元が寒河江荘の地頭に任じられたのがそもそもの起こりで、その後天正12年(1584)に18代大江高元が山形城主・最上義光との戦いに敗れて自害するまでの約400年間、寒河江は大江氏の治政下にあった。
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では俳優の栗原英雄が奸智に長けた広元を気品をもって演じているが、いま寒河江は密かな広元ブームに湧いている。
昨日の味方が今日の敵に転じるような鎌倉幕府成立期の混乱にあって、大江広元は最後の最後まで頼朝はじめ北条政子や義時に信頼され、かつ信頼にこたえた男であった。
ドラマの最終回が近づくにつれ、クローズアップされることであろう。
その大江一族が篤く庇護したお寺が慈恩寺。
慈恩寺こそは知る人ぞ知る寒河江の一大名所であり、駅にはポスターが張り巡らされ、多くの観光客が足を運ぶ。
墓参りを終えた後、参詣することにした。
慈恩寺は天平18年(746)聖武天皇の勅命によりインドの婆羅門僧正が開基したと伝えられている。
江戸時代には東西1キロ、南北5キロにわたる東北一の境内を誇り、本堂や三重塔をはじめ50近い院坊が、寒河江を見下ろす一山全体に散らばっていた。
国指定重要文化財である木造聖徳太子立像や木造十二神将立像など、鎌倉期の仏像が多く残っており、また山のふもとには令和3年5月にオープンしたばかりの総合案内施設「慈恩寺テラス」があって、地産そばに舌鼓を打ちながら慈恩寺の歴史を学ぶことができる。
なにより境内の空気のすがすがしいことったら!
本堂は山の中腹にある
立派な山門
建造物は江戸時代に再建された
建造物は江戸時代に再建された
本堂は国指定の重要文化財
屋根は茅拭き!
中に聖徳太子立像がある
屋根は茅拭き!
中に聖徳太子立像がある
三重塔
中には木造大日如来座像(ポスターの主役)
御開帳中で拝観なりました
中には木造大日如来座像(ポスターの主役)
御開帳中で拝観なりました
長い石段を登る
四国遍路を思い出させる風情
展望台から寒河江町を見渡す
手前を流れているのが寒河江川
手前を流れているのが寒河江川
左沢線で山形に戻り、P君と別れる。
夕食の弁当を買って奥羽本線に乗る。
GWどこ吹く風のガラ空き車両。
GWどこ吹く風のガラ空き車両。
ここから郡山まで3時間強の“乗りテツ”夢時間。
リュックの中には数冊の『チボー家の人々』がある。
幸せなひととき。
米沢駅で買った名物ミルクケーキと山梨ワイン
続く