2014年『差別と教育と私』のタイトルで文藝春秋より刊行
2018年河出書房新社で文庫化

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 上原善広は『日本の路地を旅する』など被差別部落をテーマにした本を多く書いている1973年生まれのノンフィクションライター。本人も大阪府松原市の被差別部落出身である。
 本書は副題の通り、戦後の同和教育について、特に1969年に同和対策特別措置法(同対法)が制定されて以降の同和教育と解放教育の様相を、著者自身の体験や関係者へのインタビューを組み込みながらスケッチしたものである。

 同和教育と解放教育の違いについて、著者はこう書いている。

 解放教育というのは、正確には「部落解放教育」というが、同和教育から派生した、より過激な左派的教育で、解放同盟と強いつながりをもった教師たちがおこなっていた教育運動だ。

 解放教育の中心となった大阪では、同和教育というと「主に国や都道府県の公務員、保守派が使っていた公的な名称」であったという。

 60~70年代の埼玉県で生まれ育ったソルティが受けた同和教育は、わずかに高校2年生の時の一コマ(50分)だけであった。
 部落差別の歴史を描いたビデオを見せられた記憶があるが、ビデオの内容もそのときの教師の話もほとんど覚えていない。
 ただ、授業の最後に自分が手を上げて質問したことは覚えている。
「こういった差別があることをわざわざ教えなければ、自然消滅していくのではありませんか?」
 教師は「そんな単純なことではない」と答えたけれど、その理由を納得いくように説明してはくれなかった。それ以上、問うてはいけないような雰囲気があった。
 授業後しばらくたって、新潮文庫の島崎藤村『破戒』と巻末につけられた長大な解説を読んで、自分の発した質問がいわゆる「寝た子を起こすな」論であることを知った。
 が、「寝た子を起こすな」論がなぜいけないのか、はっきりと理解できなかった。
 (そもそも知らなければ差別のしようもないのに・・・・)

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 本書には、同和教育(解放教育)をめぐって学校現場で起きた3つのケースが取り上げられている。
  1.  解放教育の「牙城」と呼ばれた大阪府松原市立第三中学校のケース(同対法制定前後から70年代)・・・・被差別部落出身の生徒が多く荒れていた中学校が、熱意あふれる2人の教師の奮闘によって立て直されていく経緯が描かれる。熱血教師が主役の青春学園ドラマを見るような面白さ。「蛇の道は蛇」ではないが、アクの強い一癖も二癖もある武闘派教師にしてはじめて、旧態依然の現場の変革と生徒たちの更生は可能だったのだと知られる。三中はその後、解放教育のモデル校となった。
  2.  解放同盟の糾弾により教職員が多数負傷し、裁判となった兵庫県養父市の八鹿高校のケース(1974年)・・・・被差別部落出身の生徒たちが「部落解放研究会」のクラブ公認を求めたところ、教職員が反対したのがきっかけとなった。概要だけは知っていたが詳しい経緯は知らなかったので、興味深く衝撃をもって読んだ。冷静に考えれば、「解放同盟という外部団体に紐づけされているクラブの認可を拒む」という教職員の決定は一理あるもので、必ずしも部落差別というわけではないように思う。
  3.  卒業式での「日の丸・君が代」をめぐって、強制する官側と反対派との板挟みとなった校長が自殺した広島県世羅町の世羅高校のケース(1999年)・・・・反対派の急先鋒は天皇制に反対する解放同盟広島県連と日教組。当時大きなニュースとなり国会でも取り上げられたので、よく覚えている。亡くなった校長先生は定年まであと3年だったそうな。この事件の5か月後に国旗国歌法が制定された。
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 2002年、ついに同対法が期限切れとなり、同和問題の解決は国策ではなくなった。21世紀になると同和教育は時代遅れとなり、同和教育は「人権教育」と名を変えた。また解放教育は過去の「過激な教育実践」として、急速に忘れ去られようとしていた。
 しかし、だからといって同和教育や解放教育の実践が、日本の教育界に何も意味を成さなかったのかといえば、そうではない。同和教育の理念は、地道に「人権教育」と取り組む教師たちを確実に残している。

 著者は同和教育に取り組む教育者たちの現状をスケッチしているが、被差別部落をめぐる状況が70~80年代とは大きく変わってしまった現在、「どのように授業を進めていってよいのか」戸惑う教師たちの姿が浮き彫りにされている。
 わざわざ扱いの難しい同和問題を取り上げずに、別のテーマで人権教育のコマを埋めようという担当者がいても不思議ではない。

 ソルティはNPOに所属しHIV感染の支援活動をしていた2000年代はじめに、「人権教育」の講師として学校に呼ばれることがよくあった。
 HIVというテーマは、感染者に対するきびしい差別が存在した(存在する)という点では人権教育の恰好のテーマとなり、一方、現在あるいはこれから活発な性行動に乗り出す生徒たちの感染予防という点では保健教育にもなりうる。
 生徒ばかりでなく、学校職員や行政職員、JICA(青年海外協力隊)の派遣隊員や企業で働く社員などを対象に話したこともある。

