IMG_20220602_101045

2020年新潮新書

 高齢者介護施設で働き始めたときにソルティが驚きあきれたことの一つは、入居者が日々飲んでいる薬の多さであった。
 毎食後10錠、一日20~30錠はあたりまえで、「こんなにいろんな薬をいっぺんに体に入れて大丈夫なのか?」と不審に思いながら服薬介助を行なっていた。
 介助拒否ある認知症の人に薬を飲んでもらうのは実にたいへんで、なだめすかしたり、機嫌がよくなるまで待ったり、甘味のついたゼリーに包めて口に運んだり、(推奨できないことではあるが)錠剤をつぶして食事に混ぜ込んだり、苦労したものである。

 介護施設にいる高齢者は複数の病気を持っている人がほとんどで、薬もそれぞれの病気や症状に対応したものが複数処方されている。それぞれの薬には多かれ少なかれ副作用があるので、副作用を抑えるための薬も処方される。そのうえに、多くの人に下剤がついている。
 大小さまざまのカラフルな薬が入った透明な袋がフロアの人数分、服薬ケースにびっしり収まっているのを見ると、「これだけの服薬介助を食事時間が終了するまでに、ひとつの誤薬も落薬もなくやらなくちゃいけないのか・・・」と毎回緊張したものである。
 それぞれの薬についての副作用はわかっていても、複数の異なった薬を併用することによる心身への影響はどうなのだろう?――そう思いながらも一介の介護職が医師や看護師に意見できるものではない。
 かくして、薬漬けの老人たちを作り出して製薬会社の売り上げに貢献していた。

 ソルティの知り合いでホスピスに入所している95歳のA子さんが、ちょっと前に危篤に近いところまでいった。
 数日間寝たきりで食欲もなく、意識が低迷し、看病していたスタッフから「もう危ないかもしれない」と連絡が入った。
 これが最後の機会になると思い、A子さんの好きなイチゴを買って会いに出かけた。
 やせ細って気力をすっかり失ったA子さんは会話するのも億劫らしく、こちらの問いかけに小さく頷くのがやっと。元気に好きな演歌を歌っていた頃の面影もない。
 それでもイチゴを見せると「食べたい」という仕草を示した。
 砂糖と牛乳をかけてスプーンですりつぶしたイチゴを口元に持っていくと、美味しそうに数口食べてくれた。
 (A子さん、さようなら)と心の中でつぶやいて、部屋をあとにした。
 数日後、様子を聞くため施設に電話を入れた。
 「あれから復活して、すっかり元気になってバリバリ歌ってますよ」とスタッフ。
 思わず、「ええっ! 死ななかったの!?」
 スタッフは笑いながら教えてくれた。
 「どうせもう最期だからって、飲んでいた薬をすべてストップしたら元気になっちゃったのよ」

薬の袋

 上原善広は2010年に双極性障害いわゆる躁うつ病と診断され、医師に言われるまま多量の薬を飲み始めた。
 が、執筆意欲の減退や記憶の欠落、勃起障害などの副作用に苦しめられたあげく、三度の自殺未遂を起こす。
 ここに至って薬の効果に疑問を持ち始め、減薬に挑み、断薬を目指す決心をする。
 すると今度は、断酒中のアルコール依存症患者やシャブ抜きする覚醒剤常用者が経験するのと同じような苦しい離脱症状(禁断症状)に見舞われる。
 すっかり向精神薬や睡眠薬の依存症になっていたのだ。
 減薬を提唱する専門医師の協力のもと、四国遍路したりSNSを止めたり草津温泉で湯治したり、「三歩進んで二歩下がる」試行錯誤をしながら完全な断薬に至るまでの経緯が、赤裸々に記されている。

 これはそのまま、上原個人の体験談として読むのが良かろう。
 向精神薬や睡眠薬のおかげで、なんとか日常生活が保たれている患者も少なくないであろうから、参考にはできても一般化することはできまい。
 上原自身も書いているとおり、薬の影響については個人差は無視できない。
 大切なのは、安易に薬に頼る薬信仰は捨てて、「自分の身は医師や薬が守ってくれるのではなく、基本的には自分自身で守っていくしかない」と自覚することなのだ。

 むしろソルティが興味深く読んだのは、本書に垣間見られる上原自身と周囲の人間(特に女性)との関係性である。 
 「ずいぶん周りを振り回す人だなあ」と思った。
 自殺未遂などその最たるもので、死ぬなら自分一人で静かに死んでいけばいいものを、わざわざ夜中に昔の女に電話して「これから死ぬ」と宣言してから連絡を絶ち、相手を不安にさせて巻き込むようなことをやっている。
 境界性パーソナリティ障害の事例を読んでいるような印象を受けた。
 『今日もあの子が机にいない』を読めば、上原が暴力的な家庭で育ったこと、被虐待児であったことは明らかである。精神的な安定を育むのは難しかったろう。
 子供の頃に親に振り回されたうっぷんを、大人になったいま、周囲を振り回すことで晴らしているかのように見える。
 あるいは、周囲がどこまで「こんな自分」についてきてくれるかで、自分に対する周囲の愛情を試しているかのように見える。
 上原自身もそこに気づいているのだろう。

 振り返れば、自分が薬を飲み始めた経緯と、取材した結果を照らし合わせてみると、やはり第一に、自分の性格と生き方、生活環境に問題があったのだと思わざるを得ない。

 「しんどい人生を背負ったなあ」と思いはするが、一方で彼の場合、その「しんどさ」がノンフィクション作家としてのメリット(売り)にも活力源にもなっているのは間違いない。
 読み手をぐいぐい引っ張る筆力はここでも健在であった。

 



おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損