2021年スウェーデン
98分
「鏡よ鏡、この世で一番美しい少年はだーれ?」
「それは1971年のビョルン・アンドレセンです」
スウェーデン生まれの音楽好きのナイーブな少年が、たった一本の映画出演によって世界的アイドルになった。
それは彼の演技力のためでなく、ただただ類い稀なる美貌ゆえであった。
その美貌はとりわけ、我が日本において絶大なる憧憬と讃嘆を生みだし、来日の際には老若男女を熱狂の渦に巻き込み、取材が殺到するわ、バラエティ番組に出演するわ、明治チョコレートのCMに出演するわ、日本語の歌を録音しレコード発売するわ、追っかけファンに髪をハサミで切られそうになるわ、たいへんなものであった。
ソルティは当時小学校低学年、この騒動についてまったく知らなかった。(チョコレートのCMくらい見ていたはずであるが、たぶん当時は美少年よりチョコレートのほうに注意が行ったのであろう)
なんと、池田理代子の漫画『ベルサイユのばら』の金髪碧眼の美青年(実は女性)オスカルのモデルこそは、ビョルン・アンドレセンなのだという。

オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ
マーガレットコミックス(集英社)より
マーガレットコミックス(集英社)より
16歳のオードリー・ヘップバーンが『ローマの休日』で、同じく16歳のジュディ・ガーランドが『オズの魔法使い』で、10歳のマコーレ・カルキンが『ホーム・アローン』で、14歳の柳楽優弥が『誰も知らない』で、デビュー作で一躍世界的スターになって良くも悪くも運命を一変させてしまった彼らと同じように、15歳のビョルンの運命を劇的に変えたのは、イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティとの出会いであり、トーマス・マン原作の映画『ベニスに死す』の主役タッジオへの抜擢であった。
ソルティは大学生のときに高田馬場のACTミニシアターではじめて『ベニスに死す』を観て、それこそ魂に杭を打ち込まれるほどの感銘を受けた。
老いと若さ、美と醜、芸術と生活、愛と死、ホモセクシュアリティ(少年愛)といったテーマも衝撃的であったけれど、なにより魅了されたのはタッジオ役のビョルンの途轍もない美しさであった。
天使の清らかさと無邪気さ、悪魔の冷たさと危うさ、が同居しているような印象。
これなら、作家トーマス・マンが、音楽家アッシェンバッハが、ストーカーチックになって、運河めぐる幻想的なベニスの街で彼をひたすら追い回すのも無理ないと思った。
マーラーの交響曲5番アダージェットのBGM使用も完璧にはまって、まるでこの映画のために作曲されたかのように思えた。
それ以来、この映画はソルティにとって「生涯の一本」のような存在であり続けた。
一方、肝心のビョルン・アンドレセンのその後と言えば、ほとんど情報は入って来なかった。引退したとばかり思っていた。
ある意味、それで良かった。
というのも、『ベニスに死す』一作だけを残して表舞台から消え去るほうが、ファンの間に鮮烈なイメージを残し、伝説となっていくからである。
映画出演を重ねるごとに翳っていく美貌、老いさらばえた姿など見たくない。
永遠のタッジオでいてほしい・・・・みたいな。
そこに来て登場したのが本ドキュメンタリーである。
67歳になったビョルン・アンドレセンが、冒頭から痛ましい姿で画面に映し出される。
ゴミ屋敷のようなアパートメントで一人暮らし、ぼさぼさに伸びた白い髪と髭、深いしわ、コンロの火をつけっぱなしにしたことで大家から退去を迫られ、年下の恋人から「勝手な人」とののしられ捨てられる。80代くらいに見える。
カメラは現在の彼の生活や人間関係を映しながら、過去の履歴をさらっていく。
奔放で芸術家肌の母親とヨーロッパ放浪した子供時代、顔も名前も知らない父親、突然の母親の自死、祖母との生活、そして『ベニスに死す』のオーディション。
十代で一躍有名になったばかりに人生を誤ってしまうスターの例は数多いが、ビョルンもまたその例にもれなかった。
肉親を含む大人たちにいいように利用され、玩ばれ、持ち上げられては使い捨てられ、大人社会の醜い面ばかり見せられ、誰も信用できなくなってしまう。
愛情あるしっかりした家庭で育てられた子供でさえ道を誤りそうな尋常でない環境の激変だというのに、ビョルンは複雑な育ちをしている上に、周りに彼を支え良識をもって庇護してくれる存在をもたなかった。
もとが純粋でシャイな性格なだけに、周囲の言いなりになって自分を失ってしまう。
アルコールに溺れる自堕落な生活。
アルコールに溺れる自堕落な生活。
結婚して二人の子供に恵まれ、ようやく幸福が訪れたと思いきや、息子を幼児突然死症候群で失う。酔っぱらって寝ていた彼の隣で。
妻や娘と別れ、鬱とアルコールのどん底の日々が続く。
あの世界一美しい前途洋々たる美少年が、こんな凄まじい半生を送ってきたのかと吃驚した。80代に見えるのも無理はない。
過去のスクリーンの虚像(アイドル)と現在の実像との落差がここまで激しい例は、なかなかお目にかかれまい。
と言って、ソルティは偶像が破壊されてがっかりしたとか、裏切られたとか、ましてや「どんな美少年も年取ればただの爺さん」と意地悪くほくそ笑んだりはしなかった。
本作は、ヴィスコンティの冷酷さとか、監督周辺のゲイの大人たちによる性的搾取とか、スキャンダラスな話題ばかり宣伝されていたので、色物的な映画と思っていた。
あるいは、生活苦に陥ったビョルン自身が、昨今流行りの“#me too”に乗じて偉大なる名監督のパワハラやセクハラを暴き、過去のトラウマを訴え、いくらかの金稼ぎをしようと企画に乗った(あるいは自分から企画を持ち込んだ)ものかと思っていた。
しかし、本作は全然、これ見よがしの煽情的な作品ではなかった。
一人の年老いた男の波乱万丈で苦しみ多き人生を丹念にたどり、それを冷静に振り返り他人に話せるようになるまでになった本人の(というか自然のもつ)回復力、時の癒しの力、周囲の人間のサポートの力を感じさせる、一種のリカバリーストーリーのような味わいがある。
宣伝文に用いられている「栄光と破滅の軌跡」なんて表現はまったくお門違いもいいところで、それこそ一人の人間の生の尊厳を愚弄していると思う。
誰も破滅なんかしていない。
誰も破滅なんかしていない。
ビョルン・アンデルセンはベニスに死んで、ストックホルムに生き返った。
いまも「世界で最も美しい老人」である。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損