2017年(株)バジリコ

 『右翼は言論の敵か』を読んで鈴木邦男という男に興味をもった。
 現在出ているもっとも新しい著書を読んでみた。

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 本書は鈴木邦男の天皇論であり、明治から大正、昭和、平成に至る近代天皇たちのスケッチであり、天皇への熱烈なるラブレターである。
 と同時に、「愛国」「尊皇」を掲げながら現実の天皇陛下の思いや志しを無下にする言動を繰り返す反天皇主義者たちへの告発、いやいや怒りの鉄拳である。
 読みやすく、日中戦争や太平洋戦争を含む日本近代史の復習にもなり、共感・共鳴できるところが多かった。
 というより、書かれていることの9割がたは「そうだ、そうだ、もっともだあ!」と叫びたくなるものばかりで、「ソルティよ、お前はいつの間に右翼になったのか?」と思ったほどだった。
 
 鈴木の天皇論の核にあるのは次のような思いである。

 天皇とは、古来の日本人の価値観と信仰、すなわち神々への畏敬と祖霊崇拝を体現された存在です。その意味でこそ、天皇は日本の象徴なのです。いうまでもなく、日本の神とは欧米やアラブの神とは異なります。日本人にとって神とは自然そのものであり、神々(自然)によって生かされているという生活感覚が畏敬に繋がっているのです。また、祖霊信仰とは祖先があってその延長線上に現在の自分が生きている、というシンプルな原理に対する感謝の念だということができます。そして、そうした古来の価値観を祈りという行為によって表象しているのが天皇なのだ、そのように私は考えています。

 鈴木は、
  1. 象徴天皇制(立憲君主制)の維持
  2. 女性天皇および女系天皇の容認
  3. 退位や皇位継承における天皇の裁量権
を唱えている。
 これまた「もっともだあ!」と思う。
 現実問題として、天皇制をこれからも維持したいのならば、上の2.と3.は避けられないであろう。
 加えてソルティは、一般国民とまったく同程度ではないにせよ、皇室の人々にも人権を保障すべきと思っている。
 今の状態は籠の中の鳥か、国軍に幽閉されたアウンサンスーチーみたいなもので、とても幸福なものとは言えない。
 人身御供のような制度は改めるべきだ。
 
 とはいえ、ソルティは鈴木とは違って、天皇制自体は「いつか自然消滅したらそれも仕方ない」と思っている。
 それがなければ生きていけない、日本を愛せない、とは思っていない。
 1400年以上の歴史がある法隆寺が消失したら「寂しいなあ、もったいないなあ、残念だなあ」と思うのと同じように、天皇制が無くなったら「寂しいなあ、もったいないなあ、残念だなあ」ときっと思うだろうけれど、天皇制がなくとも日本は日本でいられると思うし、自分のアイデンティティを天皇制に仮託してはいない。
 もちろん、積極的に天皇制反対を唱える気はない。
 「天皇制」という物語を必要としている人がいるのは理解している。
 他人が大切とする物語を壊す気などみじんもない。(その物語がソルティの基本的人権を侵さない限りにおいて)
 いずれにせよ、ソルティが生きている間は天皇制は存在するだろうから、遠い未来の世代が決めることである。

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法隆寺
nsmaibunによるPixabayからの画像


 以下、「もっともだあ!」と共感至極なところを引用する。

 歴史から学ぶことができるとすれば個々の現象からではなく、何ひとつ変わることのない人間の本性を知るということです。その上で、現在を考えればいい。
   もっともだあ

 国際貢献をいうなら、他国に出向いて戦争をやるより難民を大量に受け入れた方がよほど世界から尊敬されるはずです。
   もっともだあ

 自民党(憲法)案第24条では、新たに家族の基本原則を定めています。家族を社会の基本単位として尊重し、かつ家族は助け合わなければならない、と規定されています。
 一言で申せば、大きなお世話です。そんなことまで国から教えを受け、強制されたくはありません。世の中の家族は人間存在の複雑さに見合って多様であり、憲法で決められるようなことではないでしょう。(カッコ内ソルティ補足)
   もっともだあ

