2003年新潮社

 1972年2月に起きた連合赤軍事件の当事者による手記。
 加藤倫教(のりみち)は兄弟3人で連合赤軍に加わり、兄を山岳アジトにおける集団リンチで失う。
 その後、警察に追われて山中を逃げ回ったあげく、弟を含む他の4人と共にあさま山荘に人質を取って立て籠もった。
 
連合赤軍事件
 大学闘争の後、武装した左翼グループが栃木県真岡市で猟銃を強奪。72年2月、山岳アジトを移動して長野県の「あさま山荘」に立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げた。「総括」と称して群馬県内で仲間12人をリンチ殺人、遺体を山中に埋めた。
 (出典 朝日新聞掲載「キーワード」)

 9日間の攻防ののち、機動隊突入によって山荘は破壊され、全員逮捕。
 当時19歳の加藤は懲役13年の刑を受けて服役、1987年1月に仮釈放された。
 16歳の弟は少年院に送られ、2年間の収容生活を送った。
 本書は事件発生30年後に書かれたものである。

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 この事件の概要を知るには、若松孝二監督『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2007)が最適であろう。
 左翼運動隆盛の世相、連合赤軍が誕生するまでの経緯、榛名山の山岳ベース(手作りの小屋)における異様な合宿生活、「総括」という名の集団リンチ殺人、遺体遺棄、山中逃亡からあさま山荘立て籠もり、機動隊との数日におよぶ攻防、そして逮捕に至るまで、一連の流れを警察や機動隊やマスコミや世間一般の視点ではなく、連合赤軍内部の視点で描いている。
 山岳ベースでのリンチの模様などは背筋が凍るほど怖い。

 先に映画の方を観ていたこともあって、本書の衝撃はそれほど強くなかった。
 何が起きたかは先刻承知であり、特異な思想に侵された閉鎖集団で起こる異常な人間関係やそこに醸し出される異様な空気もまた、若松によって見事に映像化されている。
 ビジュアルと活字のインパクトの差も大きい。
 活字がビジュアルに勝つには、冷静な人間観察をもとにした緻密な心理描写や人間関係の洞察、起きたことへの筆者なりの解釈が必要と思う。
 残念ながら、その部分が本書は弱いのである。
 全般、物足りない感じがする。
 これはおそらく、加藤が当時まだ十代で社会経験に乏しかったこと、組織の中では一番下にいて主要な決定の場には列していなかったこと、事実のみの記述に気を配り他人の思考や心理については憶測で書かないように注意しているらしいこと、それに「思想云々より行動」を尊ぶ加藤自身の資質などが関係しているんじゃないかと推測する。

 私や多くの仲間が武装闘争に参加しようと思ったのは、アメリカのベトナム侵略に日本が荷担することによってベトナム戦争が中国にまで拡大し、アジア全体を巻き込んで、ひいては世界大戦になりかねないという流れを何が何でも食い止めねばならない、と思ったからだった。
 幼稚な言い方になるが、私は「正義の味方」になりたかった。
 もちろん、その頃ヒーローに憧れた少年すべてが革命を夢見たわけではない。連合赤軍に入ってきた人間に共通していたのは、「思い込んだら、どこまでも突っ走るタイプ」ということだった。 
 あの時代、学生運動に参加する若者は大勢いた。だが、そのほとんどは「ファッション」として活動していたと思う。みな周囲の人間に歩調を合わせて活動に加わり、やがて自然に離れて社会に溶け込んでいった。
 しかし、私たちはそんな形で「妥協」することが許せなかった。一旦やり始めた以上、中途半端なところで終わらせたくない。革命のためなら、自分が捨て石になっても構わない。そんな気質の持ち主が集まって生まれたのが、「過激派」と呼ばれるグループだった。

 そういう自己犠牲精神をもった面々の集まりにおいて、
  • なぜ暴力による「総括」が発生したのか
  • なぜ誰もそれを「おかしい」と思わなかったのか
  • なぜそれを止められなかったのか
  • なぜ抵抗も逃走もできなかったのか(逃走した仲間をどう思ったのか)
  • どのように自らの中でリンチを正当化していったのか
  • 首謀者の永田洋子や森恒夫や坂口弘はどんな人間だったのか
  • 彼らの(特に永田の)振り回すおかしな理屈をなぜ鵜呑みにしたのか
  • 組織の中の相関図(派閥、対立、嫉妬、服従e.t.c.)はどのようなものだったのか
 内部を知る人間であれば、そういったあたり、すなわちグループダイナミックスの様相をもっと突っ込んで書いてほしかった。
 もっとも、事件は30年前のことで、加藤自身が「異常な意識状態」におかれていたであろうから、はっきりと覚えていないのが当然かもしれない。
 それを考慮すると、本書における加藤の記憶の細やかさは大変なものである。
 ソルティは30年前にあったことで、自分にとって大きなイベントを詳細に書けと言われても、日記でもつけていない限り、ここまで細かくは書けない。

 グループダイナミックス云々はともかく、加藤は自分自身が関わった動機についてはその後もずっと問い続けてきた。
 結局、自分たち三兄弟が求めていたものは何だったのか。

父の生き方に対する反発、それにオーバーラップする物質的な経済の発展と欲望充足に奔走する戦後日本社会への反発、そしてベトナム戦争に反対する気持ち――それは三人が共通して抱いていた思いだった。
 絶対的な価値観をもって目の前に存在した父の対極にあると感じられたのが、共産主義という価値観だった。共産主義者になるということで、私たちは自らの「居場所」を得ようとしていたのだと思う。
 しかし、何かを絶対視して信じることは、楽で気持ちのよいものであるが、必ず自らの思考の放棄を伴ってしまう。しかもあの時あの山の中で、最も決定的な局面において、自らの頭で考えるのではなく、絶対的なものと見えるものの方に擦り寄っていってしまった。その悔いは一生、私の心から離れることはないだろう。

 自身全共闘世代であった作家の橋本治は、全共闘の本質を「大人は判ってくれない」と喝破していた。
 片や、戦前教育を丸々受けたほとんど最後の世代(昭和ヒトケタ)。
 片や、改定された教科書で一から戦後教育を受けた世代(昭和20年以降の生まれ) 
 全共闘世代の根底にあって彼らを突き動かしていたのは、親と子の世代間ギャップだったのだろうか。
  
崖





おすすめ度 :★★★

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★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損