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第12、13巻『エピローグ』(1940年発表)
1952年白水社より邦訳刊行
1984年白水Uブックス

 ついに全巻踏破!
 二か月くらいはかかると思っていたら、一ヶ月で達成した。
 ゴールデンウィーク中の乗りテツ読書が効いたとは思うが、なにより小説自体が面白くて、ぐいぐいページが進んだ。
 第一次世界大戦が背景となる第8巻からは、ウクライナとロシアをめぐる2022年現在の世界情勢や国内事情と重なる部分が多く、はんぱない臨場感と危機感を持って読まざるを得なかった。
 まさに今、この書を読むことの意義をびんびん感じた。
 本との出会いにも、然るべきタイミングがあるのだ。

 第12巻では、前巻のジャックの壮絶なる死から4年後(1918年)の主要人物たちの現状が描かれる。視点はチボー家の長男アントワーヌである。
 世界大戦は泥沼化し、フランスにも多くの死者・負傷者が出ている。
 アントワーヌはドイツ軍の毒ガス攻撃に肺をやられ、戦場を離れて入院療養中。会話するのも苦しいほどの重症である。
 ダニエルは太腿を撃たれて片足切断。メーゾン・ラフィットの家に戻って無為徒食の生活を送っている。自堕落の原因は実は性機能喪失にあった。
 ダニエルの母フォンタナン夫人は、チボー家の別荘を借りて戦時病院に改装し、責任者として切り盛りしている。生来の奉仕的資質と固い信仰が十全に発揮される場、すなわち生きがいをついに見出した。
 その病院で、アントワーヌの血のつながらない妹ジゼールは看護婦としてばりばり働いている。
 ジェンニーは、ジャックとの愛の結晶でありジャックそっくりな息子ジャン・ポールを立派に育てあげることに日々腐心している。

 総じて、男たちは失意や絶望や惨めさの中に置かれ、女たちは溌剌たる充実の中に生きている。「戦後女が強くなった」の言葉通り。
 だが、闘いはまだ続いておりフランスは敗けたわけじゃない。勝利の日は近い。
 国家が戦に勝とうが敗けようが、死や負傷や貧困という形でもっとも被害を受けるのは庶民にほかならない。戦場に行かない上つ方は、痛くも痒くもない。
 戦争に勝ち負けはない。それは人類すべての敗北である。

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 最終巻はほぼ甥のジャン・ポールに向けられたアントワーヌの遺書であり、フランスを含む連合国側の勝利と国際連盟設立の近いなか、アントワーヌは自らの手で安楽死を決行する。
 こうして、チボー家の父と二人の息子は亡くなり、フォンタナン家の一人息子は子供を持つことができなくなり、未来への希望は両家の血を受け継いだジャン・ポールに引き継がれるところで、物語は終わる。
 アントワーヌは日記にこう書く。

 《なんのために生き、なんのためにはたらき、なんのために最善をつくすか?》 おまえ(ソルティ注:ジャン・ポール)のいだくであろうこうした問題には、もう少し積極的な答えができるのだ。
 なんのために? それは過去と将来のためなのだ。父や子供たちのためなのだ。自分自身がその一環をなしているくさりのためなのだ・・・・連続を確保するため・・・・みずからの受けたものを、後に来る者へわたすため――それをもっと良いものにし、さらに豊かなものにしてわたすためなのだ。

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 前回の記事でソルティは、「『チボー家』にはチボー(希望)がない」と書いたが、やはりこの大河小説から希望の光を見つけるのは難しいと思う。
 死を前にしたアントワーヌは、戦争の終結およびアメリカのウィルソン大統領が提唱した国際連盟に希望を託しているが、これを書いている時点(1936年)のデュ・ガールは、むろん国際連盟が当のアメリカの不参加や日本・ドイツの脱退などで有名無実化していることを知っていた。ドイツのヒトラー出現とナチス独裁を知っていた。第二次大戦のせまる足音をその耳にとらえていた。
 ジャックそっくりのジャン・ポールが、第二次大戦にあたって父親同様の行動=良心的兵役拒否をとることは容易に想像される。ジャック同様の最期が待ち受けているだろう。(実際、フランスで2003年に制作されたドラマ版ではジャン・ポールはレジスタンス活動により処刑されるらしい。チボー家の血は絶たれたのだ)
 アントワーヌの希望が裏切られることをデュ・ガールは知っていたし、当時の読者も知っていた。
 現在の読者である我々はさらに、アウシュビッツ、広島・長崎原爆投下、ソ連や中国に見る共産主義の失敗、ベトナム戦争、湾岸戦争、ロシアのウクライナ侵攻、国際連合の無力なども知っている。
 とりわけ、プロレタリア革命による共産主義社会を夢見たジャックの希望が、文字通り夢でしかなかったことを知っている。
 どこにチボー(希望)があると言うのか?
 
 20世紀初頭のあるフランス人家族の物語あるいは3人の青年の青春群像で始まった本書は、途中から深遠なる戦争文学に発展し、最終的に不条理文学あるいは『平家物語』ばりの無常絵巻へ落着する。
 おそらく、発表当時の読者よりも2022年の読者のほうが、この小説を自らの近くに引き寄せて味読できるであろうし、デュ・ガールの世界観を深く理解・共感できると思う。
 100年寝かされて、いま飲み頃になったフランスワインのように。

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Kim BlomqvistによるPixabayからの画像



おすすめ度 :★★★★★


★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損