収録日 1959年5月18日、1962年3月16日
会場 ハンブルク・ミュージックホール(ドイツ)
指揮 ニコラ・レッシーニョ(1959年)、ジョルジョ・プレートル(1962年)
演奏 北ドイツ放送交響楽団
マリア・カラス(1923-1977)の舞台映像で昔から日本のファンの間で良く知られていて公式に発売されているのは、次の4つである。
- 1958年12月19日パリ・オペラ座ガラ・コンサート『トスカ』第2幕ほか(カラス36歳)
- 1959年5月18日ハンブルク・コンサート(36歳)・・・当DVD収録
- 1962年3月16日ハンブルク・コンサート(38歳)・・・当DVD収録
- 1964年2月9日(ロンドン)コヴェント・ガーデン王立歌劇場『トスカ』第2幕(40歳)
他に、1974年10月19日にNHKホールで収録されたテノール歌手ディ・ステーファノ共演の東京公演の映像(51歳)もあるが、不世出のオペラ歌手としての名声偽りないことを証明し歴史的価値を有しているのは、上記4つの記録であると言って間違いなかろう。
とりわけ、1と4のライブ映像ではカラスが最も得意とした演目のひとつであるプッチーニ作曲『トスカ』の第2幕が、最高のスカルピア役者であったバリトンのティト・ゴッビの名唱・名演と共に収録されており、息の合った2人の火花を散らす歌の応酬と「トスカの接吻(刺殺)」に至るまでのスリリングな一挙手一投足は固唾をのんで見守るほかない。
58年と64年の二つのトスカの違い――カラスの声や容姿以上に変貌著しいのは役に対する解釈の違いである――も興味深いところである。
ソルティは20代の時にマリア・カラスに夢中になって、彼女が出演しているオペラやコンサートのライブやスタジオ録音のCDを買い集め、彼女について書かれている本をずいぶん読み漁ってきた。
が、このハンブルク・コンサートの映像は未見であった。
が、このハンブルク・コンサートの映像は未見であった。
当時この映像はレーザーディスクで観るほかなくて、ソフトも機器本体も高すぎて、おいそれとは手が出せなかった。二つのトスカ映像のほうはVHSで観ることができた。
30代に入って急速にクラシック熱が冷めてしまい、未見のままになった。
今やネットで『ハンブルク・コンサート』の中古DVDが数百円で手に入るし、一部の映像はYouTubeで無料で観ることもできる。このDVDも近所のゲオでなんと150円で手に入れた。
こんなにオペラが身近になるとは・・・・!
ソルティ所有のカラスCDコレクションの一部
カラス=女神と思っていた20代の頃とは違う冷静な目で、いまこのライブ映像を視聴して思うのは、まずカラスはそれほど飛びぬけた美人ではないし、人並み以上に美しい声の持ち主でもなかった、ということ。
ソプラノ歌手と言えば横幅たっぷりの「だいじょ~ぶ
」がお決まりだった当時はともかく、映像時代の現在ではカラスより容姿の点で優れる歌手はごまんといる。モデル並みのスタイルの歌手も少なくない。
また、カラスがそのスタイルをまねたオードリー・ヘップバーンはじめカトリーヌ・ドヌーブやエリザベス・テーラーなど、銀幕を飾る当時のスター女優たちにくらべればどうしたって容姿では敵わない。

また、カラスがそのスタイルをまねたオードリー・ヘップバーンはじめカトリーヌ・ドヌーブやエリザベス・テーラーなど、銀幕を飾る当時のスター女優たちにくらべればどうしたって容姿では敵わない。
むしろ、アップで観ると鼻や口など個々のパーツが大きく、顔つきに険があり、美女というより烈女という感が強い。
もっとも、『ガラスの仮面』の北島マヤのように舞台上で美しく化ける能力というものがある。カラスはまさにそれで、観客は舞台上のカラスが演じる椿姫やトスカやルチアに絶世の美女を見ていたのである。
優雅な仕草を含め舞台映えする容姿であるのは間違いない。
次に声であるが、これは当時から決して美しさゆえに注目を浴び絶賛された声ではなかった。
ライバルと言われたテバルティの「天使の声」はもちろんのこと、モンセラ・カバリエ、ジューン・サザーランド、ミレッラ・フレーニ、エディタ・グルベローヴァ、キャスリーン・バトル、ナタリー・デッセイ等々、カラス以降に一世を風靡したどの世界的プリマ・ドンナと比べても、声自体の美しさでは後塵を拝している。
ライバルと言われたテバルティの「天使の声」はもちろんのこと、モンセラ・カバリエ、ジューン・サザーランド、ミレッラ・フレーニ、エディタ・グルベローヴァ、キャスリーン・バトル、ナタリー・デッセイ等々、カラス以降に一世を風靡したどの世界的プリマ・ドンナと比べても、声自体の美しさでは後塵を拝している。
とくに衰えが目立つようになった60年代は、全体に声が太く低くなり、高音部は金属的な響きが増して、ときに耳障りなほどである。ハンブルク・コンサートでも、59年と62年では明らかに声が違っている。(そのため62年のコンサートではメゾソプラノの楽曲がほとんどである)
