第8巻『1914年夏Ⅰ』(1936年発表)
第9巻『1914年夏Ⅱ』(1936年)
1952年白水社より邦訳刊行
1984年白水Uブックス
この小説を読み始める前は、「今さらチボー家を読むなんて周回遅れもいいところ」といった思いであった。
100年近く前に書かれた異国の小説で、邦訳が刊行されてからもすでに70年経っている。
新書サイズの白水Uブックスに装いあらたに収録されて書店に並んだのが1984年。しばらくの間こそ読書界の話題となり、町の小さな書店で見かけることもあった。
が、やはり「ノーベル文学賞受賞のフランスの古典で大長編」といったら、なかなか忙しい現代人やスマホ文化に侵された若者たちが気軽に手に取って読める代物ではない。
今回も図書館で借りるのに、わざわざ書庫から探してきてもらう必要があった。
自分の暇かげんと酔狂ぶりを証明しているようなものだなあと思いながら読み始めた。
なんとまあビックリ!
こんなにタイムリーでビビッドな小説だとは思わなかった。
というのも、第7巻『父の死』までは、主人公の若者たちの青春群像を描いた大河ロマン小説の色合い濃く、親子の断絶や失恋や近親の死などの悲劇的エピソードはあれど、全般に牧歌的な雰囲気が漂っていたのであるが、第8巻からガラリと様相が変わり「風雲急を告げる」展開が待っていたのである。
第8巻と第9巻は、タイトルが示す通り、1914年6月28日から7月27日までのことが描かれている。
これはサラエボ訪問中のオーストリアの皇太子がセルビアの一青年に暗殺された日(6/28)から、オーストリアがセルビアに宣戦布告する前日(7/27)までのこと、すなわち第1次世界大戦直前の話なのである。
世界大戦前夜。
なんと現在の世界状況に似通っていることか!
100年前の小説が一気にリアルタイムなノンフィクションに変貌していく。
『チボー家の人々』はまさに今こそ、読みなおされて然るべき作品だったのである。
MediamodifierによるPixabayからの画像画像:ロシアv.s.ウクライナ
第8巻前半のいきなりの政治論議に戸惑う読者は多いと思う。それも、ジュネーヴに集まる各国の社会主義者たち、つまり第2インターナショナルの活動の様子が描かれる。
そう、当時はプロレタリア革命による資本主義打倒および自由と平等の共産主義社会建設の気運が、これ以上なく高まっていた。
第2インターナショナル1889年パリで開かれた社会主義者・労働者の国際大会で創立。マルクス主義を支配的潮流とするドイツ社会民主党が中心で,欧米・アジア諸国社会主義政党の連合機関だった。第1次世界大戦開始に伴い,戦争支持派,平和派,革命派などに分裂して実質的に崩壊。(出典:平凡社百科事典マイペディアより抜粋)
チボー家の反逆児である我らがジャックは、いつのまにかマルクス主義を身に着け、インターナショナルの活動に加わっている。まあ、なるべくしてなったというところか。
この8巻前半は登場人物――実在する政治家や左翼活動家も登場――がいきなり増え、こむずかしい政治談議も多く、当時のヨーロッパの政治状況に不案内な人は読むのに苦労するかもしれない。
ソルティもちょっと退屈し、読むスピードが落ちた。
が、よくしたもので、このところ左翼に関する本を読み続けてきたので理解は難しくなかった。
読者はジャックの活動や思考を追いながら、当時のヨーロッパの国際状況すなわち植民地拡大に虎視眈々たる列強の帝国資本主義のさまを知らされる。
厄介なのは、列強が同盟やら協定やらを結んでいて関係が錯綜しているところ。フランス・英国・ロシアは三国協商(連合)を結び、ドイツ・オーストリア・オスマン帝国は三国同盟を結んでいる。そしてロシアはセルビアを支援していた。
一触即発の緊張をはらんだところに投げ込まれたのが、サラエボの暗殺事件だったのである。
オーストリアがセルビアに攻め入れば、ロシアがセルビア支援に動き、ドイツはオーストリアの、フランスはロシアの味方につき・・・・・。
ブルジョア家庭に育ちながら資本主義の弊害に憤るジャックは、プロレタリア革命に共感を持ちながらも、暴力や戦争には反対の立場をとる。
8巻の後半ではダニエルとジェンニーの父親ジェロームがまさかの自殺。
それをきっかけに、ジャックとジェンニーは久しぶりに再会する。大切な人の死が新たな恋のきっかけになるという人生の皮肉。
よく似た者同士でお互い強く惹かれ合っているのに素直になれず、なかなか結ばれない2人がじれったい。なにいい歳して街中で追っかけっこなんかしているのか⁉
世の中には息するようにたやすく恋ができる者(ジェローム、ダニエル、アントワーヌら)のいる一方で、その敷居が高い者(ジャック、ジェンニーら)がいる。
第9巻はジャックが主人公。
戦争阻止のためインターナショナルの活動にのめり込んでいくジャック。
一方、互いに疑心暗鬼になって戦闘準備することによって、さらに開戦へと加速する悪循環に嵌まり込んだヨーロッパ各国。
動乱の世の中を背景に、やっと結ばれたジャックとジェンニーの純粋な恋。
なんたるドラマチック!
このあたりの構成とストリーテリングの巧さは、さすがノーベル賞作家という賛辞惜しまず。
第8巻におけるアントワーヌとジャックの兄弟対話が奥深い。
プロレタリア革命の意義について滔々と語るジャックに対して、必ずしもガチガチの保守の愛国主義者ではないものの、現在の自身のブルジョア的境遇になんら不満や疑問を持たないアントワーヌはこう反論する。
「ドイツでだったら、立て直し騒ぎもけっこうだが!」と、アントワーヌは、ひやかすようなちょうしで言った。そして言葉をつづけながら「だが」と、まじめに言った。「おれの知りたいと思うのは、その新しい社会を打ち立てるにあたっての問題だ。おれはけっきょくむだぼね折りに終わるだろうと思っている。というわけは、再建にあたっては、つねにおなじ基礎的要素が存立する。そして、そうした本質的な要素には変わりがない。すなわち、人の本性がそれなのだ!」ジャックは、さっと顔色をかえた。彼は、心の動揺をさとられまいとして顔をそむけた。・・・・・・・・・・・・彼(ジャック)は、人間にたいして無限の同情を持っていた。人間にたいして、心をこめての愛さえ捧げていた。だが、いかにつとめてみても、いかにあがき、いかに熱烈な確信をこめて、主義のお題目をくり返してみても、人間の精神面における可能性については依然懐疑的たらざるを得なかった。そして、心の底には、いつも一つの悲痛な拒否が横たわっていた。彼は、人類の精神的進歩という断定に誤りのないということを信じることができなかった。
社会主義体制や共産主義体制になっても、基礎となる人間の本性は変わらない。
新しいものを作っても中味が変わらないのであれば、腐敗は避けられない。
まさに、かつてのソ連や現在の中国のありようはそれを証明している。
デュ・ガールが本作を書いたのは1936年。
執筆時点では、ロシア革命(1917年)によって建てられた史上初の社会主義国家に対する期待と希望は健在であった。(デュ・ガールの敬愛する先輩作家アンドレ・ジッドがソビエトを訪れて共産主義の失敗を知ったのは1936年の夏だった)