 その際に、一通りHIV/AIDSの歴史を説明し、80年代後半に日本でエイズパニックが起きたことや感染者に対する様々な差別があったことを話し、病気の知識と感染予防の具体的な方法を伝えるのがいつもの流れであった。
 「エイズ=死」と言われた時代を知りエイズパニックの記憶生々しい大人たちに対してはこのプログラムでとくに問題なかったのであるが、エイズパニックを知らない世代(おおむね80年以降の生まれ)に対して話すときは、いつもちょっとした懸念を抱いた。
 何も知らない白紙のような若い人に対し、わざわざ悲惨なエイズ差別の事例を伝えることで、かえって「寝た子を起こす」ことになってしまうのでは?――というためらいがあった。「悲惨なエイズ患者、可哀想なHIV感染者」というイメージだけは与えたくなかった。
 なるべく感情的にならず事実だけを淡々と話すよう心がけてはいたが、若い人に限らず人間というものは、そうした極端に悲惨なケースとか不幸な話というものにどうしても耳をそばだててしまうので、話す方としては(顧客サービスというわけではなしに)場の集中を途切れさせることなく最後まで話を聞いてもらうために、やや芝居がかって語ってしまうところなきにしもあらず――であった。

 しかしながら、講演後に生徒たちが書いてくれた感想文などを読む限りでは、たとえば「エイズは恐いと思った」とか「感染者にはなるべく近づかないようにしようと思った」といったような否定的なものはなく、大人たちよりよっぽど素直で共感力が高かった。
 おそらく、差別事件を新聞記事のように客観的に語るのではなく、差別を受けた当事者の人となりや思いが伝わるように語るべく心がけたことが良かったのではないかと思っている。
 高校時代のソルティのような理屈をこね回す生徒ともついぞ会わなかった(心の中で疑問に思っていたのかもしれないが)。
 
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 今では「寝た子を起こすな」論は間違いと分かっている。
 「知らなければ差別しないのに」という言い分は何重にも見当違いである。

 一つには、人は「知らないうちに差別して相手を傷つけてしまう」からである。
 たとえば同和問題について言えば、根掘り葉掘り相手の出身地を尋ねたり、親の職業をきいたりすることは、悪気がなくとも相手に負担を強いる可能性がある。有名人の家柄や血筋の良さを云々する何気ない教室や職場での会話が、そこにいる当事者をいたたまれない気持ちにさせるかもしれない。
 実は、ソルティが通っていた高校のあった地域にもかつて被差別部落だった地区があり、そこから通っている生徒がいたことを、ずいぶんあとになって知った。(そもそも埼玉は有名な狭山事件があった県である)
 高校時代の自分は、「同じクラスの中にいるかもしれない」という想像力をまったく欠いていた。

 また、「知らなければ差別しないのに」は、逆に言えば、「知ったら差別してしまっても仕方ない」と言っているに等しい。
 「知っても差別しない」ことが大切なのであって、知識の有無と差別するかしないかはまったく関係ない二つの事柄である。

 さらに、部落差別についてたまたま学ばなかったがゆえに「部落差別をしない」でいられる人であっても、他のマイノリティ問題にぶつかったときに差別しないでいられるかと言えば、その限りではない。
 なぜなら、誰の心の中にも差別する心は存在しているので、世の中に存在する人権問題について知り、自らもまた人を差別する可能性のあることを自覚していなければ、いつかどこかで加害者になってしまう可能性があるからだ。
 
 ハンセン病差別在日朝鮮人中国人差別、アイヌ民族差別、障害者差別、HIV感染者差別、婚外子差別、セクシャルマイノリティ差別・・・・e.t.c.
 歴史上あった事実を「なかったことにする」のは、被害当事者にとって二重の差別になり得るのみならず、社会が同じ過ちを繰り返すもっとも簡単な方法であろう。

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Krzysztof PlutaによるPixabayからの画像


 本書のいま一つの“売り”は、路地(被差別部落)に生まれ育った上原善広自身の生い立ち、家庭内暴力が横行する“火宅”の少年時代、ケンカやシンナーに明け暮れた不良時代、解放教育との出会いにより立ち直っていく経緯・・・・などが率直に描かれているところである。
 「よくもまあ道を外れることなくやって来られたなあ」と感心するほどのしんどい育ち。
 戦争はもちろん、学園紛争も安保闘争も知らず、いまだ田んぼの残るのどかなベッドタウンで外でも内でも暴力とはほとんど無縁に生きて来られたソルティにしてみれば、関東と関西の違いはおいても、まったく異なる文化圏を生きてきた人という感じで、興味深く読んだ。
 他者を発見するのはいつだてエキサイティングである。


P.S. 本年7月、島崎藤村『破戒』の3度目の映画が公開予定である。(監督:前田和男、主演:間宮祥太朗、企画・製作:全国水平社創立100周年記念映画製作委員会)





おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損