2022年講談社現代新書
ソルティは自他ともに認めるオジサンであるが、4割くらいオバサンも入っていると思う。
でありながら、周囲のオジサン、オバサンの非常識でハタ迷惑な言動を見聞きするにつけ、「これだからオジサンは・・・」「まったくオバサンだな・・・」と心の中でつぶやくことが多い。
そんなとき、自分をオジサン、オバサンの枠外に置いてしまっている。
どうも意識的には「自他ともに認めて」いても、無意識では自身を30代後半くらいに設定しているような気がしないでもない。
あるいは、自分より10歳以上離れた上の世代を「オジサン、オバサン」と設定し続けているのかもしれない。
列車やお店の中で、あるいはATMやレジの行列において、苛立つ若い世代から「これだからオジサンは・・・」と思われていることを自覚せねばなるまい。
一方、自分の「オッサン」度はどんなものだろう?
タイトルにある「オッサン」について、著者はこう定義している。
私が思うに「オッサン」とは、男性優位に設計された社会で、その居心地の良さに安住し、その陰で、生きづらさや不自由や矛盾や悔しさを感じている少数派の人たちの気持ちや環境に思いが至らない人たちのことだ。いや、わかっていて、あえて気づかないふり、見て見ぬふりをしているのかもしれない。男性が下駄をはかせてもらえる今の社会を変えたくない、既得権を手放したくないからではないだろうか。男性優位がデフォルト(あらかじめ設定された標準の状態)の社会で、そうした社会に対する現状維持を意識的にも無意識のうちにも望むあまりに、想像力欠乏症に陥っている。そんな状態の人たちを私は「オッサン」と呼びたい。
モーリアックの『テレーズ・デスケルウ』を想起させる一文である。
佐藤千矢子は1965年生まれ。
毎日新聞社の社会部や政治部の記者として、米国同時多発テロ後のアフガニスタン戦争、イラク戦争、米大統領選挙などを取材し、2017年に全国紙初の女性政治部長に就任。現在は論説委員を務めている。
まさに、男社会の牙城とも言えるマスメディアの世界で、男社会の天守閣とも言える政界を相手に仕事してきて、女性登用の道を切り開いてきた有能なキャリアウーマンである。
そうした経歴を持つ著者が現場で見てきた「オッサン」像が本書では暴き出されている。
というと、男性読者の中には戦々恐々とする人や怒り心頭に発する人もいるかもしれないが、ソルティが読んだ限りでは、それほど辛辣でもなければ、容赦ない追及のオンパレードというわけでもなかった。
某フェミニストの社会学者に比べれば、オブラートに包んだような柔らかさ。
これは、著者がまだ現役の企業幹部であって、立場上、あまり明けすけなことや棘のあることを書けなかったせいかもしれない。
あるいは、オッサン社会で曲がりなりにも出世してきた彼女が、身を守るために自然身に着けてしまったある種の鈍感さのためかもしれない。
ここに書かれている以上のもっと凄まじいオッサンエピソードがきっとあるはずだ。(とくにセクハラに関して)
昭和時代、男社会で女が成功するには、①「女」を捨てて「男」となって男以上に働くか、②「女」を利用して力ある男の庇護を得てのし上がるか、という二つの道しかなかった。
男女雇用機会均等法(1986年制定)施行後の第一世代であった著者は、そう簡単には変わらない現実に戸惑い苛立ちながら、第三の道を模索してきたのだろう。
以下、引用。
「ガラスの崖」は、危機的な状況にある組織ほど女性が要職に就きやすい傾向をいう。リスクが高い役割を女性登用の名のもとに担わせ、成功すればもうけものだし、失敗すれば「やっぱり女性はダメだ」といって崖から突き落として使い捨てにする、という発想のことだ。安倍政権というのは、一部メディアを優遇し、気に入らないメディアを排除する傾向のある政権だった。政治家や官僚との懇談の場は、全く面白くなくなった。政治家も官僚も記者も、官邸に「チクられる」ことを警戒するからだ。男性ならばちょっとした失敗でも「気にするな」とすぐ周囲が慰め、問題になりにくい。男性同士の結束は固く、互いに不満に思っていても、周囲に広げることは少ない。女性の場合、それが面白おかしく何倍にもなって広められる。被害妄想と思われるかもしれないが、失敗するのを待っているのかと思う時があるぐらいだ。「多様性を尊重する」「女性の活躍を推進する」というが、日本社会とりわけ政治分野の遅れは、そんな生やさしい状況ではない。男女半々という人口構成を反映せず、いびつな構造のまま、それが当たり前のようにやってきた政界は、すっかり社会の問題点を吸収する力を失っている。公正な民主主義とは言えない。それが世界に後れを取る政策の要因にもなっている。オッサンはそれに気づいていないのか、気づいていても自分の時代は逃げ切れるだろうと、タカをくくっているのか、どちらかだろう。
ソルティの「オッサン」化をいささかでも阻んでくれるものがあるとすれば、それは自分がマイノリティ(LGBT)の一人であるということに尽きる。
男社会の居心地の悪さを子供の頃からずっと感じ続けてきたおかげである。
そうして半世紀以上生きてきて実感するのは、本当はほかならぬ男たちの多くも男社会を生きづらいものと感じている――という現実である。
いま、中年期を過ぎた男たちの孤立・孤独が社会問題化してきているが、その背景には「一人ぼっちは淋しいけれど、マウンティングし合う男同士の付き合いには疲れた・・・」という本音が隠されているのではなかろうか。
オッサンの壁は当人にとっても不幸なものである。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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