1974年東宝、ホリプロ
94分

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 山口百恵の映画初主演作であり、のちに夫婦となった三浦友和との映画共演第一作。
 西河監督は吉永小百合主演ですでに『伊豆の踊子』を撮っており、脚本や基本的な演出は前回と“ほぼ”同じである。
 『ひと夏の経験』の大ヒットで超多忙となった百恵には、撮影のために当てられるスケジュールは一週間しかなかったという。
 すでに完成されている枠組みを再活用するのは苦肉の策であったのだろう。
 が、必ずしも二番煎じとは言えないし、アイドル映画と軽視することもできない。
 魅力あふれる作品となっている。
 
 魅力の一等は、薫(踊子)を演じる山口百恵と川島(旧制一高生)を演じる三浦友和との抜群の相性の良さである。
 理想の夫婦と言われる今の二人の姿からさかのぼって贔屓目に見てしまうところもあるのかもしれないが、ここでの二人の息の合い方や惚れた相手を見る際の自然な表情は、この純愛作品にほとばしるようなリアリティを与えている。
 フリでない本物の感情が二人の演技の質を高めたのである。
 二人の間に強い磁力が発生しているようで、このコンビネーションは54年松竹版の美空ひばりと石濱朗、あるいは63年日活版の吉永小百合と高橋英樹のそれをはるかに凌駕している。
 単純に演技力および歌唱力という点だけみれば、百恵も友和もそれぞれの前任者たちには及ばないにも関わらず・・・・。

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踊子に扮する山口百恵

 山口百恵は美人ではないけれど、表情が素晴らしい。
 とくに憂いを含んだ表情はこの人の最大の魅力である。
 これは吉永小百合には今日に至るまで望めないところで、生まれついての顔立ちや幼少期の育ちが影響していると思われる。
 この憂いこそが自然と悲劇の基調を形づくって、今作に続く『絶唱』や『春琴抄』などの文芸悲劇もの、または女性視聴者の紅涙を絞ったTVドラマ「赤いシリーズ」を成功させた要因ではなかろうか。
 そして、憂いある表情が一瞬にして笑顔となって弾ける時、笑顔を向けられた男たちは、そのコントラストの大きさを「俺だけに見せてくれた素顔」と勘違いし、百恵の虜になっていったのだと思う。(思春期のソルティもその一人であった)
 
 三浦友和がまたカッコいい。
 昭和の典型的美男子そのもの――往年のゲイ雑誌『薔薇族』の表紙に出てくるような――であるけれど、ソルティが幾度もだぶらせたのは令和の実力若手男優である仲野太賀であった。
 イケメン度では若かりし三浦の方が上であるが、人好きする顔立ちであるとか、おっとりした雰囲気であるとか、感受性ある表情であるとか、どことなく似通っている。
 仲野太賀は将来、アイドル歌手と結婚、三浦友和のような役者になるということか。
 
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三浦友和(右)と中山仁
なんだか木下惠介監督作品の一場面のようなBL感

 他の役者では、芸人一家の元締めを演じる一の宮あつ子、薫の兄・栄吉を演じる中山仁(往年の熱血スポ根ドラマ『サインはV』の鬼コーチ)、茶屋の婆さんを演じる浦辺粂子が印象に残る。
 ホリプロの百恵の後輩である石川さゆりが肺病で亡くなる遊女おきみ役で出ているのが、なんだか哀しい。(さゆりは「天城越え」できなかったのだ)
 落語家の三遊亭小圓遊が踊子(百恵)の処女を狙ってちょっかいを出すスケベな紙屋を演じている。これまた味がある憎まれ役ぶり。
 
 踊子と学生は波止場で派手なお別れをし、幕が下りる。
 「よく出来たリメイクだったなあ~」とリモコンに手を伸ばした瞬間、驚きが待っていた。
 「終」のクレジットと共に映し出された最後のカットは、アイドル映画としてはとうてい考えられない類いのものであった。
 この絵、65年バージョンにはなかった。
 場所はどこかの旅館のお座敷。
 酔っぱらって、もろ肌脱いで入れ墨を晒した男が、踊っている薫に無理やり抱きついている。
 薫は嫌そうに横を向いているが、そこは客商売、きっぱり拒むことはできない。
 
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 このカットの含むところは、有り得べき薫の今後の人生である。
 紙屋のおやじのように金に物を言わせる道楽者や見境ないヤクザ者になかば暴力的な形で凌辱され、旅芸人から芸者となり、芸者から遊女に身を落とし、最後はおきみのように体をボロボロにする。  
 そうした最悪のストーリーを暗示しているのである。
 そして実際、この原作が書かれた昭和初期、そういった転落のケースは珍しくなかった。
 なにより芸人は差別される対象だったのである。
 
 川端康成の原作や65年の「西河―小百合」版以上に本作で目立つ点を挙げるとするなら、旅芸人に対する差別というテーマであろう。
 学生と踊り子は伊豆で出会って、一緒に旅をして、淡い恋をして別れる。
 同じ一つの恋――しかし、それぞれにとっては同じ経験ではない。
 学生にとっては、ひと夏の美しい思い出であり、自らの孤児根性という劣等感を癒す通過儀礼であった。
 学生は東京に帰って勉学に励み、出世の道を歩むだろう。官僚になるかもしれない。学者になるかもしれない。売れっ子作家になってノーベル賞を獲るかもしれない。
 一方、踊子にとっては穢れなき少女時代の最後の楽しい思い出であり、この先二度とこのような牧歌的な瞬間は訪れないかもしれないのだ。
 男と女、将来を嘱望される学生と差別され社会の底辺を流れ続ける旅芸人、二つの人生行路は天城隧道のようには簡単につながらない。
 
 西河監督がこのような退廃的でショッキングな最後のカットをあえてアイドル映画に挿入した理由は、そこに思いを込めたかったからではなかろうか。
 「学生さんにとっては、小説の題材として“利用できる”ひと夏の美しい思い出だろうさ。だがな、旅芸人の娘にとっては、その思い出にすがることで残りの悲惨な生をなんとか切り抜けていけるお守りのようなものなのだ。川端さん、いい気なもんだね」――と。
 
 
 
 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損