1963年日活
87分、カラー

 ソルティにとって『伊豆の踊子』と言えば山口百恵なのであるが、この川端康成の名作は過去6回も映画化されていて、その時代のトップアイドルが主役の少女・薫と相手役の学生を演じるのがお約束であった。
 公開年(制作会社)、薫、相手役の学生、監督の順で並べると、

1933年(松竹) 田中絹代、大日方傳、五所平之助
1954年(松竹) 美空ひばり、石濱朗、野村芳太郎
1960年(松竹) 鰐淵晴子、津川雅彦、川頭義郎
1963年(日活) 吉永小百合、高橋英樹、西河克己
1967年(東宝) 内藤洋子、黒沢年男、恩地日出夫
1974年(東宝) 山口百恵、三浦友和、西河克己

 80年代以降はテレビドラマはあっても映画はない。
 80年代に映画化したとすれば薫役はさしずめ松田聖子あたりだったはずと思うが、聖子ちゃんの文芸物は伊藤佐千夫の『野菊の墓』だった。理由は分からない。
 74年の百恵×友和ゴールデンコンビの映画を観たのはずいぶん昔のことなので、感想は憶えていない。
 ただ、物語の中で薫が露天風呂から全裸で外に飛び出して手を振るシーンがあって、そこをどう撮るかというのでずいぶん話題になったことが記憶に残っている。
 百恵ちゃんは、先にデビューした桜田淳子が清純派で陽のイメージで売っていたのと差別化し、ちょっと青い(=性的な)匂いを醸し出すおませな少女という陰のイメージで売っていた。
 けれど、そこはやはり昭和のアイドル、水着姿以上に肌を晒すなんてもってのほかであった。
 たしか、肌色の水着を着てその上からドーランを塗って、という対応だったような・・・
 (映画の感想は忘れてもこんなことを記憶しているのが思春期の少年らしい)
 つまり、『伊豆の踊子』は大人向けの文芸映画というより特定ファン向けのアイドル映画のイメージが強く、それゆえ、これまであんまり観る気にならなかった。

 今回、若い頃の吉永小百合を観たくて本作を借りたら、アイドル映画とは馬鹿にできない質の高さに感心した。
 吉永小百合は歴代の薫の中でもっとも美しく可憐であろうことは見る前から推測ついたが、歌も上手いし(主題歌を歌っている)、芝居も上手いし、肝心かなめの踊りも上手い。
 役の理解にもすぐれ、世間のしきたりや汚濁、大人たちの欲望や哀しみや倦怠に巻き込まれる前の、天真爛漫な少女の輝きと恋心を鮮やかに演じている。
 『キューポラのある街』のジュンに勝るとも劣らない好演である。
 これを観れば、当時の男たちがこぞってサユリストになったのも無理ないなあと思う。

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薫役の吉永小百合

 学生役の高橋英樹がまたカッコいい。
 鈴木清順『けんかえれじい』のバンカラ学生とはまた違った真面目で朴訥とした書生で、小百合と並ぶと一対の美男美女、絵になることこのうえない。
 本作は、数十年後に大学教授になった学生による回想スタイルをとっていて、冒頭と最後のシーンは現在(映画公開当時)を映す。1960年代に生きる初老の男が青春を振り返るという設定である。(通常の手法とは違って、現在が白黒、過去がカラーとなる)
 この教授役を演じているのが宇野重吉。
 押しも押されもせぬ名役者には違いないが、誰がどう考えたって高橋英樹の数十年後が宇野重吉とは思えない。
 ここはミスキャストだと思う。
 なぜ高橋英樹の老けメイクにしなかったのだろう?

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吉永小百合と高橋英樹

 ほかに、旅芸人で薫の兄を演じる大坂志郎(小津安二郎『東京物語』の次男)、義母を演じる浪花千栄子(おちょやん)がともに人生の哀歓を滲ませる好演である。
 作品の風格を左右するのは脇役なのだとあらためて思わせる。
 物語の背景となるのは(原作の設定は)大正中期。
 人それぞれが(良くも悪くも)おのが領分をわきまえていた時代、人と人とが丁寧につき合っていた時代が、たしかに日本にもあった。

 デジタルリマスタ―された画面はすこぶる美しく、60年前の映画とはとても思えない。
 サユリの美とともに、在りし日の伊豆の自然が楽しめる。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損