1964~1971年『月刊漫画ガロ』連載
1989年小学館叢書11~15巻

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 第一部完読。
 凄絶で希望のないラストに暗澹たる思いがした。
 グロテスクなまでの残虐と徹底的な正義の敗北に永井豪『デビルマン』を想起した。
 百姓一揆の首謀者たちが役人から拷問を受ける場面は、これほど名作の誉れ高くなければ今ならR指定受けそうなレベルである。まるでサド伯爵の小説のよう。
 愛着ある主要キャラたちがラストに向けてバタバタ殺されていくのも『デビルマン』に似ている。
 百姓のゴン、抜け忍の赤目、浪人の水無月右近には生きていてほしかった。
 第二部があるとはいえ、“夢が現実に負ける”後味の悪さは比類ない。

 第一部は『月刊ガロ』1964年12月号から1971年7月号までに連載された。
 これは社会的には戦後の左翼運動が盛り上がった時期と重なる。
 反ベトナム戦争、第二次日米安保闘争、学園紛争・・・・反体制の嵐が日本中を吹き荒れていた。
 『ガロ』の読者である若者たちは当然反体制だったから、圧政に虐げられる百姓や非人の立場に自らを置いて『カムイ伝』を読んでいたはずだし、作者であると同時に『ガロ』の生みの親であった白土三平が、自身の思想信条はおいといても、反体制側の意を汲んだ(読者の共感の得られる)作品を描こうとしたのは間違いあるまい。
 当時の読者は、江戸時代の「幕府(徳川)―藩(大名)―侍―商人―百姓」の姿に、リアルタイムの「アメリカ―日本政府(自民党)―役人―企業―庶民(自分たち)」の姿を投影したことだろう。
 そして、資本主義の悪を描いた作品と受け取ったであろうことは想像に難くない。
 
 その点を考慮すると、最終巻の発表された1971年という年は意味深である。
 つまり、1969年末に機動隊の投入によって学園紛争は鎮静化し、1970年6月に日米安保は自動延長となり、新左翼の過激な内ゲバやテロリズムなどで世論の風向きが変わり始めていた。
 資本家と結託した巨大で老獪な権力に庶民が立ち向かうことの困難があからさまになった一方、運動する者たちの間に疑心暗鬼や分裂や潰し合いが広がっていた。
 非人や百姓の生活向上のためにひたすら尽くしてきた庶民のヒーロー・正助が、共に闘ってきた仲間である百姓たちから「裏切者」とののしられリンチを受ける凄惨なラストは、衆愚に対する作者の絶望とともに、本作が時代を映す鏡のような位置まで高められていた消息を感じさせる。
 
 江戸時代の階級闘争と昭和時代のそれとをリンクさせたところに、この作品が伝説的存在となった理由の一端があるのだろう。
 その意味では令和の今だって十分通じる話なのであるが、お上の不正に対する庶民の怒り、声を上げる勇気、連帯する力は、江戸や昭和の頃より鈍っているやもしれない。
  
 いつか第二部を読む日が来るだろう。

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おすすめ度 :★★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損