1992年清水書院

IMG_20220715_125612

 現在、島崎藤村『破戒』の3度目の映画化作品が公開されているが、今年2022年は部落解放同盟の母体である全国水平社創立100周年なのである。
 水平社設立の発起人の一人であり、日本初の人権宣言とも言われる『水平社創立宣言』の起草者が、西光万吉である。
 本書は、西光万吉(1895-1970)の生涯と思想をたどった評伝。
 著者の師岡(1928-2006)は神戸生まれの日本史学者で、部落問題に関する著書が多い。

 西光万吉(本名:清原一隆)は、奈良県南葛城郡の被差別部落内の浄土真宗本願寺派西光寺の長男として生まれた。
 若い頃から周囲の差別に非常に苦しみ、画家を目指して上京するも心を病んで帰郷、一時は自殺を考えるほど追い込まれた。
 それが日本共産党初代委員長の佐野学の『特殊部落民解放論』に衝撃を受けて、一躍覚醒し、親友の阪本清一郎、南梅吉らと共に水平社を立ち上げる(1922年3月3日)。
 1927年日本共産党に入党するも、翌年、治安維持法違反により逮捕される。
 奈良刑務所での5年間の服役中に転向を表明し、離党。
 出所後、天皇中心の「高天原(タカマノハラ)思想」を説き、国家社会主義運動に参加。
 戦時中は、侵略戦争を肯定し、帝国主義・軍国主義の旗振り役を担った。
 敗戦後、自らの戦争協力を強く反省し、日本国憲法堅持を唱え、世界平和と共栄のための和栄政策を訴え続けた。

 人物評価が難しいのは、「被差別部落解放を目指して水平社を立ち上げた」「生涯を通じて貧しい農民の味方であった」という点では、左翼の英雄に祭り上げられても全然おかしくないのであるが、一方、天皇崇拝とか軍国主義の推進という点ではまぎれもない右翼であり、獄中の転向によって「初心を忘れた」「堕落した」「体制側に寝返った」と見られても仕方ないと思えるからである。
 そういう人物が、戦後一転して「世界平和と共栄」を唱えても、「なんだかなあ~」と周囲が遠巻きに見てしまうのは無理ないところであろう。
 日和見主義者の烙印さえ押されかねない。
 そしてまた、帝国主義や軍国主義とはきっぱり決別したもの、「タカマノハラ思想」だけは死ぬまで持ち続けた。
 タカマノハラとはもちろん、『古事記』に出てくる神々の住む世界であり、天照大神(アマテラスオオミカミ)を中心とした理想郷のことである。

 西光は「タカマノハラ」に理想の社会をみた。それは「資本主義経済組織の世の中と云って、金持や地主が土地や資本を一個人でイクラでも所有して、それによって土地や資本をもたぬ多くの同胞を勝手気ままに働かせて、自分等だけが楽な生活をするために都合よく組み立てた世の中」、つまり目の前の社会とは全くちがった「神の国」であって、「天照大神を中心に、皆がみんな赤ん坊として真実に同胞として楽しく生活していたような国」なのである。

 資本主義社会において個人が土地や資本を所有して、権勢をふるうのとはちがって、「タカマノハラ」では生産が「マツリゴト」によってなされたからこそ「古代人はすべての生産物は神の物と信じていた」とみる。

 言葉を変えていえば、ソ連や中国のような“神のいない”共産主義とはちがって、天皇(という神)の赤子である国民すべてが、平等に勤労奉仕し財を分け合う共産社会――といったところであろう。
 戦前の水平社宣言なにものかは、戦後の天皇の人間宣言なにものかは、西光万吉が最初から最後まで決して捨てることなく貫き通したのは、天皇中心の国体だったのである。

菊

 西光万吉をモデルとした人物が登場する住井すゑの『橋のない川』を読むと、部落解放運動の推進と天皇制の否定は両輪であることが察しられる。
 解放運動家の巨星・松本治一郎(1887-1966)の「貴あれば賤あり」という言葉にみるように、天皇を頂点とする身分制あるゆえに被差別民が生みだされるという理屈である。
 また、階級社会の打倒と貧困の廃絶を唱えた共産主義の大波が、1917年ロシア革命実現のニュースに伴って日本にも押し寄せ、部落解放運動に身を投じる人々の思想的基盤とも力の源泉ともなったことが察しられる。
 部落解放運動=天皇制否定=共産主義、は切っても切れない3つの輪のように思える。(少なくとも戦前は)
 
 しかしながら、本書によれば、上記の「松本の言葉の原型があらわれるのは1930年代であって、水平社が発足した頃には西光をふくめて幹部たちは天皇に親近感を抱いていた」という。
 
 西光の場合、天皇への崇敬は、なによりも部落を部落として刻印した穢多という身分を設けた徳川封建体制を明治維新によって打ちくだき、改革をすすめ、近代国家をつくりあげ、解放令を発布し、法のうえ、制度として賤民をなくした大事業のシンボルとしての明治天皇に対する敬愛からきている。これは南や阪本もかわらなかった。 

 また、共産主義についても、「西光はマルクス主義に大きな影響を受けているが、マルクス主義を絶対化せず、相対的にとらえていた」。
 天皇崇敬が根本にあるのであってみれば、天皇制廃止を掲げる共産主義とはいずれどこかで袂を分かつのも当然であって、獄中における転向も、筋金入りの共産党員が精神的・肉体的拷問に堪えかねて離党を口にするのとはわけが違う。
 ましてや入党して1年も経っていなかった。
 西光にとって転向はそれほど大きな決断でも敗北でも屈辱でもなかったのだろう。

DSCN4841

 本書を読むと、ひとりの人間の複雑さというか、一個の人格を形作っているアイデンティティの多層性というものを考えざるを得ない。
 西光万吉は非常に有能で多才な人間であった。
 宗教家(僧侶)であると同時に、画家であり、作家であり、思想家であった。
 被差別部落出身の解放運動の闘士であり、慈悲深い農民運動家であり、熱心な平和活動家でもあった。
 一時は左翼の共産党員であり、戦時は右翼の国粋主義者とみなされ、「左からはファッショ、右からはアカ」と呼ばれていた。
 戦後も右翼的な思想を説きながら日本国憲法を強く支持し、おのれの行動の原理とした。
 周囲からは矛盾の塊のように思われたのではなかろうか。
 だが、こういった様々なアイデンティティの根底に変わらずあったのは、天皇への崇敬であり「国民は天皇の赤子」という信念だったのである。
 
 ひとりの人間の中にはいくつものアイデンティティが存在し、それは年齢によって、状況によって、他者との出会いによって、遭遇した経験によって、学習や信仰によって、成長によって、体力や気力の衰えによって、主役を交替して然るべきものなのではなかろうか。
 ひとつのアイデンティティなり思想なりを身に着け、それを生涯貫く人も立派であるとは思うが、「人は変わる」という可能性を信じるからこそ、我々は文を書いたり演説したりツイッターしたりデモしたり討論したり政治活動したりソーシャルワークしたりしているのであろう。
 それが自律的・主体的なものであるかぎりにおいて、転向は悪いことでも恥ずかしいことでもないし、周りが非難すべきことでもないと思う。
 ある意味、人生は、自分にとってなにが最も重要なアイデンティティかを探る旅をしているようなものかもしれない。 
 人ぞれぞれの道があり、人それぞれの時宜がある。

 真に恐れるべき、阻止すべきは、転向でなくて洗脳である。 





おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損