カラスの歌がカフェやデパートやプールサイドで流すような環境音楽あるいは作業用BGMに向かないのは、それが癒しや快適さや作業効率を高める類いの声ではないからである。
しかしこれもまた不思議なもので、その声はスタジオ録音で聴くよりオペラライブで聴く方が断然美しい。劇場空間において、美しく響く声だったのだろう。
その声は真に個性的なものだった。
俗に「七色の声」と言うが、ソルティの知るかぎり「七色の声」という形容にほんとうにふさわしい歌手は、マリア・カラスと美空ひばりだけなんじゃないかと思う。
カラスは、重く強靭な本来のドラマチックな響きと、努力によって獲得した軽く滑らかに歌う技巧とを併せ持ったソプラノ・ドラマティコ・タジリタという奇跡の声の持ち主であった。フレーズごとに声を使いわけ多彩な感情を表現できる、つまり歌で芝居できるところが、まさに美空ひばりと好一対と言えよう。
舞台映えする容姿、独特な声、卓抜なる技巧にもまして、カラスをカラスたらしめたのは、言うまでもなく、役に没入する力であろう。
多くの評者によって言いつくされていることではあるが、このハンブルク・コンサートでは、これから歌うアリアの前奏を指揮者の横で目をつぶって聴いている間に、それぞれのオペラの役に次第に没入していき、いざ歌い出す瞬間には表情や姿勢や雰囲気が歌い出す前とは別人格になっている、あたかも多重人格者の人格変容の現場をとらえたかのようなカラスの姿を見ることができる。
観客はそこに舞台上のカラスにかぶさるように、カルメンやマクベス夫人やシンデレラやロジーナや王妃エリザベッタなどオペラの諸役を見る。逆に言えば、それらの悲喜劇を生きた女性たちに憑依されたカラスを見る。
オペラ業界のみならず社交界や世間を騒がせた数々のスキャンダラスな振る舞いに示されたような、あれほど強烈な個性を持ちながらも、いざ舞台に立って歌うとなると「何を演ってもカラス」には決してならなかったところが凄い。
その秘密はおそらく、カラスの中には巨大な空虚があったからではなかろうか。
その空虚あればこそ、古代から現代までの様々な国や地域で劇的な境遇に置かれたヒロインたちが下りてきて、カラスの身体と声帯を自在に使いこなすことができたのだ。
マリア・カラスは巫女(よりまし)のようなもの。
あるいは、マリア・カラスというスターですら、時代によって演出され、ギリシャ系移民の子としてアメリカに生まれたマリア・アンナ・ソフィア・セシリア・カロゲロプーロス(カラスの本名)によって演じられた一個のキャラクターであったのかもしれない。
あるいは、マリア・カラスというスターですら、時代によって演出され、ギリシャ系移民の子としてアメリカに生まれたマリア・アンナ・ソフィア・セシリア・カロゲロプーロス(カラスの本名)によって演じられた一個のキャラクターであったのかもしれない。
カルメンが憑依中
(1962年コンサートより)
今回、はじめてハンブルク・コンサートを見て新鮮に感じたことがある。
それは、59年のコンサートと62年のコンサートでは、カラスの表情や雰囲気や身のこなしが全然違うのだ。
明らかに62年のカラスは幸福に輝いている。
表情に自然な笑みがあり、雰囲気は優しく柔らかで、身のこなしはより女性的で艶っぽい。
すなわち幸せオーラーに包まれている。
歌唱自体は上に書いたように、59年のほうがおそらく声が保たれていて完成度が高い。役への没入も59年のほうが集中力があって深い。59年のカラスはまさに「孤高の芸術家」といった感じで、近寄りがたいものがある。
62年のカラスは、観客にも舞台上の演奏家たちにも極めてフレンドリーで、「雌豹」というあだ名を奉られた剣呑なイメージとは程遠い。
3年ぶりにディーバに接したオケのメンバーたちは、その変化に驚いたのではなかったろうか。
3年ぶりにディーバに接したオケのメンバーたちは、その変化に驚いたのではなかったろうか。
こんな幸福なカラスがいたなんて・・・・!
62年のカラスは、“女としてのよろこび”を謳歌していた真っ最中だったのである。
しかるに、カラスの幸福は長続きしなかった。
有名女性をコレクションすることに多大なる関心を抱いていたオナシスは、手に入れたカラスに飽きて、女遊び(男遊びもあったらしい)を繰り返したあげく、今度はケネディ未亡人ジャクリーンにちょっかいを出すようになる。
カラスに冷たい仕打ちを重ねるオナシスと、もしかしたら最後になるかもしれない恋と家庭生活への希望をあきらめきれないカラス。
その葛藤と苦しみの中で生まれたのが64年の壮絶な『トスカ』第2幕であった。
わずか5年の間に撮られた4つのライブ映像を、カラスの恋愛事情や生活上の変化を踏まえながら視聴していくと、非常に興味深い。
そして、生活上の幸不幸のすべてが、結局は芸術の深化に寄与せざるを得ない“選ばれし”天才のさがに思い至り、黙然とする。