2008年小学館

 田中優子は刊行当時、法政大学社会学部教授だった。
 江戸時代をテーマとする授業において白土三平『カムイ伝』を使用するという画期的な試みをした。
 その過程で生まれたのが本書である。

IMG_20220625_162658
 
 『カムイ伝』には江戸時代の庶民(百姓、穢多、非人、山の民、海の民、下級武士、商人など)が登場し、それぞれの生活の場がくわしく描かれる。
 稲作、麦作、綿花栽培、養蚕、マタギ、漁師、鉱山、林業、皮革産業、刑吏、肥料の商い・・・・・。
 それらは、庶民が日々生きるための仕事、食うための仕事であって、多くは厳しい自然との闘いが必須である。いわゆる第一次産業。
 白土の綿密な取材と、それぞれの仕事現場の風景や生産過程を読者にわかりやすく臨場感もって伝える画力の高さには脱帽するほかない。
 まさに、江戸時代の庶民を研究するに恰好の素材である。
 そこに目を付けた著者の慧眼は素晴らしい。
 
 本書は江戸時代の庶民の研究書であると同時に、江戸時代の庶民の暮らしを通じて現代の日本人を振り返る一種の社会評論であり、かつ、もっとも優れた『カムイ伝』の解説書と言える。

IMG_20220620_231433

 本書を読んで特に気づいたことの一つは、白土の『カムイ伝』(とくに第一部)が江戸時代の特定の時期の特定の場所(藩)をモデルとしているわけではなく、時間的にも空間的にも江戸時代全般にわたっているという点である。
 たとえば、第一部の主要舞台となる日置藩は、一応、江戸時代初期の地方藩という設定になってはいるが、そこで描かれる事件や文化や風習は江戸時代のいろいろな時期、いろいろな地方の出来事が混じり合って凝縮されていたのである。
 時代考証で言えば、「ザ・江戸時代」なのだ。
 
 いま一つは、この時代の武士の存在意義について。
 戦国時代が終わり曲がりなりにも天下泰平の世になって、多くの武士が存在意義を失った。
 厳しい身分制度や武家としての誇りのため、簡単に他の職業たとえば百姓や商人に鞍替えすることはできない。
 結果として、「約80%の農民が、5%の武士を養っていた」。
 それでも高給取りの上級武士たちはまだいい。扶持の少ない下級武士たちは家族を養うために様々な内職――寺子屋の講師、傘張り、行灯の絵付け、小鳥の飼育、金魚や鈴虫の繁殖など――をせざるをえなかった。
 文字通り「地に足を付け」大自然と闘い生産過程そのものを生き、不満が募れば一揆を立ち上げる百姓(農民、山の民、海の民など)の逞しさにくらべると、生産過程から離れたところで儒教精神に縛られた窮屈な生活を送り、上に反抗すれば「お家取潰し」の武士たちは、まさに生殺し状態。
 
 食べ物がどこから来るのか知らない、考えようともしない――これは何かに似ていないだろうか? そう、現代の日本人である。昼に食べた納豆の原料が、アメリカや中国から来るのを知らない。ペットの食べ物を誰がどこで作っているのか知らない。毛皮やダイヤモンドの背後に、どのような搾取構造が潜んでいるか知らない。現代の日本人はまるで、江戸時代の武士の人口がふくれあがったものであるかのように見える。

 穢多の仕事についてもそうだったが、江戸時代の人々の生き方と仕組みを見ていると、互いに必要不可欠な仕事をすることで社会が成り立っている。いなくていいのはむしろ武士だったかもしれない。一揆について考えるにはその視点が欠かせない。一揆は、搾取されているかわいそうな人々が貧しさに押し潰されて仕方なく起こしたのではなく、必要不可欠である自分たちの存在をもって、生活の有利を獲得するための方法であった。しかもその場合の生活とは個人生活である前に、生産共同体としての集落の生活だった。 

 第一次産業従事者が圧倒的に減った現代の「武士」である我々だが、少なくとも「一揆=デモ」を起こすことはできる。
 選挙で世の仕組みを変えることができる。
 一票は米一俵ほどの価値がある。

米俵

おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損