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日時: 2022年7月10日(日)
会場: 保谷こもれびホール(東京都保谷市)
曲目:
  • サン=サーンス: 死の舞踏
  • グラズノフ: 組曲「中世より」
  • シューマン: 交響曲第2番
  • (アンコール)エルガー: エニグマ変奏曲より第9変奏「ニムロッド」
指揮: 和田一樹

 久しぶりの和田一樹。
 コロナ渦のフェルマータ(一時休止)にあって、もっとも再会を待ち望んでいた指揮者であった。

 ソルティが普段、休日に行くクラシック演奏会を選択するのに利用しているのは、i-amabile(アマービレ)というサイトである。
 それによれば和田一樹は、9日(土)にも北区王子の北とぴあで Ensemble Musica Sincera 第1回演奏会の指揮台に立ち、ベートーヴェン揃いのプログラムを振ることになっていた。
 和田のベートーヴェン、非常に聴きたかった。
 が、メインプログラムが交響曲3番「英雄」とあるのを見て、冷めるものがあった。
 というのも、最近非業の死を遂げた元首相が、あたかも「英雄」のように祭り上げられている現状にやり切れないものを感じるからである。
 北とぴあで第3番「英雄」を耳にする聴衆が、ナポレオンをモチーフにしたというこの曲に、亡くなった政治家の姿を重ねる可能性の低くはないことが想像され、その場に身を置くことは避けたかった。

 当然ソルティも故人の冥福を祈るし、暴力には反対である。
 死者を冒瀆する気はない。
 が、あまりに行き過ぎた美化はいただけない。
 安倍さんが「民主主義の護り手だった」とでも言うかのような言説には、正直驚きあきれるほかない。

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保谷こもれびホール

 というわけで、Ensemble Musica Sincera の旗揚げに後ろ髪ひかれつつ、10日の演奏会を選択した。
 会場は西武池袋線の保谷駅よりバスで10分の保谷こもれびホール、西東京フィルは2回目となる。

 配布されたプログラムによれば、グラズノフの組曲『中世より』は「めったに演奏されません」とあり、シューマン交響曲第2番はシューマンの4つの交響曲の中で「もっとも演奏回数が少ない」とある。レアなプログラムなのだ。
 ソルティもはじめて聴く。

 サン=サーンスの『死の舞踏』は、浅田真央のライバルと言われた韓国のフィギュアクイーンことキム・ヨナが、2008-9年のシーズンのショートプログラムに選んだ曲として記憶に残っている。
 キム・ヨナの滑ったプログラムの中で一番完成度が高く芸術性も高かったのは、『死の舞踏』だったと自分は思う。
 サン=サーンスの作った不気味で奇抜で、それでいてどことなく滑稽で躍動感に満ちた音楽を、キム・ヨナは見事な滑りと振り付けと表情とで表現し切っていた。
 
 和田の『死の舞踏』もまたキム・ヨナに劣らず、精彩を放っていた。
 タイトルとは裏腹に、音楽に「生」の力が漲って、瞬く間に聴衆を引き込む。
 「つかみはバッチリ」というこの指揮者の特性を再確認した。
 オケのメンバーひとりひとりに生き生きと演奏させて、ひとつひとつの音符に生命を吹き込み、生きた音楽を紡ぎ出すのはこの人の天性だろう。
 プロオケの正確無比な死んだ音楽より、アマオケの雑音混じりの生きた音楽のほうが、10倍いい!

 二曲目の『中世より』の途中から気持ちの良い忘我に引きずり込まれてしまった。
 最近は、「ちゃんと耳で聴いていなくても、体は音(の波動)を感じているのだから、音楽の効果は得られる。眠っても良し」という催眠療法まがいの身勝手な理屈を採用している。

 三曲目のシューマンはどうも曲自体が、地中で方向性を見失ったモグラのような、優柔不断というか暗中模索というか堂々巡りというか、方向性ある精神の軌跡を感じることができず、聴いていてすっきりしなかった。
 シューマンは自分には合わないようだ・・・・。

 やっぱり昨日のベートーヴェンを選ぶべきだったかな?――と帰り道で一瞬思った。
 が、その夜の選挙速報で、死の上で舞踏するかのような自民党の圧倒的勝利を見て、「やっぱり英雄視は行き過ぎだろう!」と独りごちた。

 2019年にアフガニスタンでペシャワール会の中村哲医師が銃弾に斃れたときと、かくもマスコミや世間の扱いが違うのには、不審を通り越して憤りを感じざるを得ない。
 中村医師こそは平和と民主主義の護り手であり、真の英雄であった!
 
 安倍晋三氏の冥福を祈る。


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