 現在、共産党を含めて自衛隊の存在を本当に否定する国民はいないはずです。だとすれば、自衛隊を憲法の中できちんと位置付けなければまずいでしょう。堂々と自衛隊が存在する意義を宣言すればいい。その上で、徴兵はしない、海外派兵はしない、核武装はしない、という歯止め条項を明記すればいいのです。
   もっともだあ

 真の民族主義者は他国や他地域の民族主義を尊重するということです。にも関わらず、日本が一番エライ、他国は劣っているとか言いたがるエセ民族主義者がいっぱいいるんですね、今の日本には。でも、そんなのは民族主義でもなんでもない。ただの排外主義です。
   もっともだあ

 「自虐」と「内省」はまったく異なります。事実を事実として認識するということは、自虐でも何でもありません。私たちがこれからの日本のかたちを構想する時、避けて通れない内的作業であり、通過儀礼です。自国が犯した過ちについて知らないふりをしたり、忘れたふりをしちゃだめです。
   もっともだあ

 共産主義は全然ダメなシステム論だと考えているのも変わりません。どうしてそう考えるかというと、共産主義は生身の人間の在り方を想定していないからです。現実に生きる人間が有する様々な自由(欲望)への希求は無視され、机上の理論に合わないものはすべて排除される。その結果、必然的に言論は統制され、官僚によって管理された全体主義国家とならざるを得ないのです。それは、現実の社会主義国家が証明しています。
   もっともだあ

 特定秘密保護法案、安保関連法案、マイナンバー制導入、共謀罪法案の成立は、すべて線として繋がったものであり、安倍政権の感性が色濃く出ています。マスコミへの恫喝、沖縄への対応も安倍政権独自のものです。また、この政権の閣僚は問題発言を連発し、あまつさえ平気で嘘を吐き、嘘がバレても開き直ります。「森友学園」や「加計学園」の問題は実につまらない問題ではありますが、それに対する安倍政権の対応は信じられないような強弁と開き直りでした。・・・・本当に無茶苦茶な政権であり、これまで見たことがない戦後最悪の政権だといえるでしょう。その無茶苦茶さに、国民が慣れつつあることを私は危惧していました。 
   もっともだあ
 

 正直、こんなに自分の言いたいことを代弁してくれている本との出会いは珍しい。
 いつのまに自分は「一水会」信者になったのか?
 いやいや、そうではない。
 鈴木邦男が変わったのだ。
 転向について、こう述べている。 

 自分が信じ行動していたことを自ら否定するという内的作業は、思いのほか辛いものではありました。右翼の仲間は離れていくし、批判もされる。しかし、その一方で左右を問わず様々な人々と出会い、触発され視野が広がったことは楽しいことでもありました。凝り固まっていた思念が氷解し、自由に活動できるようになった解放感は格別です。その結果、過激派右翼だった頃を思うと、私はずいぶん遠くへやってきたように思います。何より、自分と考えが異なるだけで、しかも丸腰の相手を脅したり殺傷したりするという行為は本当に卑怯な行為だと思うようになりました。そんな当たり前のことが、若い頃の愚かな私にはわかっていませんでした。また、言論の自由は何にもまして重要であると確信するようにもなりました。

 なんと、潔い真摯な男だろう!
 惚れるね。

 現在、79歳の鈴木邦男は病気療養中であるらしく、活動を休止している。
 自民党(安倍政権)と旧統一協会の長年の癒着が表沙汰になった今こそ、関連のあった議員らが追究からコソコソと逃げ回ろうとする今こそ、彼の鍛えられた思想と鋭い言説がほしい。
 早く元気になっていただけたらと祈るばかり。
 

 
おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損